
誰もがその人らしく働ける就業環境の社会価値
デジタル化で生まれる雇用が働き方の選択肢を増やす
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 03 科学技術とインクルージョン』より転載したものです。
大庭史裕 Fumihiro Oba|相良美織 Miori Sagara
バオバブ(Baobab)は AIのコア技術である機械学習のためのデータサービスを提供する会社で、その顧客にはカーネギーメロン大学、東京大学、マイクロソフト、日立、パナソニックなど、国内外の研究機関や大企業が含まれる。バオバブの提供するAI学習データを作成している人材の多くは、生活環境や障害などさまざまな事情で一般就労が困難な人々である。バオバブは企業として高品質のデータをスピーディに提供するという経済価値を追求する一方で、デジタル化によって生まれる雇用を社会から断絶された弱者につなぐ仕組みをつくるという社会価値の創造に貢献してきた。後者の価値こそが自社の存在意義であるという気づきから、現在バオバブは「誰もがその人らしくいることが受け入れられ、人生の選択肢が開かれている社会」をミッションとして掲げている。
しかしながら、このミッションが包含する社会価値を、投資家、障害福祉施設、自治体など多様なステークホルダーと共有しようとした際に、参照できる体系化された枠組みや評価基準が存在しないという壁に直面した。これは多くの社会課題解決型企業に共通する問題だ。
バオバブがとった解決策は、外部の協力者との共同プロジェクトを通じて自社の目指す社会的インパクトを価値体系として整理し、独自の測定指標をつくることだった。本稿ではその過程と成果を、さまざまな社会課題解決を目指す企業がより正当に評価されるための社会価値評価モデルとして提示する。
障害があっても「やりがいある仕事」ができる
バオバブは2010年の創業で、当初は主に、機械翻訳の学習データなどを手がけていた。2015年にディープラーニング研究開発を行っているプリファード・ネットワークス(Preferred Networks, PFN)からの依頼がきっかけで、AIの学習データを作成するための画像アノテーションの事業を立ち上げた。
アノテーションとは、テキストや音声、画像、動画などのデータにタグやメタデータと呼ばれる情報・注釈を付与する作業だ。実際にどのような作業なのか。たとえばクライアントから「トマトの収穫時期に応じて、農作業者のシフト予測を目的とした画像認識エンジンを構築したい。そのための学習データをつくってほしい」という依頼がきて、[1]のような写真が提供されたとする。クライアントから提供された元データはバオバブの管理者によって、Web上のアノテーションツールに流し込まれ、アノテーターと呼ばれる作業者が形状や色、状態などの情報に紐づけたラベリングを行う[2]。こうした作業によって、データは初めて「学習データ」となる。

バオバブは全世界22カ国1200人以上のバオパート(Baopart)と呼ばれるアノテーターを抱えている。そのコアとなるのは、機械翻訳エンジンをつくるための学習データ構築プラットフォームに集まった留学生のネットワークから発展したコミュニティだ。リモートでも無理なく作業ができる環境とWeb上のツールをつくり、海外移住者や子育て中の主婦なども加わっていった。そこに障害のある人が参加するようになったのは、本稿の共著者である相良美織が2019年に青森県の障害者就労支援施設の経営者から、施設の利用者にアノテーションの仕事をやらせてみてほしいという依頼を受けたことがきっかけである。「健常者と同じ品質、報酬も同じ金額」という条件でトライアルをしてみたところ、障害のある人のなかにこの作業に適性のある人が多くいることがわかり、現在では国内の4つの障害者就労支援施設にアノテーションの作業を委託している。バオバブによる学習データの特徴は、スピーディな構築と圧倒的な高品質である。ではここで、あるバオパートの日常を見てみよう。
9:30になった。Yokoはいつも通り、自宅のPCの電源をONにし、Web上にある、アノテーションツールにアクセスした。「今日から新しいプロジェクトが始まるのよね。トマトのアノテーションだったかな」。介護中の父親は今朝は機嫌が良くなかったが、オムツも替えたいまは静かに寝ている。洗濯機と食洗機をかけながら、バオバブから提供されたアノテーション作業のガイドラインを読み始めた。
