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民主主義とベーシックサービス: なぜ大学の無償化 が社会を強くするのか

民主主義とベーシックサービス: なぜ大学の無償化 が社会を強くするのか

社会に参加し、活躍することを可能にする基礎的なサービスへのアクセスをすべての人に保障する。これが「ベーシックサービス」の考え方だ。そこに医療や介護といった生存に直結するサービスが含まれることに異論はないだろう。では、大学教育はどうだろうか?

※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 01 ソーシャルイノベーションの始め方』より転載したものです。

井手英策 Eisaku Ide

ベーシックサービスは、困窮した人を選別的に救済することを目的とせず、健康、政治や社会生活への参加、自律的に生きる精神的能力といった普遍的なニーズを出発点とする。そして、そこに何が含まれるのかを皆で考えるプロセス自体が民主主義を強化する。本稿では、大学教育を例にとって、ベーシックサービスの本質について考える。

経済格差の何がいけないのか?

所得や資産の格差、すなわち経済格差は悪だと言われる。だが、そもそもなぜ格差を是正しなければいけないのか、という根源的な問いを掘り下げて考えていくと、容易に答えられない問題に直面する。まず、共産主義社会でも実現しない限り、完全に経済格差のない社会など存在し得ない。そして、その必ず存在する格差を「どこまで是正すべきか」について、これを一義的に決めることは困難である。第二に、アリストテレスが指摘したように、不均等な状態にあるものをその平均値に近づけることを正義とする考え(矯正的正義)がある一方で、二倍努力したものが二倍の成果を得ることを正義とみなす考え(配分的正義)も存在する。これらは正義のふたつの顔を示しているが、後者では、格差の存在は前提であり、また肯定されてもいる1。「格差の是正」というきわめてまっとうな主張が、実際にはこうした論理的な限界を持っている以上、ただその是正を共通の善として訴えるだけではなく、格差がなぜ問題なのかを絶えず確認する必要がある。この難しい問いに接近するために、まずは、社会学者マニュエル・カステルの主張から見てみることとしよう。

カステルはこう述べる。「収入面における伝統的な不平等は、保健、教育、文化諸施設の型や水準を通じて……一定の集合的諸サービスへの接近可能性と利用にかかわって生じる新しい社会的分裂の中に表されている」2。いささかわかりにくい文章だが、この指摘は重要である。つまり、経済格差それじたいが問題というよりも、それが存在することによって、生存や生活に不可欠な公的サービスにアクセスできない人たちが存在すること、そしてこの存在が社会の分裂を引き起こすことが問題なのである。

たとえば、病気になったとき、経済的な理由によって医療サービスを受けられないとすれば、最悪の場合、その人は命を失ってしまう。仮に、「配分的正義」の観点から経済格差が正当化されたとしても、一定の貧しい人たちが死の危険に直面するとすれば、それは明らかに不正であり、社会秩序は動揺する。こうした視点に立てば、私たちは、どの程度まで経済格差を是正すべきかという「程度」の問題を論じる前に、すべての人びとが必要なサービスにアクセスできる「権利」を保障しなければならない。

では、そのためにはどのようなやり方があるだろうか。

ひとつは、貧しい人を特定し、その人たちに限定して公的なサービスへのアクセスを保障する方法が考えられる。もうひとつは、まさに字句通り、所得の多寡とは無関係に、すべての人たちにアクセスを保障する方法がある。以下、前者を「選別的なアクセス保障」、後者を「普遍的なアクセス保障」と呼ぶこととしよう。「選別的なアクセス保障」には、格差の是正と同じような恣意性がつきまとう。まずやるべきは、「貧しい人とは誰か」を特定することである。それは年収200 万円以下の人たちだろうか。それとも300 万円以下の人たちだろうか。あるいは、子どもの数や年齢、資産の有無をどの程度考慮して、選別の基準を決めるべきだろうか。容易に想像できるように、これらを一義的に定めることは困難であり、仮に思い切って保障のラインを決定したとすれば、それはそれで、受益者と負担者という「分断線」が引かれてしまう。

それだけではない。貧しい人たちを特定するためには、申請する者に「恥ずべき暴露(shameful revelation)3」を求めなければならない。医療や介護といったサービスを無料で使うためには、自らの所得の少なさを示し、働けないときにはその理由を告げねばならず、さらには、扶養者の有無を調べるため、親族にまで確認の連絡が及ぶことがある。

この「恥ずべき暴露」に耐えられない人たち、あるいは、他者への依存よりも自尊感情を優先する人たちは、サービスの利用権を放棄してしまうかもしれない。生活保護を利用できる所得水準であるにもかかわらず、これを利用する人の割合は、日本では16%程度にとどまっており、他国と比べてきわめて低い事実は、こうした可能性を示唆している4

ベーシックサービスの何が ベーシックなのか?

