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社会を動かすカーブカット効果: マイノリティへの小さな解決策から生まれる大きな変化

社会を動かすカーブカット効果: マイノリティへの小さな解決策から生まれる大きな変化

弱い立場に置かれている人々に特化した施策は、全体の利益を損なうわけではない。むしろ、マイノリティのための解決策が、社会と経済の両方に思わぬ波及効果を生み出すのだ。市民のゲリラ的なアクションがなぜ政策として国全体に広がったのか、それが政策形成における「公正性」と「公平性」にどう関わるのかを考える。

※本稿はスタンフォード・ソーシャルイノベーションレビューのベスト論文集『これからの「社会の変え方」を、探しに行こう』からの転載です。

アンジェラ・グローバー・ブラックウェル Angela Glover Blackwell

1970年代初頭のある夜、マイケル・パチョバスとその友達数人が、カリフォルニア州バークレーのとある歩道の縁石に車椅子で乗り付け、セメントを流し込んで簡単なスロープをつくると、夜の闇に紛れて消えていった1。パチョバスと障害者の権利を支持する仲間たちにとって、これは政治活動であり反抗の意思表示であった。「警察は私たちを逮捕すると脅してきたけど、逮捕はしなかった」と、パチョバスは当時を振り返る2。スロープは実用的でもあった。彼らがつくった即席の傾斜付きの縁石は多少のデコボコはあったものの、移動能力というかけがえのないものを障害者のコミュニティにもたらしたのである。

当時、バークレーだけでなく全米のあらゆる都市において、車椅子による移動は簡単ではなかった。1968年の建築障壁法(The Architectural Barriers Act)が、公共の施設を障害にかかわらず利用できるよう設計することを義務付けていたとはいえ、車椅子で道路を渡る際は、さながら障害物競争のようであった。トラックが出てこないようにといつも願いながら、道路の向こう側や家屋の搬出入口にある私道まで車椅子をこぐ必要があったし、私道と私道の間は車道に出る必要があった。カリフォルニア大学バークレー校に通っていた障害のある学生たちは当時、障害者の受け入れが唯一可能であったカウエル病院で暮らし3、次の授業がある教室が1つ前の教室よりも低い場所にあることを基準に時間割を組んでいた。

しかし、当時のバークレーでは政治的な運動が盛んだった。言論の自由、反戦、公民権などについての運動があるのだから、「移動」に関する運動があっても良いではないか。障害のある活動家たちに押され、バークレー市は1972年に初の公式な「カーブカット(段差解消)・スロープ」をテレグラフ・アベニューの交差点に設置した4。とあるバークレーの活動家の言葉を借りるならば、これは後に「世界中に名前が知れ渡ったコンクリートの塊」となるのである5

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