Yokoがバオバブからアノテーションの仕事を請け負って、もう3年になるだろうか。自らも障害があり、父親が要介護状態になってその世話を担当しながらできるこの仕事はノルマもなく自分のペースでできるので長続きしている。やりがいも感じている。「何より楽しく、癒やされる時間だ」。
バオパートにはYokoのような生活境遇により組織への就業が困難な人に加え、コミュニケーション障害、自閉症、発達障害などさまざまなハンディキャップを持つ人々が多く含まれる。彼らは働く意欲と能力を持ちながら、組織での就業に向かないという理由で雇用市場から断絶されている。バオバブはアノテーションを通じてこのような人々に経済的な自立の道を提供すると同時に、仕事への貢献意識と社会とのつながりの場をつくることを目指している。
Baopart プラットフォーム

アノテーションはIT関連事業者からは単純作業のクラウドワーク外注という側面のみで捉えられがちであるが、バオバブはクラウドワーカーを単にアウトプットのみでつながる匿名の作業者と見なさず、「パートナー」として扱っている。高い集中力と習熟力といった固有の才能の開発や、一般社会でのコミュニケーションに適応できない作業者に対してわかりやすく標準化されたコミュニケーションを行う仕掛け、また、仕事の支援者であるバオチェッカー(Baochecker)を通じた作業者との人間的なつながりの形成といった組織的な仕掛けを通じて、さまざまな制約や障害のある作業者に成長機会や精神的な充足感を与え社会参画への道をつくり出している。
AI開発における学習データを取り巻く変化
機械学習とは、モデル(入力されたデータを解析して出力する仕組み)が人間によって与えられた学習データの中から規則性やルールや法則や判断する基準を学び、自ら予測や判断をできるようにすることである。 学習データの用意はAIの開発の第一歩であるが、時間もコストもかかり、AIの開発において約8割を占めるといわれている。このように学習データの構築はAIのモデルを構築する研究機関や企業にとって高いハードルとなっている。
AIのモデルの精度向上において学習データの質に大きく注目が集まったきっかけは、2021 年3月に公開されたAIの世界における著名な研究者、Andrew Ng氏によるウェビナー、「A Chat with Andrew on MLOps: From Model-centric to Data-centric AI」である。彼はそれまでの常識であったモデル中心のAI開発から、データを中心にしたAI開発へのアプローチとデータの質の重要性を提唱した1。たとえば、AIのモデルの精度を評価する際に基準となるデータセットの中に誤ってラベル付けされたデータが多数含まれていた場合、その機械学習モデルの評価自体がゆらぐことになる2。その後も続いてデータに注目した論文や記事が発表され、現在「モデルの品質向上のために学習データが高品質であることは必須」という考え方は市場においてコンセンサスを得ている3。
1. https://youtu.be/06-AZXmwHjo
2. https://www.technologyreview.jp/s/238631/error-riddled-datasets-are-warping-our-sense-of-how-good-ai-really-is/
3. たとえば「AI Adoption in the Enterprise 2021」
https: //www.oreilly.com/radar/ai-adoption-in-the-enterprise-2021/
“Everyone wants to do the model work, not the data work”:Data Cascades in High-Stakes AI by Google Research https://research.google/pubs/pub49953/