以上の問題を回避するには、すべての人びとにサービスへのアクセスを保障する、「普遍的なアクセス保障」のほうが望ましい。こうした考えは、近年、“Universal Basic Services(以下、ベーシックサービス)”として概念化され、国際的にも注目を集めつつある5

ベーシックサービスは、3つの原則で構成される6

  1. サービスは「支払い能力」ではなく、「 必要(needs)」に応じて、権利として普遍的に保障される。
  2. それは、人びとが基本的なニーズを満たすことや、社会に参加し、活躍することを可能にするよう、「最低限」ではなく「十分」なものでなければならない。
  3. サービスは、公共の利益に役立つよう、個人的にではなく集合的に提供される。

「普遍的なアクセス保障」の場合、所得の多寡とは無関係に、必要に応じて社会の全構成員に給付することが原則であるから、救済の対象を特定しなくてすむ。すなわち、病気になったり、介護が必要になったりしたとき、人びとは、普遍的な権利としてサービスへのアクセスが保障されるのであり、「選別的なアクセス保障」の限界(低所得層を特定する困難さ、恥ずべき暴露の生み出す社会的スティグマと利用の抑制)は克服される。

さらにいえば、ベーシックサービスは経済格差の是正にも貢献する。表1 にあるように、全所得階層にサービスの給付を行った場合、低所得層の所得のほうが大幅に改善する。その効果は、税や現金による格差の削減と比べて、よりばらつきを小さくする7

一方、ベーシックサービスには、ふたつの問題がある。第一に、選別的なアクセス保障と比べて、より多額の財源を必要とする。第二に、何をベーシックなニーズとみなすのかを決めなければならない。財源問題についてはのちに述べることとして、まずは、何をベーシックなニーズと考えるか、という問題から考えることとしたい。

1976 年にILO(国際労働機関)が開催した「世界雇用会議(The World Employment Conference)」で提案された概念に「ベーシックニーズ(Basic Needs)」がある。ベーシックニーズとは、1)食料、家や施設、衣服などの個人的に消費される基本物資、 2)共同体で提供されるべき安全な飲料水、衛生環境、公共交通、健康、教育などのサービス、そして暗示的に述べられたものとして、3)これらに影響を与える意思決定への人びとの参加、を指している8

これらのニーズは、一見してわかるように、「生存や弊害回避のために基本的に必要とされているもの」である9。だが、基本的なニーズのうち、何を政府が保障しうるのか、という観点から考えると、社会主義国でもない限り、すべての人びとに食料や衣服、住宅等の「財」を提供することはできない。現実に政府が提供しているのは、「財」ではなく、「サービス」であるから10、私たちは、生存や弊害回避のために必要とされる基礎的なサービスについて考えなければならない。

ベーシックサービスの提唱者の一人であるイアン・ゴフは、人間の最も基本的なニーズとして「健康」「自律」「参加」の3 条件を提示した11。肉体的な健康、政治や社会生活への参加が基本的なニーズであることには異論はないであろう。一方、自律のほうは、少し説明が必要かもしれない。

自律とは、「熟慮して選択する精神的能力」を指す。ある人が走っているとしよう。その際、走るという生物的な「行為」を超える何かがそこにはある。つまり、その人なりの目的や信念があり、それを実現するための戦略と結びつけられながら、「走る」という「行為」は選択されている。もしそうでなく、目的も、信念も、選択することもなく走っているとすれば、その人は走ることを強いられているのである。

この点は重要なので、もう少し丁寧に論じよう。目的や信念が定まらず、それを実現するための戦略を選ぶ能力を持てないのは危険である。それは主体性の喪失を意味しており、抑圧する者に抵抗し、批判する意思の喪失を生む。そうなれば、私たちは権力への従属を余儀なくされ、政治への無関心が社会にはびこるだろう。肉体的に不健康で、精神的に従属する人たちは、当然、社会生活への参加も難しいことだろう。

