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寄付金のダークサイドについて語ろう

寄付金のダークサイドについて語ろう

非営利団体は、評価の分かれる相手からの寄付を受け取るか拒否するかを、どう判断するべきだろうか。まずは見返りとして相手に与えるものは何かを考えよう。

※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 02 社会を元気にする循環』より転載したものです。

ローレン・A・テイラー Lauren A. Taylor

1978 年、メトロポリタン美術館は、サックラー家への多大なる感謝とともにサックラー・ウィングを開館した。同家による数百万ドルの寄付のおかげで、この増築が実現したのである。サックラー家はパーデュー・ファーマという非上場製薬会社のビジネスで財を成し、当時すでに、名の知れた芸術界のパトロンだった。サックラー・ウィングの開館を祝して、駐エジプト米国大使がエジプトのツタンカーメン王の墓から出土した新たな収蔵品を披露し、マーサ・グラハム・ダンスカンパニーがパフォーマンスを上演した。サックラー家の寄付を皮切りに、同美術館は数十年にわたって多くの寄付を集め、一般向けサービスを拡充してきた。

それから40年後の2018年、そのサックラー・ウィングに抗議する人々が集結し、「サックラー家よ、恥を知れ」と書かれた黒い横断幕を掲げた。パーデュー・ファーマがアメリカのオピオイド中毒問題の拡大に加担し、毎年数万人もの過剰摂取による死者を出し続けていることに抗議して、彼らは何百本もの空の薬瓶をフロアにばらまいた。また、メトロポリタン美術館にサックラー家からの寄付の受け取りをやめることを要求し、美術館のフロアでダイ・イン(死者のように横たわり抗議する示威活動)を実行した。法廷では連邦司法省といくつかの州の検事総長が、パーデュー・ファーマが自社の薬品「オキシコンチン」の中毒性に関する情報を意図的に公開しなかったと申し立てた。

2019年になると抗議運動の影響が出始めた。メトロポリタン美術館は、今後サックラー家からの寄付を受け付けないと発表したのだ。同美術館館長のダニエル・H・ワイスは、同美術館は政治機関ではなく、寄付者を評価するための厳密な基準はないと市民に説明しつつも、「公共の利益、あるいは当施設の利益にならない贈与からは距離を置く必要があると感じている」と述べて、この判断を正当化した。ニューヨーク・タイムズは、フィランソロピー(慈善事業)評論家のアナンド・ギリダラダスによる同美術館の判断を称える論説を掲載した。その副題には「非営利団体は金持ちに利用されて良心を削り取られるべきではない」とある。

これに続いてロンドンのテートをはじめとする他の美術館も、サックラー家からの寄付を受け付けないとする公式声明を発表した。さらに最近になって、メトロポリタン美術館はサックラー家の資金援助で建てられたウィングから同家の名を外すことを決めた。数十億ドルもの資産を持つサックラー家だが、各美術館は、同家からの寄付はその価値を上回るトラブルを招くと判断したのである。

寄付者<ドナー>との金銭関係を見直す近年の動きは美術館以外にも広がっている。2018 年には20以上の保健医療系学部の学部長が、たばこ大手のフィリップ・モリスが支援する財団からの資金提供を辞退する公開書簡を共同で執筆した。同じ年、移民家族を支援するテキサス州のある非営利団体は、顧客関係管理ソリューション大手のセールスフォースからの25万ドルの寄付を辞退した。同社のクライアントの中に米国税関・国境警備局が含まれたからである。2019年にはマサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボに市民の厳しい目が向けられ、性犯罪で有罪判決を受けたジェフリー・エプスタインが同校に寄付していたことが発覚して、何人かの教職員が辞職した。

こうした耳目を集める事例は、非営利団体の経営者らが直面する、より大きな課題を浮き彫りにする。非営利団体のほとんどは、寄付金に支えられて社会的価値を生み出しており、非営利団体の経営者は、多くの制約があるなかで、誰の寄付を受けるかを判断しなければならない。全国的な知名度のない小規模な非営利団体が寄付を依頼できる相手は限られる。非営利団体が巨額の寄付を集めたい場合、寄付者の候補はさらに限定されるだろう。寄付者は一般的に裕福な個人や企業だが、それらの評判は一様に良好なわけではなく、事業慣行、租税回避行為などを根拠としたさまざまな評価が入り交じっている。最近では相続による富裕層への風当たりも強くなってきている。かつては明らかに法を犯している寄付者だけを避ければ十分だと思われたかもしれないが、昨今は非営利団体が自らのミッションや価値観と合致しない活動を行っている寄付者から金を受け取ることに対する世間の目も厳しくなってきている。道徳的にまったくやましいことのない生き方が仮にあったとして、それを実践している人など誰もいないことを考えると、この厳しい条件をクリアする寄付者は存在しないように思われる。

非営利団体が、いわゆる「ダーティー・マネー(汚れた金)」を回避することについて、世の中の意見は割れている。政治理論学者マイケル・ウォルツァーは、道徳的な理由で非道徳的な行為に手を染めることを「ダーティー・ハンド(汚れた手)」と呼んだ。ダーティー・マネーを受け取ることの是非にかかわらず、ダーティー・ハンドを避けることが非営利団体にとってきわめて重要だと考える人もいる。一方で、お金自体に色がついているわけではなく、出資者に関係なくすべての寄付には正当性があると考える人もいる。後者の見方をすれば、道徳的な問題は存在しない。