営利企業であるバオバブは、創業当初からこうした社会価値の創造を明確なミッションとして掲げていたわけではない。2019年に障害者就労支援施設に画像アノテーションの委託を始めてから、バオパート本人、その家族から、仕事のやりがいや楽しさ、社会参加への喜びといった言葉が繰り返し聞かれるようになった。そのなかで、障害や境遇によって一般的な就労が困難な人たちに対してやりがいのある仕事、働きやすい職場を提供していることこそが自社の社会価値であることに気がついた。しかし一方で、この価値を説明する言語や測定する基準がなく、投資家や事業パートナー、行政などと共有することの困難にも直面した。そこで、外部の協力者とともに、2022年にインパクト評価基準策定プロジェクト(社会価値の体系化プロジェクト)を開始した。そのなかで、以下の問いについて、改めて関係者へのヒアリングを行い、バオバブが社会で実現しようとしていることを言語化し、「誰もがその人らしくいることが受け入れられ、人生の選択肢が開かれている社会」を実現するという新しいミッションの策定に至った。
- バオバブの価値は何か
- バオバブは何を大切にしているのか
- バオバブは何を目指しているのか
- そもそもバオバブは何のために存在しているのか
より包括的な評価の仕組みをつくる
バオバブの目下のチャレンジは、現ミッションが包含する社会価値を測定・説明可能にしていく体系づくりである。バオバブの仕事がバオパートにもたらしているインパクトを客観的に可視化するにあたり、さまざまな既存サーベイなどの利用を検討したが、包括的に社会的インパクトを測る指標として適切なものが存在しないことに気づいた。
投資性や事業性に偏りがちな既存の企業評価に対して、作業者のコミュニティや障害者雇用などの文脈も含む社会価値をクローズアップすることで、包括的な社会課題解決型企業の評価の仕組みができれば、バオバブのみならずさまざまな社会課題解決を目指す企業がより正当に評価されることにつながるだろう。その結果として、より透明でサステナブルな社会的インパクト投資が広がるきっかけにもなるのではないかと考えている。
その実現に向け、バオバブ、コレクティブマインド、マカイラ、マッキンゼー・プロボノメンバーの協働チームを立ち上げ、バオバブの社会価値の体系化プロジェクトを実施した。以下ではその結果の一部を紹介する。本プロジェクトでは、バオバブのエコシステムがつくり出すインパクトを可視化し価値体系として整理することを目指し、以下のようなアプローチを行った。
- バオバブのアノテーションに従事する作業者(バオパート)、障害者雇用施設従事者、顧客である事業者へのインデプスインタビューの実施
- インタビューで得られたスクリプト分析を通じた価値要素と測定項目の抽出
- 協働チームのワークショップによる価値体系構造化の実施
- 構造化された価値体系の測定指標の設計
以下では上記のワークショップで構造化された価値体系を紹介する。
当事者インタビューから明らかになった社会価値
プロジェクトでは、インタビュースクリプトをチームで分析する活動を通じて、バオバブのエコシステムが作業者コミュニティにもたらしているインパクトを以下に示す6つの要素に分類した。また、各価値要素にはそれぞれ3~6の測定項目を抽出した。
バオバブの目指す6つの価値要素と測定指標

以下ではそれぞれの価値要素と測定項目と、それらが抽出された背景について説明をする。
1. 境遇の違いや障害の有無にかかわらず、誰もが仕事を通じた社会貢献意識と自己肯定感を得られる場をつくり広げる(測定項目:①②③④⑤⑥)
開かれたコミュニティを築くために、バオバブは単に参加の門戸を広げるだけでなく、エコシステム内でのコミュニケーションプロトコルを緻密につくっている。通常の企業組織に見られる作業者の「察し」や「行間の読み」に頼ったハイコンテクストの指示は、多様な背景を持つ作業者にとって作業参画の大きなハードルとなる。メール文面や口頭会話などすべての局面で言葉の曖昧さや省略が行われないローコンテクストのコミュニケーションルールを組織全体に徹底することでコミュニケーションの「内輪化」を防ぎ、多様な作業者の参画と協働を可能にしている。
作業者が仕事から得られる充足感は、作業結果への明確な成果基準とその評価からももたらされている。作業品質への評価は作業者の障害レベルや属性にかかわらず厳格に行われ、その報酬も成果に対し公正に支払われる。この透明性は作業者に手触り感の高い貢献意識を生み出し、高い取り組み意欲と充実感を生み出すことにつながっている。