ベーシックニーズを以上のように「健康」「自律」「参加」という観点から整理し、これをサービスに適用すれば、医療や介護、あるいは障がい者福祉のように、人間の肉体的な健康と関わるものは、ベーシックサービスとして位置付けられうる。また、女性の就労が進み、共稼ぎ世帯が主流となっている先進国において、労働を通じた自己実現と社会参加を可能とするうえで、育児・保育・就学前教育サービスは不可欠である。

だが話はここで終わらない。たとえば、高等教育の場合は、どうだろうか。次の節でこの問題を取り上げるが、じつは、何をベーシックと考えるかという問いは、「許容できる格差の程度」とは違って原理的に論じることができるものの、最終的には、格差の程度と同様、民主的なプロセスを経て決定されなければならない。

では、貧しい人を特定することが困難だ、という「選別的なアクセス保障」の問題と同じく、ベーシックサービスの特定も、結局は政治判断ということになるのだろうか。

この疑問に答えるためには、ベーシックサービスが「選別的なアクセス保障」の限界を克服するものだ、というメリットを繰り返し確認しておくのが有益であろう。そのうえで、「普遍的なアクセス保障」が注目するのは、誰を救済するかという「慈善の対象と程度」の問題ではなく、自分も含めたすべての人たちにとって必要なものは何かを議論するプロセスそのものだ、という点を強調しておきたい。

いかなるニーズが基礎的で、社会的なニーズたりうるかを議論し、決定するプロセスは、ゴフの言う「他者が決めた目的を理解し、その目的を自分のものとして承認し、他者の主体性を育み、維持し、回復させる努力を通じて促進することで、他者のニーズに応える」プロセスにほかならない12。すなわち「選別的なアクセス保障」が、自分のニーズではなく、他者のニーズに対して、垂直的に、慈恵の手段として論じられるのに対し、「普遍的なアクセス保障」は、他者のニーズと自分自身のニーズの接点を探り、水平的な社会的連帯の手段として、ベーシックニーズを論じるのである。

ベーシックサービスとしての高等教育

いささか話が抽象的になったので、先に見た高等教育に光をあてながら、以上の問題を考えてみよう。

OECD加盟国を見てみると、大学の授業料を無料ないしきわめて安価で提供している国が多数存在している。図1 にあるように、オーストリア、コロンビア、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェーでは、公的な負担で教育費の9 割以上がまかなわれ、 36カ国中13カ国で8割以上の負担が公的にまかなわれている。厳密に言えば、負担以外がすべて家計の負担となるわけではない。民間の機関からの給付を除いた家計負担を見てみると、11 カ国で1割未満となっており、ほぼ無償化に近い状態が実現されている。

以上の国々とは異なり、日本の公的負担割合は、イギリスに次いで低く、わずか31%である。さらに、家計負担を見てみても、チリの次に高く53%に達している13。これらの事実を念頭に置けば、高等教育をベーシックサービスとして位置付け、その無償化を訴えれば、さまざまな反発が起きることが予想される。

たとえば、大学全入時代と呼ばれる状況にあって、大学が無償化されれば、学習意欲のない学生までもが、大学進学を志すかもしれない。あるいは、学生数が増えれば、経営努力を行っていない高等教育市場から退出すべき大学に対する延命のための補助金として税金が使われるかもしれない。さらに言えば、すでに教育課程を修了した世代は自己負担でそれを行ったのであり、世代間の不公平が発生し、政治的な反発を生むかもしれない。

以上は、メディア等で私が現実に見てきた批判であるが、私たちは、こうした批判をどのように考えればよいのだろうか。

じつは、それぞれへの反論は、さほど難しいものではない。まず、無償化によって、意欲のない学生が進学するかもしれない。だが、それと同じか、それ以上に、授業料負担に耐えられずに進学を断念したはずの学生がいることも事実である。それ以前に、政府の責任は、教育の権利を万人に保障することにある。意欲のない学生のスクリーニングは大学側の責任であり、一部の者の不心得を理由に、貧しい人たちの学ぶ権利そのものを否定することは、論理的にも、倫理的にも承認しがたい。