では、ダーティー・マネーの問題の本質とは何だろうか。本稿で提起するのは、ダーティー・マネーと呼ばれる道徳的問題が、正確には金銭の問題ではなく、非営利団体と寄付者の間の交換条件の問題だという議論である。非営利団体が、寄付の返礼として寄付者に影響力や評価を与えようとする場合、そのような取引は実害をもたらしうる。大規模な非営利団体が関われば、その害はとりわけ大きく、際立つだろう。しかし、非営利団体の規模を問わずこの問題は存在する。本稿の結びで、道徳的問題をはらむ寄付を非営利団体が審査する方法を解説する。そのフレームワークは、スタンフォード大学の政治学者ロブ・リーシュによる非営利団体への寄付の反民主主義的効果の研究を補足するかたちで、非営利団体経営者のこの問題に対する理解を深めることを目的としている。

私は数年間の調査と執筆活動を通して、非営利団体に対する寄付の問題に取り組んできた1。その過程で、非営利団体の経営者を集めて2度のオンライン実験を実施し、2件の架空の寄付のオファーについて一連の選択をしてもらった。1度目の実験では、被験者が非営利診療所の経営者だという想定で、砂糖入り飲料メーカーからの寄付を、2度目の実験では、暴力犯罪で起訴、告訴、または有罪判決を受けた経歴のある人物からの寄付を取り上げた。どちらの実験でも、非営利団体の経営者には、寄付金額が多いか少ないか、寄付を匿名にするか公開するか、使途の制約があるかどうかといった点について、選択肢を与えた。それに加えて定性的調査として非営利団体の経営者44人にインタビューを行い、さまざまな形態の寄付について受け入れの意向を聞いた(私が気に入っている質問の1つは「寄付者を決して外部に漏らさないという合意があった場合、アメリカ・ナチ党からの寄付を受け入れますか」である。イエスと答えた人もいれば、ノーと答えた人もいた)。

ダーティー・マネーに関する問いは、非営利団体だけでなく、初期段階の社会的企業や、ベンチャーキャピタルからの資金調達を検討している営利企業にもジレンマをもたらす。たとえば、2018年にサウジアラビアの反体制派ジャーナリストのジャマル・カショギが殺害された事件をきっかけに、シリコンバレーではスタートアップはサウジアラビア政府系ファンドの投資を受け入れるべきか否かという議論が巻き起こった。本稿での議論は資金面の制約や活動の社会性から、金銭取引の倫理がとりわけ大きな意味を持つ非営利セクターに関するものだが、金銭取引の倫理の見直しが行われている他の状況やセクターにも有効である。

取引としての寄付

非営利団体の倫理に関する一般的な学術研究において、出資者から受領者への一方通行の資金の流れを示唆する「寄付(donate)」やそれに類する単語が頻出する。この表現では、非営利団体はあくまでも受動的な立場に置かれることになり、寄付者と非営利団体の間に働く力学が反映されない。その結果、この問題を倫理的観点から掘り下げようとする場合には役に立たない。そこで提案したいのが、伝統的に「金銭の寄付」と呼ばれてきたものを寄付者と非営利団体の間の「取引(exchange)」と考えることである。

ここでの「取引」という言葉は、商品・サービスの一過性の等価交換としてではなく、時間とともに発展する互恵的な関係として広義に解釈する。一般的には取引において最も目立つ面はお金のやりとりかもしれないが、これはあくまで取引の一部に過ぎない。比較的目立たないもう1つの面が非営利団体による寄付への返礼だ。非営利団体はお金以外の微妙な取引にも関わっているのである。ダーティー・マネーの倫理を理解するには、非営利団体が寄付者から何を受け取るかだけでなく、寄付者に返礼として何を与えるかという点も考慮する必要がある。

●非営利団体が受け取るもの
ダーティー・マネーの議論では、非営利団体が受け取る金の出どころに目が行きがちだ。「ダーティー・マネー」という言葉自体が、不正に手を染めている、あるいは評価の分かれる相手からの寄付金には本質的に非道徳的な何かがあるということを示唆する表現である。そうだとすれば、そのような出資者の金は、どこをどう流れようとも汚れている。しかしこの考え方は見当違いであり、誤解を生む表現だ。結局のところお金はお金であり、ほとんどの非営利団体にとって、寄付金とは要するに銀行口座にひもづけられたデジタルデータである。誰かが1ドルを寄付したとして、その出どころを確認するのはまず不可能だ。実際、自分が手にする1ドル札が、自分の財布や口座に入る前にマフィアやテロ企業を経由したかどうかなど、誰にもわからないのである。