コミュニケーション障害のあるバオパートの1人はインタビューのなかで「自分のやった仕事が成果として認められて、社会のIT化につながっていると考えるとどんどん意欲がわいてくる」と話した。バオバブは作業指示を伝えるだけでなく、作業結果が品質の高い学習データとしてデジタル社会の形成につながっていることを繰り返し説明し、仕事の意義を作業者に啓発することに力を入れている。「アノテーションを通じてデジタル社会を支える基盤づくりに参画している」という感覚は、社会から断絶され行き先の見えない単純作業を強いられてきた障害者に対して、自身が「社会と未来をつくる一端を担える存在」である、という自信と希望を生み出し、社会への参画意識と自己肯定感を醸成することにつながっている。
2. 仕事を通じてつながり支え合うコミュニティを創出する(測定項目:⑦⑧⑨⑩)
「バオバブではちょっとした雑談や愚痴なども話せる雰囲気がある。私個人のことを気にかけ知ろうとしてくれる。これはただ仕事を事務的に渡される他のクラウドワークとは大きく違う」とバオパートの1 人は話す。バオバブの仕事は作業者にとって生活の糧を得る手段だけではなく、精神的な「居場所」をつくり上げることにもつながっている。前述のローコンテクストのコミュニケーションプロトコルは、作業者がコミュニティ内の会話に参加するハードルを低めている。バオバブでは雑談や身の上話といった個人にまつわる会話がコミュニティリーダーであるバオチェッカーを介して積極的に展開されている。Slack 上では今日食べた食事や旅行の写真などが飛び交い、面識のない作業者の間でもメンバーとしての所属意識を持てるようなネットワークが形成されている。
クラウドワークに特有の匿名な関係ではなく作業者を固有名詞で理解し認め合う環境は、一人ひとりがコミュニティにとって欠かせないメンバーであることを作業者が実感し、自らも助け合いのネットワークに参画する意識を生んでいる。この相互扶助ネットワークは個人の突発的な作業制約などをメンバー間で補いチームで要求される納期や精度を担保していくことを可能とし、品質の高いアノテーションサービスを生み出すことにもつながっている。
3. アノテーションを通じて働き手の才能を発掘・開花させ新たな働き手の市場を広げる(測定項目:⑪⑫⑬)
障害のある作業者のなかには、健常者が通常30分程度で挫折してしまうようなアノテーション作業を数時間にわたり高い集中力と精度を維持しながら取り組むことができる才能を持つ人材がいる。こうした作業者は多くの人がうんざりしてしまうような量と精度の仕事をこなしながらも「仕事は楽しく没頭できる。もっとたくさん仕事をしたい」と笑顔で話す。これらの才能の持ち主は通常の企業組織への適応力がないだけで排除され放置されてきている。
バオバブは境遇や障害の有無にかかわらずこれらの才能を持つ人材を発掘し育成・開花させることを実践している。具体的には、バオチェッカーを介して、初心者にはわかりやすいインストラクションで取り組みやすい作業を経験してもらい、画像認識やテキスト処理など各作業者の得意に合わせた仕事の見極めや、段階的なスキルアップができる支援を行っている。この仕組みは作業者一人ひとりが自分のペースで能力とキャパシティを高めていくことを可能にし、才能の開花による仕事意欲の継続をもたらしている。仕事参画への十分な能力を持ちながらも企業や組織の枠組みに適合しないという理由で排除されている潜在的な働き手の市場をつくることで、事業課題と社会課題の両面を解決していくことができると考えている。
4. 経済的な自立への道を開き、働き手とその家族が未来をあきらめることのない世界をつくる(測定項目:⑭⑮⑯⑰)
障害者は保護という名目で事実上の搾取に晒されやすい存在であり、経済価値の低い作業や中間搾取による低賃金を受け入れざるを得ない状況に置かれているケースが多い。アノテーションはデジタル化により社会が得られる経済的利潤を、学習データ作成で支えている作業者に対してフェアに還元できる可能性を持つ分野である。バオバブはこの機会を従来の保護型搾取の構図に陥ることなく価値に見合ったかたちで作業者に還元する仕組みの構築を目指している。そのためには、作業者の境遇や障害の有無にかかわらず、アウトプット品質に対する透明な評価と報酬を約束すること、それにより仕事での能力向上や努力が報酬やキャリアアップに直結していく(健常者の世界では当たり前の)原則をエコシステム内に実現することを目指している。