経営努力を行っていない大学の「延命」については、逆の見かたもできる14。じつは、少子化の影響を受け、大学全体の約4割が充足すべき定員数を下回っていると言われる。すなわち、潰すべきではない大学も潰れる可能性があるわけで、大学無償化はそうした大学の経営改善に資するかもしれない。また、地方の国立大学は、同じ地域にある有力私立大学と比べて学費が安い面で比較優位を保ってきた。その条件が消えれば、地方大学は教育の質を高めるための競争をしなければならなくなるだろう。

受益の世代間ギャップに関しても、介護や医療の無償化がセットで進めば、その直接の受益者は疾病リスクの高まる中高年層である。したがって、ベーシックサービスの組み合わせ次第で、win-winの関係を作り出すことができるわけで、それは大学の無償化の是非というよりも、政策の打ち出しかたといった形式的な問題に帰する話である。

だが、ここでの課題は、こうした個別の反論を行うことではない。仮に自分が大学で学び終えたとしても、あるいは、大学進学の意思がなかったとしても、高等教育それ自身が基礎的で、社会的なニーズだと考える正当な理由がある。

すでに論じたように、ベーシックニーズは、各人に、自律や参加を促すための前提条件である。多くの研究が示唆するように、それぞれが信念を形成し、それにしたがって目的を定め、実現のために有効な戦略を選びとっていく過程で教育は無視できない役割を果たしている15。教育がそのような機能を持つものだとすれば、高等教育だけをそこから排除する必要がどこにあるのか。その理由を説明することは簡単ではない。

特に、高等教育は、政治への参加意欲、政治や権力に対する態度に影響を与える。OECDのデータによると、「政治に関心があると答えた成人の割合」は、高卒以下が42%、高卒が51%、大卒が65%となっている。また、「政府のやることに発言したいことがあると感じる成人の割合」も、高卒以下が27%、高卒が33%、大卒が46%と、学歴によって、賛同者の割合が増えていることがわかる16。権力からの精神的自律を成し遂げ、事実の発掘を通じてその権力と批判的に向き合うという意味において、高等教育はベーシックサービスのひとつと考えるべきなのである。

高等教育の充実は、個人の人格形成にとどまらず、社会的な効果も持っている。OECDのレポートでは、高等教育への投資が国の経済成長力の源泉となっていることが指摘され、別のレポートにおいても「ますます知識に左右される世界経済において、高等教育は経済競争力の主要な推進力であることが広く認識されたことで質の高い高等教育がかつてないほど重視されている」との指摘を見つけることができる17。高等教育が賃金格差に決定的な影響を与えることもまた知られている18。高等教育は、社会全体に利益をもたらしながら、一人ひとりの自律、権力に対する批判的な精神を実現する。だからこそ、多くの先進国において、高等教育の無償化ないし低負担化が実施されているのである。

そもそも、政府から受け取るサービスは、本来、「誰かの利益」ではなく、「皆の利益」になっていなければならない。個々人がそれぞれに欲するものは、各人が市場から購入すればよいのであり、それらを政府が提供する責任はないし、そのような支出のための負担を社会の構成員が受け入れるはずもない。

繰り返しをいとわずに言えば、問題は、「皆の利益」それ自身が、民主的なプロセスで決定される点にある。大きな病気や介護は中高年層に集中するリスクだが、すべての人たちがそれに直面するとは限らない。あるいは、若年層にとって、そのようなリスクはかなり将来のことであり、子育てや教育、持ち家の取得など、優先順位の高いサービスは、高齢者のそれと異なるだろう。一方、中高年層のニーズは全世代にとってのニーズとなりうるが、現役世代のそれは中高年層にとって終わったニーズである。要するに、これが「皆の利益」だと誰からも賛成されるサービスは存在しないのである。

だが、一人ひとりの精神的な自律や参加は、政府をコントロールする手段である民主主義の大切な前提条件である。潜在的な経済成長の力を育むこと、あるいは、どの水準が望ましいかは決められなくとも、放置すれば拡大する賃金格差に歯止めをかけることもまた、重要な社会的課題である。こうした所得の多寡には還元できない、各人それぞれのよりよい生のありかた、そして共同生活の場である社会全体に与える良い効果や悪い影響、これらについての議論を深め、国民にとっての共通の必要について考えていくプロセスこそが、ベーシックサービスの核心なのである。

