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「自分らしさを増幅する」社会起業家のエコシステム: 日本的な知識創造体としてのETIC.

「自分らしさを増幅する」社会起業家のエコシステム: 日本的な知識創造体としてのETIC.

いま、日本においても多様な社会課題の解決に挑戦する社会起業家の存在感が増している。この社会起業家の育成、支援に日本で最も早くから取り組んできたのが、NPO法人ETIC.(エティック)だ。ETIC.がなぜ、多くの起業家が育つコミュニティとなりえたのか。その背後にはあらゆる「思惑」から起業家を解放するという独自の哲学に基づくエコシステムづくりがあった。

※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 01 ソーシャルイノベーションの始め方』より転載したものです。

勝見明 Akira Katsumi

紛争や貧困、格差や分断といった社会における根本的な問題への取り組みにおいて、“チェンジメーカー”とも呼ばれる社会起業家の役割が増している。彼らは国連が2015年に採択したSDGs(持続可能な開発目標)達成においても企業や行政などとの連携や、現場活動を通じて重要な役割を担う。この社会起業家の育成に日本で最も早くから取り組んできたのが、認定NPO法人ETIC.(Entrepreneurial Training for Innovative Communities.)だ。彼らが支援してきた社会起業家の業種やミッションは実に多様だが、ひとつの共通点がある。それは「生き方」として社会起業家を選んでいることだ。

ETIC.のアニュアルレポートを開くと、コーディネーターの意味合いをスタッフたちが言い表した言葉が並ぶ。「伴走者」「調整役」「黒子」「裏方」「『つながり』の連鎖を育むひと」「大いなるおせっかい」……等々。そのなかに「自分らしさの増幅役」という目を引く表現がある。ETIC.がなぜ、多くの起業家を輩出できたのか。その理由はこの表現のなかに凝縮されている。

求心力の強さと遠心力の創造性

1997年にNPOとして事業活動が本格化して以来、ETIC. が輩出した起業家(企業経営者を含む)は1805名に上り、そのうち学生向けプログラムのOBOG起業家も316名を占める(いずれも2020年度)。病児保育事業を展開する認定NPO法人フローレンスの駒崎弘樹、アジアでの児童売春問題の解決に挑む認定NPO法人かものはしプロジェクトの村田早耶香、10代に多様な学びの機会を届ける認定NPO法人カタリバの今村久美、社員を国内外の社会的企業などに派遣する留職プログラムで知られるNPO法人クロスフィールズの小沼大地なども卒業生だ。

スタッフ数は137名(うち専従47名。2021年5月末現在)、年間予算9億円と、NPO法人のなかでも比較的大きな規模だろう。

ETIC.は次のようなミッションを掲げる。

「変革の現場に挑む機会を通して、アントレプレナーシップ(起業家精神)溢れる人材を育みます。そして、創造的で活力に溢れ、ともに支え合い、課題が自律的に解決されていく社会・地域を実現していきます」

このミッションの中心的命題であるアントレプレナーシップ溢れる人材の育成・支援のため、ETIC.は行政、企業、NPO法人、個人などの多様なプレイヤーが有機的に結びついたコミュニティをつくり出し、エコシステムとして機能させる。このエコシステムにおいて、ETIC.は個と個、個と組織、組織と地域などをつなげる結節点に立ち、異質なもの同士をつなげて、新しい価値を創発していくコーディネーターの役割を担う。中間支援組織と呼ばれる存在だ。

エコシステムが有効に機能するためには、理想や目標、理念などを共有しながら、強い結びつきを生む求心力と、各プレイヤーが自律的に動き、ネットワークが自己増殖し、拡張していく遠心力の両方が必要になる。ETIC.をとりまくエコシステムは、求心力の強さ、遠心力の創造性において、日本でも突出した存在といえる。この求心力と遠心力はどこから生まれるのか。

社会課題解決に向けたコーディネーターに求められる条件をETIC.のなかに探ることに本稿の目的はある。

アントレプレナーシップを社会で掘り起こす

最初にETIC.の足跡をたどる。源流は、2021年5月末まで代表理事を務めた宮城治男が、学生時代、在籍していた早稲田大学で起業家を講師に招いて始めた勉強会にある。1993年のことだ。