評価の分かれる相手から寄付されたお金が本質的に汚れているのであれば、おそらく非営利団体はそうした相手から受け取る寄付を減らそうとすることはあっても増やそうとすることはないだろう。しかし、非営利団体の経営者に実施したインタビューの結果は逆だった。先に紹介した実験において「アメリカ・ナチ党」というとんでもない相手が寄付を申し出ているという架空のシナリオが提示された。これに対してほとんどの経営者が、寄付金が1000ドルだったら断るが、数百万ドルだったら受け取るかもしれないと述べた。この結果は、お金を受け取ること自体が問題なのではないということを示唆している。寄付を受け取るか否かの判断は、取引の内容次第だったのである。

寄付を受け取ることを選んだインタビュー対象者は、「どのみち道徳的に問題のある相手とつきあわなければならないなら、それと引き換えにたっぷりお金をもらったほうがいい」とその理由を説明した。
この実験が示唆しているのは、ダーティー・マネーに関する非営利団体の経営者のいちばんの懸念は関係性だということである。たとえば、多くの非営利団体経営者は、自身の団体のミッションにそぐわない寄付者から直接金を受け取ることを躊躇した。「あなたが非営利診療所の経営者だったとして、砂糖入り飲料メーカーからの寄付を受け取りますか」という問いに対しては、多くの非営利団体経営者が「受け取る」という答えを躊躇した。しかし、「もしその寄付者の匿名性が必ず守られることを保証されているとしたらお金を受け取りますか」という問いには、過半数が、「辞退する」という選択を考え直した。さらに、「そのお金が裁判所命令により差し押さえられた寄付者の財産だった場合、受け取りますか」という問いには、管理者のほぼ全員が「受け取る」と答えた。このような架空のシナリオの研究から、ダーティー・マネーの倫理的問題の本質は、金の出どころよりも、その出資者との関係にあるということが浮き彫りになった。

●非営利団体が与えるもの
私の調査によると、大半の非営利団体経営者がダーティー・マネーに抱く嫌悪感は、不正に関与する寄付者に対して何かを返礼として「与える」ことと関係している。取引を通して非営利団体が寄付者に利益を与える場合、それが後々、その非営利団体、ひいては社会全般に害を及ぼす可能性がある。ここで「害」を、法哲学者ジョエル・ファインバーグの研究にならい、「利益を妨げるもの」という意味で使用する。非営利団体は寄付者にどのように返礼するのかを考えるために相当の時間やリソースを費やす。こうした有形無形の返礼にはこれまでの寄付に対する感謝と今後の寄付への期待がこめられている。非営利セクターは寄付に頼っているため、寄付者と彼らの意向が経営の中心的な関心事になる。法理論学者エブリン・ブロディは「寄付者が課す条件がそのまま民間フィランソロピーの核心になる場合もある」とし、寄付者の意向の重要性を強調している。

非営利団体が寄付者からの資金集めで成果を最大化するには、寄付者の心象を戦略の中心に据える必要がある。一般的には、寄付者が資金を提供し、それを受け取った非営利団体が返礼として何か価値のあるものを提供すると考えられるが、この順序が入れ替わることもありうる。全米経済研究所の2018年の研究によると、資金援助を求めている団体の半数以上が、寄付の見込みのある者に対して、名前シールなどの物理的な贈り物や、ちょっとした記念品などを提供していた。

金銭の寄付を求めたりそれに返礼したりする際、非営利団体は寄付者に対し、「影響力」と「承認」という2つの価値あるものを提供することが可能であり、私はこれらが道徳的問題の源だと考えている。この2つを提供することによって、公共の利益や非営利団体(およびその受益者)の利益を損なう可能性がある。非営利団体の経営者は、自分たちに公共の利益を守る職業上の義務はないと言うかもしれないが、所属している非営利団体に対しては受託者責任がある。ダーティー・マネーに対する嫌悪感は、間違いを起こした人が非営利団体が与える影響力や承認によって、さらなる間違いをおかす可能性があるというきわめてわかりやすい理屈で説明できる。

非営利団体が寄付金と引き換えに寄付者に利益を与えていることを踏まえれば、ともすれば魅力的に見える次のような考え方の欠点が明らかになる。「不正を働く人々がお金を持っているよりは非営利団体が持っているほうが望ましく、そのような寄付者からのお金はとりわけ積極的に受け取るべきである」。このように考えれば道徳的な配慮が必要なくなるため、非営利団体の経営者には都合がよいかもしれない。だが、非営利団体の返礼行為という観点が抜けている点においてこのロジックには欠陥がある。そのお金を非営利団体が持っていたほうがよいとしても、それを受け取ることによって生じうる害については検討するべきである。

事例を紹介する前に、非営利団体と寄付者による取引について、本稿では取り上げない論点について明確にしておきたい。第一に、私はすべての寄付について道徳を追求するべきだと主張しているわけではない。私が指摘したいのは、寄付によって害が生じうる場合は問題だということである。第二に、影響力と承認を得ることだけが寄付者の金銭的貢献の目的だと言っているわけではない。当然ながら多くの寄付者には複合的な動機があり、利己的目的と利他的目的の両方が含まれることもあるだろう。私の見解では、ダーティー・マネーの道徳的問題を論じる際、寄付者の意図を検証する必要はない。その代わりに非営利団体は、影響力あるいは承認というかたちで寄付に返礼することが、いかに害を招きうるかを検討する必要がある。第三に、影響力や承認を与えることがすべての場合において不当もしくは不適切だと主張したいわけではない。非営利団体経営者のほとんどは、寄付者はその寛大さの見返りを得て当然だという考え方を違和感なく受け入れていると思われる。私が伝えたいのは、返礼として影響力や承認を寄付者に与えることによって弊害が生じうる、という点に尽きる。