ソーシャルセキュリティからライフセキュリティへ

ベーシックサービスをすべての人びとに保障できれば、生きていく、暮らしていくための必要から人間は解放される。端的に言えば、病気をしても、失業をしても、長生きしても、子どもをたくさんもうけても、さらには貧乏な家庭に生まれても、障害をかかえても、すべての人たちが人間らしい生活に近づけるようになる。

福祉や医療、教育は、救済ではなく、権利を前提とした制度設計に変わる。他者への支援はもちろんよいことだ。だが、現金による救済は社会的なスティグマを通じて屈辱を人びとの心に刻みこむ。だからこそ、万人が必要とするサービスを保障し、「救済原理」とは異なる、万人に生存、生活の権利を認める「保障原理」へと財政の根幹を変えることが重要なのである。

問題は、先にも触れたように、それにかかる費用、財源である。結論から言えば、消費税をもう6%引き上げることができれば、2019 年に実現された幼稚園・保育園だけでなく、医療、介護、そして高等教育の無償化が可能になる。あわせて、義務教育の給食費や学用品費も無償化され、介護士、保育士、幼稚園教諭の給与も引き上げられ、先進国のなかで、唯一、日本に存在しない住宅手当による家賃補助も提供することができる19

ここでふたつ、確認しておきたいことがある。

まず、以上で消費税に限定したのは便宜上のことであって、法人税や所得税の富裕者課税も消費税とセットに議論されてしかるべきである。だが、ポイントは、消費税を外せない、という点である。消費税を1%引き上げると2.8 兆円の税収が得られるのに対し、 1237 万円超の所得税率を1%上げても1400 億円程度の税収しか生まない。あるいは法人税率を1%上げても5000 億円程度である。消費税6%は、所得税120%、法人税34%に相当するわけであり、これを排除した財源論は机上の空論と言わざるを得ない。

急いで付け加えれば、日本は先進国のなかで国民負担率が低いことが知られている。したがって、以上の増税を行ってもなお、負担率はOECD加盟国の平均程度にしかならない。反対に言えば、それだけ保障の領域がせまく、自己責任の領域が広いわけであるが、それにもかかわらず、日本では、左派、リベラル系の政党・支持者の間に消費税への反発が強く、政策面でも減税、極端な場合は、廃止すら訴えられている。こうした問題を私たちはどのように考えるべきだろうか。

社会学者モニカ・プラサドは、格差の小さな国では、金持ちへの重税、貧しい人への給付でそれを実現したのではないと指摘した20。現実を見れば、富裕層の数は少ないから、そこへの課税だけでは、格差の是正に十分な財源を手にできない。だからヨーロッパでは、低所得層も納税者になる付加価値税(日本でいう消費税)を利用した。すべての階層が負担者となることで豊富な税収を獲得し、中間層もふくめた社会全体の暮らしの保障と、貧しい人たちの命の保障をバランスよく実現することで経済格差を小さくしてきたのである。

いまから50 年近く前の話である。フランスの主税局次長だったフィリップ・ルビロア氏が日本で講演し、税の累進性、逆進性を議論するとき、一税目だけをとり上げてもあまり意味がなく全体で考えるべきであること、つまり、税収とその支出目的を合わせて考えるべきで、たとえば、逆進的な税しか採用していない国でもその収入で社会保障を積極的に行っているのであれば、その国全体としては逆進的ではないことを指摘した21。負担感は、税率だけでなく、給付との関係で決まる。消費税に反対、ではなく、消費税をどのように使うのか、という、建設的な議論が求められる所以である。

もう一点、強調しておきたいのは、何らかの理由があって、労働したくともできない人たちは当然存在する。ベーシックサービスを通じて、救済の領域を小さくすることを基本としながらも、高齢者、障がい者、ひとり親家庭といった人びとの生存は、「最低限」ではなく、「品位ある保障(decent minimum)」を行うべきである。

柱となるのは、生活扶助、住宅手当の創設、失業給付および職業教育・訓練である。近年、最低限の保障であると言いながら、生活扶助の切り下げが続き、驚くべきことには、一部で違憲判決までが出される事態に至った。また、日本では、雇用保険の対象とならない非正規労働者が多いうえ、女性の非正規労働者の雇用保険への加入が不十分だという問題もある。失業給付の拡充、そして労働者の質を高め、労働市場に押し返していくための政策もまた、セットで提示されなければならない。