「お給料で母に初めてケーキを買ってあげた」「これまであきらめていた将来を少しずつ考えることができるようになった」。インタビューを行った障害のある作業者からは、バオバブの仕事に従事することでの経済面での生活改善に加えて、仕事人としての自信の回復と将来の生活やキャリア展望を得ることができたという声が多く聞かれた。これは本人だけでなくその家族の将来の不安や負荷を軽減することにもつながっている。適切なコミュニティ形成と透明な評価・報酬システムにより、中間搾取者による仕事や報酬のコントロールを排除し、従来型の組織に属せない弱者がフェアなかたちで仕事に参画できるようにすることで彼らを経済的な自立の道に導くことが可能となる。
5. 多様な生活様式と仕事の両立を許容するユニバーサルワーク環境を広げる測定項目:⑱⑲⑳㉑
明確なコミュニケーションプロトコルと評価システムは、作業者が仕事に従事する時間と場所の自由度を高めることにつながる。バオバブでは仕事の指示(インプット)と成果(アウトプット)が明確に定義されているため、作業者は自身の生活に合わせて自由に作業場所や時間をやりくりすることができる。バオパートには介護や子育てといった時間的制約や心身の好不調の波により定時出勤を強いられる組織雇用からドロップアウトしたメンバーも多い。「バオバブの仕事は自分の生活リズムに合わせて生活の中に取り込める」「急に体調が変化してもバオチェッカーが仕事の調整をすぐに手助けしてくれる」とバオパートらは話す。彼らは自身の生活スタイルを維持しながら仕事に参画し、コミュニティ相互扶助の仕組みにより稼働の波をメンバー間で吸収しながら成果を出している。このようなユニバーサルワーク環境はデジタル関連の仕事が都市部に集中する雇用の地域間偏在の解決にもつながる。
6. 住居・国籍・人種・ハンディキャップの有無による機会不平等をなくす(測定項目:㉒㉓㉔)
バオパートとしてアノテーションに従事する作業者の国籍・性別・年齢は多岐にわたる。この多様性は前述の仕事のプロトコルの明確性とユニバーサルワーク環境に支えられている。エントリーバリアが低く、人の属性を選ばない機会提供の仕組みは、さまざまな要因で雇用機会の不平等と生活苦に直面している人々に自立の機会を提供する。障害者にとどまらず、難民や移住者、経済的な理由から望まない関係に縛られている人、学歴や職歴を軸とするキャリア形成から取り残された人など、彼らが陥っている境遇の不利が雇用の不利を生み出し続ける負のサイクルを断ち切ることをバオバブは目指している。それはデジタル化による経済的な恩恵や自己実現を一部の強者だけに留めず、多様な人々へと循環させていく仕組みを広げていくことにもつながる。他のアノテーションやクラウドワーク事業者も類似のミッションを持ち、さまざまな分野や地域で参入することで健全な競争を通じた雇用拡大が実現できる。
今回作成した価値体系は、約60問の質問から成るサーベイとして、バオバブのエコシステムの参加者に展開することを予定している。サーベイを通じた定期観測によって本価値の継続測定を行い、バオバブのミッションの実現度を測ると同時に継続的な運営強化につなげていく。また今後、働き手に対する価値だけでなく、アノテーションサービスの利用者である顧客側に対する価値の体系化と測定を行っていくことも計画している。
顧客開拓とクロスセクター連携における課題
バオバブは、働き手に対する価値提供面で他社にはない仕組みを有する一方で、顧客の開拓と、福祉施設・自治体等との連携スキームの確立において課題を抱えている。
バオパートの仕事への意欲はきわめて高く、新たな参加希望者も拡大している。彼らに安定的な仕事を供給していくためにはアノテーションサービスを利用する顧客数をさらに拡大する必要がある。現状バオバブは働き手の組織化を高いレベルで実現している一方で、ブランド認知や顧客開拓・営業提案における体制は十分とは言えず、口コミに頼った顧客獲得にとどまっている。アノテーション需要が拡大しているなかで、内製化や他クラウドサービスなどの潜在競合先は増加している。今後、顧客への認知と提案力を組織的に高め、安定的な仕事のフローとバオパートの拡大を両輪で進めていくかたちをつくれるかが大きな課題となっている。
