コレクティブ・インパクトの新潮流と社会実装
Vol.04
企業のダイバーシティ&インクルージョンの取り組みは「自分たちの領域へマイノリティを呼び込む」ことが多い。しかし、逆に「マイノリティの領域に歩み寄る」ことで社会の格差や不平等は大きく改善される可能性がある。特に将来性の高いテクノロジー分野で実践された画期的な「テックインクルージョン・モデル」を紹介する。※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 03 科学技術とインクルージョン』より転載したものです。リンダ・ヤコブ・サデー|スマダール・ネハブアリは、イスラエルに住むコンピュータサイエンスのエンジニアだ1。彼は、イスラム教を信仰するアラブ系のパレスチナ人家庭に育ち、地理的にも経済的にも国の中心地からは遠く離れた地域に暮らしていた。イスラエルの名門大学を出て、商都テルアビブで大手のソフトウェア企業に入社した彼は、アラブ人がほとんどいないIT 業界では例外的な存在だ。この会社には、アリが来るまではイスラム教徒もパレスチナ人もいなかった。職場の人たちは彼の文化やアイデンティティに馴染みがないし、理解を示すこともない。イスラム教の祝祭日には孤独感に襲われる。イスラエルの戦没者追悼記念日や独立記念日といった政治色の濃い祝祭日ともなれば、なおのことだ。おまけに都心で働くためには、通勤に往復4時間もかかる。テルアビブ市内でアパートを借りるなど、とても現実的ではないからだ。結局、1年もしないうちに会社を辞めてしまった。実は、こんな話はアリに限ったことではない。これは世界の成長産業、とりわけテック業界には疎外されたコミュニティ出身者がほとんど参画できていない、という実態を物語っている。ただ、人口比からみてもテック業界で職を得ている人の数が極端に少ないという状況は、彼らが経験している分断や疎外の一部にすぎない。地理的に隔離されている地域が「エキゾチックな観光名所」と扱われるのはまだいいほうだ。ひどい場合には、「犯罪などの危険に満ちた禁断の地区」だと見られることさえある。2つの社会の間に接点が発生するのは、飲食店やオフィス、建築現場などのマイノリティの人たちが低賃金で肉体労働に従事している場くらいだろう。両社会の交流が乏しいだけでなく、疎外されたコミュニティに住む人たちは、構造的な暴力や過剰な警察活動による抑圧も経験している。そのため、ハイテク業界への就職を志望しながらも、面接に対して心理的抵抗感を持つこともある。つまり、社会のなかに分断を永続させる仕組みがあり、たとえ企業側にあからさまな差別意識がなくても、疎外されたコミュニティを受容していることにはならないのだ。このように、ただでさえ高いテック業界への就職のハードルをはるかに上回る障壁が志望者の前に立ちはだかっている。その結果、疎外されたコミュニティの出身者で、テック業界を研究や仕事の場に選ぶのは、非凡な才能を持つごくわずかな人だけである。そういう人でも、社会的、文化的に孤立していると感じやすい立場に置かれている。このような分断があまりにも大きいと、テック業界でのキャリアが自分のために存在するとは思えなくなってしまう。成功者の前例がほとんどない業界で、自分がすんなり溶け込んでいる姿などそう簡単に想像できないだろう。職場のダイバーシティ、公正性(エクイティ)、インクルージョンを推進する取り組みがまったくなかったわけではない。しかし一般的には、企業がすでに持っているオフィスに、疎外されたコミュニティの出身者を採用するケースがほとんどだ。こうした受け入れ策が適切に実現するためには雇用者側の努力が必要だとの理解から、企業側は職場の「ダイバーシティ」や「インクルージョン」の推進に向けてさまざまな施策を打っている。具体的には、「最高ダイバーシティ責任者」の任命、平等な雇用機会に向けた採用制度の刷新、無意識バイアスを回避するためのダイバーシティ研修の実施、メンター制度の導入やダイバーシティ推進委員会の設置などがある。だが、こうした取り組みは、たびたび頓挫している。企業側は真摯に取り組んでいるとはいっても、個々の志望者にしてみれば、採用時だけでなく、就職後も長期にわたって幾多の壁を乗り越えていく必要がある。企業側の純粋な善意から生まれたマイノリティ採用の取り組みにも、不都合な現実がある。それは、そもそも応募者が少なく、その限られた応募者が必ずしも満足のいく資質を備えた人材とは限らない、というものだ。
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