宮城は1972年生まれの団塊ジュニア世代。日本がGNP(国民総生産)世界第2位になり、物質的な豊かさが実現した社会に生まれた最初の世代だ。その分、逆にこの世代には「物理的な豊かさ=成功」とする既存の価値観からの「精神の自由」を志向する若者たちが一定層存在した。宮城もその1人だった。10代のころから、「いい大学へ進み、大企業に就職するという偏差値ゲームへの違和感」を抱き、「社会への反逆児」と呼ばれた歌手、尾崎豊に強く惹かれた。

やがて、「何か社会を変えなければいけない」という意識が芽生え、マスコミを志望して早稲田大学へ進学した。イベントを企画するサークル活動をするなかで、起業家の存在を知る。自ら事業を起こし、自分で生き方を決める。そんな起業家の姿に強く共感した宮城が、同世代の仲間たちと始めたのが勉強会だった。

当時は第3次ベンチャーブーム。「話を聞きたい、学びたい」。若者たちの熱い声に、「ベンチャー三銃士」と呼ばれたソフトバンクの孫正義、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄、パソナの南部靖之を始め、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の増田宗昭、ワタミの渡邉美樹など、気鋭の起業家たちが無償で講師を快諾。起業家たちも若者たちに語りかけることを喜び、次々と経営者仲間を紹介してくれた。

この勉強会の参加者から、メルカリの山田進太郞、トレジャー・ファクトリーの野坂英吾、クックパッド創業者の佐野陽光、ミクシィの笠原健治といった若手起業家が育っていった。

翌1994年、ETIC.の前身となる「学生アントレプレナー連絡会議」を創設。起業を目指す関東近県の学生が集った。その活動がマスメディアで取り上げられて一気に注目が集まり、翌1995年には、通商産業省(現・経済産業省)と協働で、全国の大学で起業家精神を啓蒙するイベントを開催。4年間でのべ5000人以上の学生を動員した。

そして、1997年、中小企業庁の支援を取り付け、ベンチャー企業と大学生のインターンをマッチングする日本初の「長期実践型インターンシッププログラム」を立ち上げる。それまではサークル活動の延長だったが、本格的に事業を開始。事務局として「ETIC.」を名乗るようになった。

1990年代後半、東京・渋谷に集積したいわゆる「ビットバレー」のITベンチャーにとって、情熱に溢れたインターンたちは成長の原動力となった。そのなかから、クラウド会計サービスを提供するfreeeの佐々木大輔、働き方改革のコンサルティングを手がけるワーク・ライフバランスの小室淑恵などの起業家が輩出された。

学生の勉強会から短期間のうちに、中央官庁と協働する存在になるという流れを体験した宮城は、エコシステムとレバレッジという概念を実感することになる。本人が話す。

「勉強会にしろ、インターンシップにしろ、知らない人間同士がETIC.という接点でつながることで、講師と若者、派遣先企業とインターン、どちらにもインパクトを投げかけ、価値を生むことができる。そして、行政が動いたように、お金も、権力も、権威もなくても、情熱や信頼感や仕掛けがあって、非営利というニュートラルな立ち位置が明確であれば、レバレッジが働いて、自分の力だけでは動かすことのできないものも動かすことができる。その経験は私にとってものすごくインパクトのあるものでした」

1998年、特定非営利活動促進法施行。非営利のスタンスに社会を動かす潜在的な影響力があることを経験した宮城にとって、ETIC.のNPO法人化は必然的な選択だった。2000年、NPO法人の認証を受ける。宮城が代表理事に就任した。

そのころ、欧米から、社会変革の担い手として、起業により社会課題を解決する社会起業家の概念が日本にも入ってきた。ETIC.は事業の軸足を社会起業家の育成、支援へと移す。それは、ETIC.にとってのアントレプレナーシップの意味合いと深く関わっていた。宮城が語る。

「自分と向き合い、自らの生き方をつくっていく。自分で自分の人生を選んで切り拓いていく。それが、われわれが求める真の意味でのアントレプレナーシップでした。そして、自分たちの世代の潜在的価値観でもありました。ETIC.はアントレプレナーシップを社会で掘り起こしていく。そのとき、社会起業家は最もシンボルとなる存在でした」

社会起業家支援にフォーカスする直接のきっかけは、勉強会の熱心な参加者だった1人の若者の交通事故死だった。農業関連の課題解決を目指して、昼間に活動しながら、夜はホテルでアルバイトをしていた。無理を重ねたことが事故を招いた。

「社会を変えていこうという思いと志を持った若者がアルバイトで糊口をしのぐことなく、全力で打ち込むことのできる支援のエコシステムをつくる。心に誓いました」(宮城)