もう1つの課題は、政策立案者や施設関係者との連携による自立支援スキームの確立である。障害を持つ潜在的な働き手の多くは障害福祉施設に所属していることが多いため、バオバブはこれらの施設を介して仕事の斡旋を行い、働き手は施設から仕事を固定フィーで受けるかたちの就業が一般的となっている。これらの施設所属者のバオパートとしての参加を促進するためには、施設経営者や自治体と連携することにより就業能力開発と自立への段階的なスキームを確立することが必要となる。その場合、施設の経営状態への配慮や、仕事の分配ルール、就業フィーの取り決めなど、解決すべき課題は多い。
本論文を執筆している現在、世界は混迷と不安を極め、残念ながらその黒々とした霧が晴れる兆しは見えない。今後も住み慣れた国を追われ異国で生活を立て直さざるを得ない人の数は増えていくだろう。
2022年8月からバオバブでは日本における難民申請者の社会参画とエンパワーメントを目指すNPO法人WELgeeと協働でBaobab Annotation team Leader Training Programを開始した。これはバオパートを取りまとめるチームリーダーを育成するための取り組みであり、第1回のプログラムには日本国内に難民として暮らす女性の他にシリアやレバノンなど海外の難民女性も参加した。彼らが世界のどこにいても通用するデジタルリテラシーやチームマネジメントの能力を取得し、柔軟な働き方を実現すること、それがバオバブの目指す社会価値である。
今後この取り組みを真の社会的インパクトにつなげていくためには、デジタル関連企業、社会福祉団体、政府、自治体、NPO、他クラウドワーク事業者といったステークホルダーが本議論に参画し、さまざまな視点での意見交換を通じて共通ビジョンを形成することが重要と考える。本稿が「人生の選択肢が開かれている社会」づくりが個社の取り組みに閉じることなく、社会システムとして広がっていく一助となれば幸いである。
【画像】S O C I A L . C U T on Unsplash
大庭 史裕 おおば ふみひろ
株式会社コレクティブマインド代表取締役
マッキンゼー・アンド・カンパニーなどで、28年にわたりマネジメントコンサルティングに従事。ハイテク機器、通信、デジタル/ITサービス、製薬、化学、エネルギーなど多様な業界での戦略立案、事業開発、人材開発に携わる。ステイクホルダー参画によるビジョン形成や戦略策定と実践の道筋づくりに様々な実績を持つ。現在はアクションラーニング型人材開発サービスの提供、企業戦略や組織改革プロジェクトの設計・推進支援、ビジネスラーニングコンテンツの開発とe-Learningサービスの提供を行っている。慶應義塾大学理工学部修士。INSEAD経営大学院 MBA。
相良 美織 さがら みおり
株式会社バオバブ代表取締役社長
商社、金融業界を経て、2010年にバオバブを創業。2011~2014年、独立行政法人情報通信研究機構に「わくわく創造担当」として勤務。バオバブは創業以来、機械翻訳エンジン用対訳、画像アノテーション・タグ付け、音声タグ付け等学習データ構築サービスをCarnegie Mellon University やNTT東日本など日本/ 海外の法人・研究機関に提供。2022年にはコンピュータビジョンに関する世界トップレベルの学会であるCVPR 2022(The IEEE / CVF Computer Vision andPattern Recognition Conference)にて共著論文が採択。
2013年、AAMT(Asia-Pacific Association for Machine Translation)長尾賞受賞。2015年、言語処理学会代議員就任。2021年、東京女性経営者アワード受賞。2022年、Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2022 受賞。