ベーシックサービスは、医療や介護、教育の無償化を通じて、生活保護のなかの医療扶助、介護扶助、教育扶助を不要にする。これらは生活保護全体の5割近くを占めており、救済される領域は劇的に縮小することになる。これを品位ある保障と組み合わせることで、生存と生活というふたつの「生」を保障し合うことができるようになる。困った人を助ける「社会保障(Social Security)」から、万人の「生」を保障する「ライフセキュリティ(Life Security)」へと政策理念は転換するのである。

ベーシックサービスが満たす承認欲求

以上の提案の根底にあるのは、「希望と痛みの分かち合い」という連帯共助の関係をどのように社会に埋め込んでいくか、という問題意識である。だが、単なる利益共同体として社会を編み変えるだけでなく、人間の本質的な欲求と関わらせながら、社会変革は構想されなければならない。

人間の本質的欲求とは何か。そのひとつが「承認欲求」である。哲学者アクセル・ホネットは、他者から認められたいという人間の欲求、すなわち「承認」のかたちを以下の3点に整理した。まず、家族や友人から無条件の愛情を受けている確信を持てたとき、次に、法の下で等しく取り扱われ、権利を与えられ、責任能力を持てたとき、そして、第三に、所属する集団のなかで、自分の能力が適切に評価されたとき、人びとは、それぞれ、他者からの承認を感得することができるようになる22

日本の状況を念頭にこの問題を考えてみよう。 1997 年にアジア通貨危機が勃発するとともに多数の失業者が生まれ、さらに翌98 年になると非正規雇用化と連続的な所得の減少が始まり、これ以降、自殺者の数が急増することとなった23

日本社会で注目すべきは、親密な関係を、親戚や近隣の他者以上に、職場において構築してきた点にある24。失業、雇用の不安定化、所得の減少は、男性労働者から職場という居場所を奪い、家庭における尊厳を消失させた。これらは「愛の喪失」や「評価の喪失」といった承認欲求の毀損とつながっていたのであり、それが大量の男性労働者の自死をもたらしたのであった。

本稿がベーシックサービスの導入とともに、消費税を軸とした税の痛みの分かち合いを提唱したのは、まさに納税者として道義的な責任を果たす一方、権利において他者と等しい取り扱いを受ける社会を構想しているからである。政治哲学者ハンナ・アーレントによる次の指摘はきわめて示唆に富む。

「栄養を与える男の労働と生を与える女の労働とは、生命が同じように必要とするものであった。したがって、家族という自然共同体は必要〔必然〕から生まれたものであり、その中で行われるすべての行動は、必要〔必然〕によって支配される」25

繰り返そう。ベーシックサービスは生存、生活の必要からの解放を目指す。生存・生活が徹底的に保障されれば、労働者は、長時間労働やワンオペに象徴される「人間の非人間的使用」に対して異議申し立てを行えるようになる。ライフセキュリティは、肉体的必要に規定される、労働の場での従属や他者の支配からの解放とつながっているのである。

人間の非人間的使用に対する抵抗が可能となれば、家族とともに過ごす時間を増大させることができる。また、よりよい雇用環境を求めるための挑戦も可能となり、自らの価値を体感できるようになる。そして、税を通じた痛みの分かち合いは、他者の慈恵に依存するのではなく、社会の構成員としての道義的責任を果たしているという確信を人びとにもたらす。これらはすべて、承認欲求の充足と結びついていることは言うまでもない。

『世界価値観調査(World Values Survey)』によると、「国民みなが安心して暮らせるよう国は責任を持つべき」という質問に対して、8割近い回答者がこれに賛成している。答えは明確である。特定の層ではなく、自分も含めたすべての人たちが幸福になれる社会、これこそが国民の求める社会像である。その求めに応じて、私たちの社会をどのように変革していくのか。ベーシックサービスは、そうした社会変革をめぐる議論の「発火点」を見つけるための、有効な手段なのである。

【写真】Jonas Jacobsson on Unsplash

井手 英策 いで えいさく

慶應義塾大学経済学部教授。東京大学大学院経済学研究科博士課程を単位取得退学(経済学博士)。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て現職。『経済の時代の終焉』(岩波書店)、『18歳からの格差論』(東洋経済新報社)、『分断社会を終わらせる』(共著、筑摩書房)、『財政から読みとく日本社会』(岩波書店)など著書多数。近著は『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った?』(小学館)。2015年大佛次郎論壇賞、2016年慶應義塾賞を受賞。