影響力を与える

非営利団体はしばしば、金銭的支援の見返りとして、寄付者が寄付金の使途に影響力を行使することを受け入れている。場合によっては、この影響力が非営利団体の経営全体にまで拡大することがある。このような影響力は、寄付金の付属条件、あるいは「ひも」と呼ばれる。寄付金の使途として特定のプロジェクトやプログラムを指定する程度なら、特に問題はないだろう。しかし影響力が無視できない範囲に達することもある。たとえば寄付者が、非営利団体の事業範囲の変更を条件にする場合などだ(P.53「影響力と承認のリスク」を参照)。私がインタビューした非営利団体の経営者からは、団体が特定の公的アクション(アドボカシー活動など)を行った場合に寄付者が出資しない、あるいは寄付の払い戻しを要求するという条件をつけられたという話も聞いた。なかには命名権を持つ寄付者がその非営利団体に対する他の個人や組織からの命名権付き寄付を拒否する権利が与えられたという極端な例もあった。非営利団体は、こうした条件を承諾、拒否、あるいは交渉することができる。寄付金の用途に明確な条件をつけること以外にも、非営利団体が寄付者に影響力の行使を認める場合がある。たとえば、非営利団体が主な寄付者をガバナンス委員会に参加させるのは一般的な手法である。

寄付者の影響力が害をもたらしうるというのは具体的にはどういうことか。それを説明するためにいくつか例を挙げよう。最もわかりやすい例の1つがアンナ・ジーンズの話である。彼女は1907年、スワースモア大学に、「大学対抗スポーツ競技を行わないこと」を条件として100万ドル相当とされる土地を遺贈しようとした。このような条件付き寄付を受け入れれば、スワースモア大学のアスリートは競技に参加する機会を奪われ、彼らの利益が妨げられることは明らかだった。しかし、当時スワースモア大学が獲得していた寄付は100万ドルに届かず、ジーンズの寄付は何よりの恵みになる可能性があった。同校は最終的に、スポーツ競技は同校の中核的なミッションだとして条件付き寄付の受け取りを辞退したが、そこに至るまでには卒業生や地元紙によるかなりの議論があった2

より最近の例として、金融機関のBB&Tは2000年代初頭に、大学に平均110万ドルの寄付をする条件として、リバタニアリズム思想に多大な影響を与えたアイン・ランドの小説『肩をすくめるアトラス』が含まれる新カリキュラムの設計や、場合によっては学部長の地位、一連の講演会、その他プログラムを創設する権利を提示した。63校を超える大学が寄付を受け入れた。カリキュラムの決定や学問の自由の保護に誇りを持っている大学にとって、こうした条件の受け入れは、自校のミッションを損なうものである。

影響力がもたらす害がより深刻になるシナリオを想像してみよう。たとえば、ある寄付者が非営利診療所に寄付し、患者の大部分を占めている不法移民へのサービスにその寄付金を使ってはならないという条件をつけるケース。さらに害の大きい例として、不法移民を決して診ないことを条件に寄付するというケースを想像してみよう。実際、寄付者は長年にわたって、患者の人種を条件にしたこの種の寄付を医療機関に対して行ってきた。20年ほど前からようやく、人種に対する条件をつけた一部の寄付について、その適法性が法廷で判断されるようになった。寄付者との契約が人種に基づく差別を強いるものである場合、非営利団体がその契約に違反しても法的な罪に問われることはない3

非営利団体が、ある寄付者に依存していることを自覚している場合、明らかなひも付き条件がなくても、無意識のうちにその寄付者に影響力を与えていることがある。寄付に伴う具体的な義務は合意書や条件規定書に明記されることが一般的だが、特定のプログラムや非営利団体そのものの存続が懸かっている場合、非営利団体は寄付者に期待以上の見返りを与える場合がある。法学者のゼファー・ティーチアウトは、2014年の著書『米国の汚職』(Corruption in America)で、政界の汚職や金銭的癒着について論じたが、非営利団体にも同じリスクがある4。寄付額が大きい場合は特に、寄付の継続を働きかけなければ活動を維持できなくなるかもしれない。非営利団体の経営者が「伏してお願いいたします」という態度で寄付者にアプローチすることは、非営利団体の戦略に影響を及ぼしうる。ペンシルベニア州立大学の生命倫理学教授のジョナサン・マークスの言葉を借りれば、「寄付継続をちらつかせた支配」につながるからだ。これは返済猶予のための賄賂を要求されているような状況と変わらない5