2001年、社会課題解決のプランを募集する日本初のソーシャルベンチャープランコンテスト「STYLE」を開始する。プランの完成度が高くなくても応募ができ、メンターのベンチャー起業家とともに、それをブラッシュアップしていく。STYLEはETIC.の事業の方向性を明確に示すものとなった。

「日本における社会起業家支援のエコシステムの始まりだった」

ETIC.の活動に共感し、STYLEの公式スポンサーを引き受けたITサービス企業サンブリッジの創設者で、日本オラクルの初代代表を務めたアレン・マイナーはそう語る。

実際、ここからネットワークが広がる。STYLEを新聞報道で知ったNECの社会貢献部長から協働の呼びかけがあり、翌2002年、NECとの連携により、日本初のソーシャルアントレプレナー育成プログラム「NEC社会起業塾」が発足。年間3~5団体を重点的に支援する活動が開始された。この社会起業塾から、冒頭で紹介した若手社会起業家が巣立っていくのだ。

STYLEでのETIC.のスタンスを物語る1つのエピソードがある。参加者の1人からコンテストの途中で、「会社を辞めてまで起業には踏み切れないのでプランのプレゼンを辞退したい」と申し出があった。これに対しETIC.側は、「プランそのものより、あなたという人間のあり方、生き方を見せてほしい」と、辞退の申し出を「辞退」する。若者は社内起業した後、独立。現在、西粟倉・森の学校の代表を務める牧大介だ。2015年にはローカルベンチャーの育成などを手掛ける会社、エーゼロを設立し、ETIC.とも協働している。

次いで、活動は地域へと拡大する。2004年、経済産業省と連携し、地域でコーディネーター役を担う「地域プロデューサー」の組織・団体を支援する「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト(通称チャレコミ)」を始動。地域プロデューサーは地域で学生や若手社会人と、自治体、地元企業、大学とを結びつけ、ローカルベンチャー創出支援やインターンシップ事業などを行う。当初全国5地域から始まり、61地域へと拡大していった。

チャレコミは、年間1億3500万円の事業規模だった。その後、2010年に民主党政権下で内閣府地域社会雇用創造事業の一環として行った起業支援やインターンシップ事業では、2年間で事業規模が10億円と一気に拡大する。そんななか、2011年、東日本大震災が発生する。

地域社会、企業との連携を強化する

ETIC.は即行動を起こした。震災から3日後に、緊急を要する被災者支援プロジェクトを立ち上げたのだ。この取り組みが被災地で復興に向け立ち上がる地元リーダーのもとへ活動を支える若手人材を送り込む「右腕派遣プログラム」につながった。このプログラムでは公募した人材の人件費はETIC.が負担する。費用は海外の団体などから寄付を募った。東北3県の154のプロジェクトに262名の右腕人材を派遣。プログラム終了後も7割が地元に残り、そのなかから社会起業家も誕生していった。

続いて、ETIC.の取り組みは企業との連携強化に向かう。2018年、企業14社(ロート製薬、セイノーホールディングス、ヤマハ発動機、竹中工務店、住友生命など)とバーチャルカンパニー「and Beyond カンパニー(通称aBC)」を設立。企業の枠にとらわれず、社会起業家的なプロジェクトを生み出すのが目的だ。毎月、「Beyondミーティング」を開催。参画企業の社員が参加し、やりたい事業のアイデアをプレゼンし、その実現に向けて応援し合う。ETIC.の創業メンバーで一貫して事業を統括してきた山内幸治(Co-founder/シニアコーディネーター)はその意義をこう語る。

「aBCは、いわば、個の持つ創造性を解放していくための“出島”です。社員が企業のなかで提案すると、収支や期限などの評価の枠組みがはめられるため、創造性が閉ざされてしまい、新しい発想が生まれにくい。aBCでは評価は行わずに応援し合う文化を共有して、個の創造性を解放し、起業家精神を育むのです」

もともとは、宮城が「東京オリンピック・パラリンピックを、社会を変える契機にしよう」と、「Social Impact for 2020 and Beyond」というプロジェクトを着想し、社会変革の提案を多方面から募るイベントを開催したのが始まりだった。文部科学省の有志の若手官僚が発案した、改革志向の教育長や学校長のネットワークをつくる「スクール・プラットフォーム」など、提案のなかからもプロジェクトが生まれている。

宮城が話す。「官僚も、企業人も、教育者も、アントレプレナーシップを持った生き方をするという選択肢を持てるようなプラットフォームをみんなでつくる。それが目標でした」