  1. アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』岩波書店、1971年、第5巻。
  2. マニュエル・カステル『都市・階級・権力』法政大学出版局、 1989年、p.21。
  3. Jonathan Wolff, Fairness, Respect, and the Egalitarian Ethos, Philosophy and Public Affairs, 27-2, 1998.
  4. 尾藤廣喜、小久保哲郎、吉永純編著、生活保護問題対策全国会議監修『生活保護「改革」ここが焦点だ!』あけび書房、2011年。ちなみに、この数値は、スウェーデンでは8割、フランスでは9割に達している。
  5. Anna Coote & Andrew Percy, The Case for Universal Basic Services, Polity, 2020. Ian Gough, Universal Basic Services: A Theoretical and Moral Framework, The Political Quarterly, Vol.90, Issue3, 2019. Social prosperity for the future: A proposal for Universal Basic Services. Institute for Global Prosperity, UCL, London,2017. 筆者は2018年に公刊した『幸福の増税論 財政はだれのために』のなかで、この概念について論じている。
  6. Ian Gough, Move the debate from Universal Basic Income to Universal Basic Services, 2021. https://en.unesco.org/inclusivepolicylab/analytics/move-debate-universal-basic-income-universal-basic-services.
  7. OECD, “ Divided We Stand: Why Inequality Keeps Rising,” 2011, p.316.
  8. “Employment, growth and basic needs : a one world problem,” report of the Director-General of the International Labour Office, p.32. https://www. ilo.org/public/libdoc/ilo/1976/76B09_199.pdf.
  9. ハートレー・ディーン『ニーズとは何か』日本経済評論社、2012年、p.Xiii。
  10. たとえば、水道の場合、政府は水道施設を整備するが、その所有権じたいは政府に所属する。したがって、国民は、水道施設からもたらされる「サービス」に対して、一定の対価を支払ってこれを使用することとなる。
  11. Gough 2019, p.535及びL.ドイヨル & I.ゴフ『必要の理論』勁草書房、2014年、第4章を参照。
  12. Gough 2019, p.538.
  13. ちなみに公的負担割合が低い国は、日本と韓国、チリ、そしてアングロサクソン諸国である。日本の国公立大学の学士課程の授業料は、データが入手可能な国々の中で最も高い。
  14. 山本清「高等教育無償化政策と大学再編の可能性」 pp.41-2。https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/ 2018/05/pdf/039-047.pdf.
  15. OECD, Understanding the Social Outcomes of Learning, 2007のなかに教育が個人の選択、意思決定、行動に与えるさまざまな研究成果が紹介されている。
  16. OECD, Education at a Glance 2020.
  17. 前掲OECD2011およびOECD, Thematic Review of Tertiary Education, Vol.1, 2008.
  18. 前掲OECD2011, pp.122-3.
  19. 住宅は本来であればベーシックニーズのなかに位置づけられるべきである。しかし、政府が「財」の直接給付を行わない以上、住宅手当を創設し、これを可能な限り広い範囲の所得階層に給付していくことが求められる。なお、正確に言うと、住居確保給付金という制度があるが、原則3カ月、最大で 1 年しか給付されず、さらには「誠実かつ熱心に求職活動を行うこと」が要件としてかかげられており、普遍的な住宅手当制度とは言えないのが現状である。
  20. Monica Prasad, “How to Think About Taxing and Spending Like Swede,” New York Times, March 7, 2019.
  21. フィリップ・ルビロア「講演録 フランスの付加価値税制度について」『租税研究』日本租税研究協会、273号、1972年。
  22. アクセル・ホネット『承認をめぐる闘争〔増補版〕 社会的コンフリクトの道徳的文法』法政大学出版局、2014年、第5章を参照。
  23. 自殺者の数は、1998年以降、14年にわたって3万人を超えた。
  24. 高橋幸市&荒牧央「日本人の意識 40年の軌跡(1 )~第9回『日本人の意識』調査から~」2014年、p.31。https://www.nhk.or.jp/ bunken/summary/research/report/2014_07/ 20140701.pdf.
  25. ハンナ・アーレント『人間の条件』筑摩書房、1994年、p.51。
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