弁護士のビクトリア・ペンが実施した、通信業界におけるAT&TとTモバイルの合併提案に関する調査は、寄付がいかに巧妙に影響力の獲得に使われるかを明らかにしている6。2016年のこの研究では、非営利団体への寄付を使って国の行政に影響力を行使したAT&Tの行動を調査した。対象となったのは、 AT&Tが全米有色人種地位向上協議会、中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟、ルイジアナ州のホームレス施設、アジア・太平洋諸島系学生のための奨学金など、多種多様な非営利団体に助成金を提供し、その後これらすべての団体が、AT&Tの提案する合併を支持する意見書を連邦通信委員会に提出したという事例である。各団体は意見書の中でAT&Tの寄付金の受領者であることを開示せず、AT&Tは各団体と取引があったという疑惑を否定した。しかしティーチアウトが論じたように、取引条件はあからさまな要求ではなく、暗に伝えられることが多い。この合併は最終的に司法省の裁定により成立しなかったが、非営利団体が合理的な利害関係のない合併審査に意見書を提出するといった行為は、規制プロセスの劣化を意味する。これは寄付者に影響力を与えたために生じた公益の侵害にほかならない。

影響力と承認のリスク
影響力と承認のリスク
非営利団体が寄付者に与える影響力と承認の種類により、害のリスクは変化する。

承認を与える

非営利団体が、寄付金の見返りとして寄付者に何らかの承認を与える場合に生じる弊害もある。承認というのはおしなべてプラスの評価である。そうでなければ貴重な寄付に対する返礼にはならない。

非営利団体からの感謝の気持ちは、ささやかな贈り物や感謝を表す記念品のようなかたちで寄付者に直接伝えられる場合もあれば、プレスリリース、篤志者表彰、命名権、イベントにおける賛辞といったかたちで公に表明される場合もある。こうした承認は、いわゆる「ハロー効果」を寄付者に与える。これによって寄付者は寛大さ、道徳的な正しさ、高潔さ、といった敬意の対象としてふさわしいという印象を得ることができるのだ。

非営利団体が寄付者に直接謝意を伝える場合、ハロー効果は限定的なものになるだろう。非営利団体が寄付者に直接提供するものは、ほとんどが実質的に無害である。少額寄付者に非営利団体のロゴ入りのマウスパッドを郵送したとしても、特定の個人の利益や理念を妨げることはまずない。しかし公の場での承認は2 種類の害につながる可能性がある。1つ目の害は、非営利団体が寄付者を承認する行為そのものによって生み出される。たとえば、虐待の加害者が、地域に貢献した人物として承認された場合、被害者の心の傷がいかに深まるかを考えてみてほしい。2つ目の害は、不正に関与する寄付者が、非営利団体からの承認を巧みに使って個人的な利益を得る⸺たとえば法的な刑罰を逃れる、あるいは単純に世論の支持を得る⸺場合である。非営利団体への寄付を不正の埋め合わせにするような行為によって、公共の利益が損なわれかねない。影響力のケースとまったく同じように、承認の提供はさりげなく行われる場合がある。非営利団体が必ずしも積極的な手段で寄付者を承認しなくても害が生じる場合がある。このリスクは非営利団体が寄付者を公にすることを容認するかぎりつきまとう。

もちろん、寄付によって必ず害が生じるわけではないし、ほとんどのケースでは生じないと言っていい。公的な承認であっても、それが局所的なものならばあからさまな害にはつながらないだろう。多くの非営利団体は一般的なしきたりとして、ウェブサイト上で入手できる年次報告書や、施設のロビーに設置した寄付 者銘板で、寄付者を明らかにしている。しかし、命名権やオフィシャルスポンサーシップなどより明白なかたちでの承認が行われれば、非営利団体と寄付者の関係はより多くの人々に伝わり、寄付者がその寄付行為を通じて世間の共感を呼ぶストーリーをつくる機会が広がる。後者の場合は、非営利団体におけるダーティー・マネー問題に発展しかねない。

たとえば、企業の社会的責任(CSR)キャンペーンは、企業の不祥事が明るみに出ても世論の支持を失いたくないという意図が背景にあることが多い。ビジネスの文脈では、企業から非営利団体への寄付は一般に「評判の保険」をかける取り組みの一環と見なされている。たばこ企業による大学や民間の研究開発プロジェクトへの寄付は、国際労働機関や黒人大学基金連合(UNCF)をはじめとする大手の非営利組織との長期的な関係と同じように、世論の支持や国の規制緩和への働きかけに一役買っていた。これはミネソタ大学の公衆衛生学教授であるハリー・ランドの言う「仲間に免じて許される」ことを狙った戦略である。

性犯罪で有罪判決を受けた資本家のジェフリー・エプスタインの行動は、非営利団体による承認の弊害の典型的な例である。ニューヨーク・タイムズの2019年の記事によると、エプスタインは学校やユース団体にコンピュータ50台を寄贈し、ミス・コンテストや2014年の子ども向け科学・数学フェアの支援など、慈善的寄付を通してバージン諸島の権力者に取り入った。2012年、自身の企業の1つであるサザン・トラストの事業認可申請の際、それまでの寄付に言及し、優遇税制の適用を図った。この事業認可申請に関する公聴会で、エプスタインの代理人である弁護士は、「エプスタイン氏のことを知るみなさんは、彼が過去11年にわたり、バージン諸島のさまざまな慈善団体に惜しみなく寄付してきたことをご存じでしょう」と述べた。その後、同社は優遇税制の適用を勝ち取り、バージン諸島の市民はエプスタインからの税収を得る機会を失ったのである。