ETIC.では現在、40近いプロジェクトが稼働している。10年前には、パートナーを組む企業や自治体から得る通常事業収益(政府による一時的な事業を除く)は1億円台半ばだったが、いまでは6~8億円に拡大した。その間、ETIC.のエコシステムも拡張し、つながるプレイヤーの数も増大の一途をたどった。連携する地域プロデューサーは100を超え、プロジェクトを組むパートナー企業・組織は約40に及ぶ。

ETIC.を見守り続けてきた人々は、その求心力の強さを次のように語る。

「ETIC.には世の中の希望ある人々が集まる磁石のような力がある」(前出のアレン・マイナー)、「ETIC.があったから若い人たちが活躍できる場が生まれた」(創業期から支援する連続起業家の孫泰蔵)、「利益偏重になりがちな企業とは逆張りのETIC.のやり方に同志感を抱いている」(同じく支援者の面白法人カヤックの柳澤大輔)、「全国の多くのNPOがETIC.とのつながりのなかで生まれ、コミュニティが形成された」(早大で一緒に勉強会を始めたGMOペイメントゲートウェイ副社長の村松竜)。(1)

組織におけるDoingとBeingのバランス

その求心力はどこから生まれるのか。その疑問は、ETIC.内部で組織の変調が表面化してから、4年間かけて進めた変革と再生のプロセスをなぞることで、解くことができるだろう。

組織に変調が表れたのは、内閣府の委託事業や東日本大震災後の復興プロジェクトにより、事業も組織も規模が急速に拡大して5~6年経った2016年のことだった。年2回行う社内合宿でスタッフから不満が噴き出したのだ。「仕事が大変なのに応援してくれるムードがない」「隣のチームが忙しくて火を噴いているのに助けられない」「自分の仕事が社会の役に立っているのか実感できない」「上に対してものがいえない」……といった声が組織のあちこちから聞こえるようになってきた。なぜ、そのような事態に至ったのか。その変調は組織の拡大にともなう、ある種の必然でもあった。創業メンバーで長く事務局長を務めた鈴木敦子(Co-founder/シニアコーディネーター)が経緯を語る。

「原因は組織の縦割り化でした。それまではプロジェクトが立ち上がるたびに担当を決めていたのが、2012年から事業の拡大に対応するため、5~10人のチームに分けて事業を担当する事業部制を導入しました。マネージャーたちは初めて経験するマネジメントの仕事に戸惑いながらも、懸命にチームの育成と事業の遂行に取り組みました。ところが、これが組織全体には逆に作用してしまいます。マネージャーが自分のチームのマネジメントに注力すればするほど縦割り化が進み、隣のチームとの協働ができないほど、風通しが悪化してしまったのです」

ヒエラルキー構造も生まれた。代表理事の宮城を頂点に、山内、鈴木が理事兼ディレクター、その下にマネージャー、スタッフというピラミッドの構図だ。事業の計画はマネージャーが行い、スタッフは指示命令に従って実行する。計画と実行が分離し、スタッフは上から降ってくる業務に忙殺される。また、規模拡大後に入ってきたスタッフにとって、宮城は“雲の上”の存在で、話ができる距離感ではなくなっていた。宮城が話す。

「組織が拡大していったとき、組織はどうあるべきか、自分たちできちんと向き合わなければならなかった。しかし、その余裕もなく走り続けた結果、ヒエラルキー構造が生まれてしまった。取り組みの進化に組織の進化が追いつかなくなってしまったのです」

宮城によれば、人間には「Doing」と「Being」の2つの面があるという。Doingは「やること」であり、具体的な活動や行動を示す。他方、Beingは「あり方」で、「何のために生きるのか、働くのか」と生き方を問う。

「ETIC.は、社会起業家を支援するというDoingを続けてきました。そのために、いつのまにか、自分たちのBeingが犠牲になり、DoingとBeingがマッチしなくなってしまっていた。社会に対して求めたBeingのあるべき姿と自分たちの実態がマッチしなくなっていたのです」(宮城)

2017年、組織変革に着手する。その際、導入されたのが「ティール組織」の概念だった。米マッキンゼー出身のフレデリック・ラルーが提起した組織モデルで、著書の邦訳が2018年に出版された。組織を「1つの生命体」としてとらえる。特に重視されるのが「セルフ・マネジメント(自主経営)」だ。上司からの指示命令や承認プロセスがなく、一人ひとりが自分で意思決定し行動する。ただ、意思決定の際は、「助言プロセス」といって、すべての関係者および当該問題の専門家に助言を求め、助言内容を真剣に検討しなければならない。組織運営では、個々の精神性とともに組織の存在目的も重視する。