たばこ会社とエプスタインの事例では、公共の利益に害が及んでいる。非営利団体が寄付者に対して公式な承認を与えたことによって、非営利団体自体の利益に害が及ぶ場合もある。組織の評判は最も重要な無形資産であると考える研究者は多い。とりわけ非営利団体の場合は、資金調達や事業の運営を含めて、さまざまな取引を円滑に進めるうえで評判が果たす役割を誇張しすぎるということはないだろう。

政治学者のテッド・レクターマンは、国境なき医師団(MSF)に肺炎ワクチンを寄付したアメリカのバイオ医薬品企業ファイザーの取り組みの分析を通して、承認を与えることがいかに非営利団体に害をもたらしうるかを明らかにした7。ワクチン提供というオファーを受けたMSFの指導部は、組織が短期的に得る利益と長期的に被る弊害のトレードオフを迫られていることを理解した。彼らが危惧したのは、MSFがワクチンを受け入れた場合、ファイザーを含む製薬会社全般に、高い市場価格を正当化する根拠を与えかねないということである。そうなれば、長期的には薬価改革の強力な推進者としてのMSFの説得力が失われ、 MSFの評判が下がる。MSFはこうした考えからファイザーのオファーを辞退した。レクターマンは次のように説明する。「一般的な選択肢の1つとして考えられるのは、結果としてシステム変化の可能性を下げるような救済戦略を排除することです。一時的な救済(の受け入れ)によってシステム変化の可能性が大幅に低下するような救済(の受け入れ)は許されないということです」。

害の大きさを測る

こうした問題を考えるためのツールとして、寄付者と非営利団体との交換取引によってどのような弊害が生まれるかを説明する2×2のシンプルなフレームワークを提案する(P.57「取引がもたらしうる弊害の事例」を参照)。4つの枠にはそれぞれ、影響力や承認の提供によって公共の利益や非営利団体の利益が妨げられる例を挙げている。非営利団体の理事会はこのフレームワークを用いて、寄付を受け取ることに伴うリスクを検討できるだろう。

非営利団体の経営者は、自分の団体に降りかかりそうな弊害の特定に傾きがちである(フレームワークの下段を参照)。公共に与える害の原因が自分たちにある場合、その特定は容易かもしれない。しかし、真面目にこうした問題に取り組んでいる経営層でも、自分たちだけが原因ではない場合まで公共に与える害について気にする必要があるのかと感じるかもしれない。たとえば、寄付者が裁判で減刑を求めるために、慈善的寄付の実績を提出して認められたとしたら、受益者の非営利団体はその結果に責任を負うのだろうか。私は、一定の限られた状況において、答えはイエスだと考える。合理的に予見できない害について、非営利団体が説明責任を問われるべきではないが、無知によってもたらされた過失を免責されるべきではない。

哲学者のデビッド・ルバン、アラン・ストラドラー、デビッド・ワッサーマンは、論文「官僚制の時代における道徳的責任」(Moral Responsibility in the Age of Bureaucracy)のなかで、責任の所在を特定不能にする組織の一般的慣行を突き止め、その対応策として、出発点となる問いを次のように提起した。「上司も部下も責任を負わない場合、責任が(組織の中の)どこからか魔法のように出てくるという不可解な状況に直面する。『彼らは知っていたのか、それとも知らなかったのか』と問うのは『二流』の質問だ。正しい質問は『彼らは知っているべきだったか』なのだから」。

寄付者が自らの寄付を政治的あるいは個人的な目的のために使う可能性を、非営利団体のスタッフが予見するのは難しいだろう。私が推奨するのは、「ダーティーかもしれない」寄付を審査する際に、「寄付者が影響力や承認を有害なことに使う可能性を把握しておくべきだったか」とスタッフが自らに問うてみることだ。この問いにイエスと答えられるなら、その非営利団体が寄付を受け取ることには当然、ある程度の責任が伴う。さもなければ、ギリダラダスが2019年にニューヨーク・タイムズに投稿した前出の論説の副題にあるように「非営利団体は金持ちに利用されて良心を削り取られるべきではない」のである。自分が利用される可能性を考える場合、ある程度の慎重さが必要だろう。害を及ぼす可能性がありそうだと思われる寄付者は滅多にいないものの、そうした寄付者がダーティー・マネーに関する一般市民の疑惑を招くのである。

ダーティー・マネーがもたらす害に関する議論はいったんこれまでにして、大事な論点に話を戻そう。寄付はそれを受け取る非営利団体に大きな恩恵をもたらす。スタッフへの支払い、キャパシティへの投資、公共財の提供、セーフティネットサービスなどの財源となるからだ。ここまで私は寄付金を受け取ることによって害が生じる可能性を論じ、場合によっては非営利団体にも責任があると指摘してきたが、寄付を受け取るかどうかの判断はたいていの場合、発生しうる便益と損害を比較検討する費用便益分析に基づいて下される。もちろん、このような評価は複雑になるかもしれない(場合によっては複雑であってしかるべきだ)。ここでは、コスト面の弊害をどうやって見きわめるかについて述べておきたい。コストとして生じる害は、寄付者が過去にもたらした害ではなく、非営利団体が寄付者に影響力や承認という返礼を与えることによって、今後発生する可能性のある害である。

非営利団体が置かれている状況はさまざまなので、受け取るべき、あるいは受け取るべきではない寄付の種類について画一的な提案をすることはできない。どのような規模の非営利団体も、寄付者を承認することで生じうるインパクトを検討する必要がある。アメリカ赤十字社が、イベントで誰かを「代表的スポンサー」と承認することは地域で炊き出し支援を行っている団体が同じことをする場合よりもはるかに重い意味を持つ。また、非営利団体のミッションが異なれば、同じ寄付者に対して判断が異なる場合がある。たとえばナショナル・フットボール・リーグは、子どもの運動を推進する非営利団体にとっては歓迎すべき相手だろうが、脳しんとうや脳損傷を調査する非営利団体にとっては忌避すべき相手かもしれない。他にも多くの判断軸が関係する可能性があるため、個々の非営利団体、あるいは少なくとも事業の領域ごとに許容できる取引を判断するための独自の原則や基準を設定することは、避けて通れない課題であるといえるだろう。

取引がもたらしうる弊害の事例
取引がもたらしうる弊害の事例
非営利団体が寄付者に影響力や承認を与えることにより、一般社会や非営利団体自体に害をもたらす可能性がある。

提言

寄付者と非営利団体の取引には現実的なリスクが伴うが、非営利団体はその内容を事前に慎重に検証し、管理することができる。本稿の結びとして、非営利団体の理事会と経営者に向けて、組織のベストプラクティスの構築や、それぞれの寄付案件の審査における助言を以下にまとめた。

●害の可能性を明確化する
非営利団体の活動によって生じうる害について考えてみるとよい。本稿では、根拠のない道徳的なパニックを避け、より本質的な会話を構築するための用語とフレームワークを提示した。共感するところがあれば、それを組織の他のメンバーを巻き込む際に役立ててほしい。許容と弊害という考え方を利用して、寄付の受け取りで生じうる害を組織の上層部が明確に説明できるようにサポートしよう。また、自分たちの組織にふさわしい、より具体的な原則や基準の策定についても時間をかけて話し合おう。

●判断のフレームワークを単純化しすぎない
ほとんどの場合、そして高額寄付の場合は特に、「この寄付者のオファーを受け入れるか、それとも拒否するか」という問いはあまりにも単純である。寄付は長期的な取引の一部だと認識すると、寄付者に一方的にお願いするのではなく交渉するという気持ちで臨む勇気が湧くだろう。弊害が生じるリスクが懸念される場合は、ブレインストーミングを実行し、よりリスクを軽減するかたちで寄付者に影響力や承認を与えることを検討しよう。リスクを軽減する1つの方法は、期間を限定することである。たとえば、取締役会に無期限に席を用意する代わりに、何年かの任期を提示するとよいだろう。この種の価値を永続的に提供することのリスクは、至るところで次々と顕在化している。寄付者が非営利団体から「安上がりな栄誉」を得ようとしていることを感じ取ったら、匿名のままの寄付を依頼することを考えよう。

●コミュニケーションを増やす
評価の分かれる相手からの寄付を、黙って、あるいはなるべくこっそりと受け取りたいという誘惑を避けること。判断の背景を明かさずに寄付者の名前だけを出せば、世間は想像をたくましくする。詮索好きな人々に「この非営利団体は世間知らずでこの寄付者にどんな評判があるか聞いたことがないのか」「この非営利団体は寄付者の不祥事を知っているにもかかわらず、自分たちが利用される可能性を理解できないのか」「この非営利団体は弊害を認識しているのに、利益を得るためにはやむを得ないと判断するのか」と詮索されるかもしれない。こうした問いに対する答えしだいで、世間からさまざまな反応が返ってくることは想像に難くない。判断のプロセスを公的に伝える場合は、その過程で組織内における審議を深めることで、批判を受け止めて反論する準備ができる。MSFがファイザーの寄付を辞退した事例は、この種の「真実の告知」にほかならない。自らケーススタディを行う意欲のある非営利団体が増えれば、ダーティー・マネーをめぐる議論のレベルが向上するだろう。

●仕組みとしての解決策を検討する
寄付を個別に評価するのはあまりに大変だと思うかもしれないが、個々の意思決定者の道徳上の負担を取り除くための仕組みとしての解決策⸺具体的には白紙委任信託⸺という選択肢もある。白紙委任信託とは、地域の銀行などの第三者が管理し、寄付者が資金を振り込める口座のことである。「白紙委任」とは、非営利団体のスタッフがその口座を監視することも、出金することもできないことを意味する。このような信託を立ち上げることにより、非営利団体と金銭的寄付者の関係が実質的に断たれ、それによって、非営利団体が寄付者に影響力や承認を与えることのリスクを除去できる。白紙委任信託は非営利セクターでは新しい取り組みかもしれない。白紙委任信託は、選挙資金改革の一環で何度も試みられているが、この仕組みを使った政治運動への寄付は年々減少している。寄付者の主な動機を踏まえると、非営利セクターでも同様の流れになるだろう。しかしそれでも、一部の非営利団体にとっては、理論と実践面における誠実さ(インテグリティ)を保つために支払う価値のある代価かもしれない。
最後に、寄付者と非営利団体の取引について考える際、私たちは政治哲学者がいうところの「非理想」的世界に生きていることを忘れるべきではない。現実の世界は腐敗し、不公平で、不正が横行している。