変革はいくつかのステップで行われた。

最初は「聞く研修」から始めた。誰もが「自分のやりたいこと」を発言し、それに耳を傾けて互いを知り、認め合い、応援し合うカルチャーを育む。同時に、モヤモヤ、不安、怒りといった「ネガティブな感情」を抑えずに表に出すことも推奨した。ティール組織では、ありたい理想と現状とのギャップから生まれるネガティブな感情はあるべき姿に近づく大切なメッセージとして扱われる。それに耳をすませ、みんなで解決する文化を根づかせる。

こうして組織内のカルチャーが少しずつ変化するにつれ、それまでは問題が生じると、何でも上司に調整を求めていたのが、現場で自分たちで解決する動きが出てくるようになった。

次のステップとしてスタッフへの権限の分散を断行した。自分の担当する仕事は自分で意思決定するセルフ・マネジメントを求めていった。ヒエラルキー構造から自律分散型への転換が進んだ2020年、代表理事とマネージャー制度の廃止を決定。2021年5月31日、宮城は退任した。

「思惑を持たない」者として起業家を支援する

自分と向き合い、自分の生き方をつくっていく。

ETIC.の組織変革は、スタッフ一人ひとりに、もう一度、自らのBeingと向き合わせ、アントレプレナーシップを発揮させるプロセスにほかならなかった。それにより、互いの結びつきが強まるという求心力と、それぞれの自律性を高める遠心力を取り戻していった。宮城が代表理事を辞任したのも、その遠心力にドライブをかけるための決断であったと想像される。

「組織変革は、自分たちにとってのソーシャルイノベーションだった」と宮城は語る。自然界のエコシステム(生態系)には、全体を見ても、部分を見ても、同じ仕組みが相似形で表れる入れ子状のフラクタルな構造が見られる。人間界のエコシステムも同様で、ETIC.が組織変革により再生した姿は、ETIC. がつくり上げたエコシステムのあり方そのものだった。

Doingより前に、一人ひとりのプレイヤーのBeingを大事にする。そのため、社会起業家の支援というETIC.の活動において、宮城が一貫して重視したのは「ニュートラルであること」に徹するという姿勢だった。

宮城のいう「ニュートラル」には、中立で非営利という表に表れるスタンスだけでなく、より深く本質的な意味合いを含む。それは「ありのまま」という言葉に収れんする。背景に何ら「思惑」を持たず、ETIC.に関わるプレイヤー一人ひとりがありのままの自分、Beingを表現できることを大切にするため、けっしてコントロールしない。そして、彼らを応援する側もありのままの自分を取り戻すため、4年かけて組織変革を進めた。

Doingか、Beingか。宮城によれば、それは「社会的インパクト至上主義か、アントレプレナーシップ至上主義かの違いである」と次のように語る。

「前者の場合、社会的にインパクトを生み出せないものは価値がない。だから、起業家に対し、自分を多少犠牲にしてでもインパクトが出るように求める。ベンチャーキャピタルなどはその立場です。一方、後者の場合、起業家が事業でありのままの自分を表現できず、自分の生き方をつくり出せないなら、やめてもいいと考える。われわれはその両方のバランスを取りたいと常に意識してきたが、究極的には後者を大切にしたいと願ってこの仕事に向き合ってきました。起業家が自分の人生の意味や価値を最大化できない限り、生まれる社会的インパクトも最大化しないと考えるからです」

実際、ETIC.のプログラムの卒業生が起業のことで悩み、相談に来ると、「やめてもいいんだ」と言葉を投げかけ、Beingを大切にすることを求める。前述のaBCを「出島」に位置づけるのも、社内だと自己規制をかけてしまいがちなBeingを解放させるためだ。また、STYLEでプレゼンの辞退を申し出た若者の申し出を「辞退」したのも、若者に自身のBeingを語るよう求めたからだった。

ETIC.のエコシステムを重層的にとらえると、表面上のレイヤーでは社会起業家支援というDoingのネットワークだが、内面性のレイヤーでは、それぞれのプレイヤーのBeingがリゾーム(地下茎)のようにつながり、ここから強い求心力が生まれる。と同時に、それぞれがありのままの自分と向き合うことで、一人ひとりの自律性が高まり、遠心力が働き、エコシステムは自己増殖していく。そして、その過程で地下茎から芽が育つように、多くの社会起業家が生まれていく。コーディネーターの意味合いとして、「自分らしさの増幅役」という表現はこの動きを表すものにほかならなかった。

日本的な知識創造体としてのETIC.