道徳的な完全性を要求することは無謀であり、それを期待すれば、フィランソロピーに関する微妙で複雑な対話が進まない。実際のところ、世界が非理想的であるからこそ、特にアメリカにおいては、非営利団体に対する依存が大きいのである。こうした組織は、個人の強欲さへの対抗措置として存在しているともいえる。非営利団体に、あらゆるかたちの腐敗を避けて、やるべき仕事を果たすように期待することは不可能だ。非理想的世界の問題に対処するためには、非営利団体自体もその一部と認識する必要がある。非営利団体の「手」は、受け取る寄付によって、採用する手法によって、環境に与える影響によって、契約を結ぶ事業相手によって、汚れていくのである。

私たちは、このような非理想的世界で非営利団体が活動しなければならないことを前提に、非営利団体と寄付者の取引において何が非難に値するのか、賢明に判断するべきである。非営利団体は社会において重要な機能を果たしており、それらが強力であれば誰もが恩恵を受ける。非営利セクターが生き残るためには、非営利団体は不完全な人間が行う優れた行為を受け入れる力がなければならない。本稿でも明らかにしたように、実際にこうした行為が深刻な結果につながる場合もある。しかしそうでないほとんどのケースについては、批判には値しないかもしれない。特に、寄付と引き換えに影響力や承認を与える必要がない寄付については、一般的に問題はないというのが私の考えである。

これらの提言を読んで不安になったり不快になったりする人がいるかもしれない。たとえば私は、影響力や承認を寄付者に与えないことを条件に、どこからの寄付も受け入れる非営利団体を支持する。ただしそのためには、ひも付きでない寄付と、受領者以外に寄付者の名が知られないことを保証する「魔法の杖」が必要である。このような理想的な条件が揃えば、弊害が生じるリスクはゼロに近づき、金額にかかわらず寄付は害のない恩恵となる。この理想的な条件が揃うことが現実的ではないことは承知のうえである。それでも、もし非営利団体が寄付者にまったく見返りを与えなければ⸺さらにいえば、非営利団体と寄付者の間に一切の関係をつくらなければ⸺最も問題になりそうな人物や団体からの寄付であっても倫理的な問題は大幅に軽減できる。

コミュニティのリーダーたちにダーティー・マネーに関するこのような私の見解を説明すると「、甘すぎる」という反応が返ってくるのが常だった。一方、非営利団体の事業開発に携わる人たちからは「厳しすぎる」と言われた。中庸こそ最善というわけではないが、両者から不満の声があがったことに、私はむしろ安堵している。たとえ完璧な解決策が得られないとしても、日常的な経営上の問題を倫理的な観点から見直すことには価値がある。そのようなわけで、本稿を読まれた読者の不満を糧として対話がさらに前進することを願っている。

【翻訳】友納仁子
【原題】The Dirty Money Dilemma(Stanford Social Innovation Review, Spring 2022)

ローレン・A・テイラー

ニューヨーク大学の助教。同校の医学、公共サービス学、経営学のスクールで研究と指導を行う。

  1. 本稿は、社会学、人類学、組織論、法理論、企業倫理に関する広範な文献の内容を踏まえた、筆者のハーバード大学の博士論文の一部に基づく。
  2. Burton R. Clark, The Distinctive College, Piscataway, New Jersey: Transaction Publishers, 1970.
  3. Manuel Roig-Franzia, “Will’s No-Blacks Order Rejected,” The Washington Post, May 7, 2002; Frank D. Roylance, “Judge Finds That a Doctor’s Fortune, Now $28 Million, Will Not Go to Keswick Nursing Home,” The Baltimore Sun, November 11, 1999.
  4. Zephyr Teachout, Corruption in America: From Benjamin Franklin’s Snuff Box to Citizens United, Cambridge: Massachusetts: Harvard University Press, 2014.
  5. Jonathan H. Marks, “The Perils of Partnership: Industry Influence, Institutional Integrity, and Public Health,” Oxford Scholarship Online, March 2019.
  6. Victoria Peng, “Astroturf Campaigns: Transparency in Telecom Merger Review,” University of Michigan Journal of Law Reform, vol. 49, no. 2, 2016.
  7. Ted Lechterman, “Humanity and Justice in Access to Medicine: MSF’s Rejection of Free Vaccines,” 2017, quoted in Lauren A. Taylor, “Ethical and Strategic Issues in Non-Profit Resource Management,” doctoral dissertation, Harvard University Graduate School of Arts & Sciences, 2020.

翻訳者

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