ただ、一人ひとりのBeingは言葉で表すことの難しい暗黙知の世界だ。その意味で、ETIC.をめぐるエコシステムは、それぞれのプレイヤーが暗黙知の世界で結びつきながら、言葉で表すことのできるDoingの形式知を創出している運動体ともいえる。

筆者は知識創造理論の提唱者である野中郁次郎・一橋大学名誉教授とともに、この20年間、ソーシャルイノベーションを含む、100例を超えるイノベーション事例を取材してきた。知識創造理論では、知の源泉は暗黙知にあり、新しい知は暗黙知と形式知が次のような4つのプロセスで相互変換するなかで生まれると考える。

❶共同化|Socialization
各プレイヤーが現場での直接経験などを通して暗黙知を共有する。

❷表出化|Externalization
共有した暗黙知を言語化し、概念化することにより、形式知に変換する。

❸連結化|Combination
変換した形式知を組織内外の他の形式知と組み合わせ、体系化して新たな形式知をつくり出す。

❹内面化|Internalization
一連の実践や行動を通して、各プレイヤーが新たな暗黙知を自身に取り込んでいく。

この4つのプロセスの頭文字をとり、「SECI(セキ)モデル」と呼ばれる。ETIC.のaBCの活動を例にあてはめると、Beyondミーティングにおいて、参画14社およびETIC.のメンバーが暗黙知(Being)を共有する[共同化]。共有した暗黙知のなかから、具体的なプロジェクトのコンセプトの形式知(Doing)を紡ぎ出す[表出化]。応援し合うメンバーそれぞれが持つ知も組み合わせ、体系的な知に仕上げ、活動(Doing)を実現する[連結化]。aBCの取り組みを通して、各プレイヤーが自らの暗黙知(Being)をより深めていく[内面化]。

こうしてみると、ETIC.のエコシステムでは、各プレイヤーの暗黙知(Being)を知の源泉として、SECIモデルによって常に新しい知識が創造されていることがわかる。そして、知と知が多様な形でリンクするなかで、多くのプロジェクトが生み出されていく。

知識創造理論は、1980年代、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」と賞讃されるほど、日本企業が最も輝いていたころ、革新的な新製品開発に情熱を注ぐ開発者たちの活動を研究するなかで生まれた。形式知(Doing)のアウトプットを問う欧米に対し、「いかに生きるか」という、人間としての生き方を問い、暗黙知(Being)に目を向ける考え方は日本的でもある。その意味で、ETIC.の築いてきた社会起業家のエコシステムも、日本という土壌に根差した独特の強さとしなやかさを備えているともいえる。プレイヤー同士のつながりを、宮城は「ご縁」、鈴木は「出会う由縁」と表現したりもする。

欧米でも近年、ウェルビーイング(well-being)の概念が注目され、人間の内面の幸福や充実を追求することが持続可能な成長を実現するという考え方が広まってきた。Doingのパフォーマンスを向上させるためには、一人ひとりのBeingのあり方と向き合う必要があることへの気づきの表れだろう。

SDGsも、ESG(環境・社会・ガバナンス)も、取り組みの指標を高めることが企業価値向上に結びつくという「思惑」にとらわれている限り、関わる人々の創造性は閉ざされてしまいかねない。Doingのベースとして、一人ひとりがそれぞれのBeingを自覚することにより創出する社会的インパクトを最大化できる。団塊ジュニア世代の青年が自らの生き方を模索するなかで生み出したエコシステムは、人間の営為のシンプルな原則を示しているように思えてならない。

【写真】Hannah Busing on Unsplash

勝見 明 Akira Katsumi

東京大学教養学部中退。主に経済・経営分野において執筆・講演活動を続ける。専門はイノベーションを生む知の作法、組織行動、リーダーシップ。知識創造理論の創始者である経営学者の野中郁次郎・一橋大学名誉教授とともに、2002年より13年間にわたって、日本の企業・組織の代表的なイノベーション事例、成功事例の取材・執筆を続ける。米国流の「分析的戦略」に対し、日本企業が本来得意とする、全員参加による「物語的戦略」の再発見と啓蒙に関心を寄せている。

(1):ETIC. 「Cafe 23rd -The Last Gathering~原点回帰 挑戦者たちが集う真夏の夕べ~」より(2021.07.31開催)

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