稼げる町を生んだ「地域らしさ」の活かし方
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 04 コレクティブ・インパクトの新潮流と社会実装』のシリーズ「社会を変えるコラボレーションをめぐる『問い』」より転載したものです。
齋藤潤一
「町が稼ぐなんて不可能」は本当か
「稼げる町」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
たくさんの人が暮らす、税収の多い町? 観光資源が豊富で、常に訪問者の絶えない町? それとも、「そもそも町が稼ぐなんて不可能」だと思うだろうか。
人口約1万6200人(2022年時点)の宮崎県新富町を拠点に活動する「こゆ財団(一般財団法人こゆ地域づくり推進機構)」は、2017年4月に設立されたユニークな地域商社だ。私はこの財団の代表理事をしている。
こゆ財団の主な取り組みは、①「ふるさと納税」の受託運営、②起業支援、③農業のスマート化推進、④関係人口創出など。あらゆる分野で町内や町外の人を巻き込み、共創や協働、なりわいを生み出すことで、自力で稼げる持続可能な町を目指している。
いまでは累計70億円ものふるさと納税を集めることに貢献し、国の地方創生優良事例モデルにも選出されたこゆ財団だが、実は冒頭のやりとりそのままに、「地域団体が稼ぐなんて不可能だ」と批判されるところから始まった。
当初私は、こゆ財団の代表を打診されたものの業務過多で受けることができず、代わりに新富町の役場職員たちと一緒に代表を受けてくれる人を探していた。だが、「稼げる町づくり」の実現という難しい課題に、手を挙げる人はなかなか見つからない。それでも、役場職員の方々は「本気」だった。その熱量を横で見ていた私は、「このままでは社会は前進しない。自分がやるしかない」と腹をくくったのだ。
だが、代表を引き受けたはいいものの、当時の新富町は課題にあふれていた。商店街は「シャッター通り」で人が歩いていなかったし、何か特産品があればそれをPRすればいいと思われるかもしれないが、そもそもPRするものから探さなければならなかった。しかも、いざ移住してみたら、最初の仕事はオフィス探し。
結局、見つかったのは駅の改札の裏で、6、7人のスタッフを、15平米ほどのスペースに押し込むことになってしまった。
人のツテも、お金も、事業計画書もない。「とにかく稼がなければ」と、町内の事業者や農家を、片っ端から回るところから、私の仕事はスタートした。
1粒1000円のライチが壊した思い込みの壁
私はそこで、1人の農家と出会った。森哲也さんだ。森さんは、宮崎マンゴーの生産技術を応用して、国産はわずか1%というライチのハウス栽培に挑戦していたが、利益が出ずに苦しんでいた。だが、私は話を聞いてすぐ、ライチの希少性に勝算を感じただけでなく、チャレンジする森さんの姿勢に打たれた。「この人、このチャレンジに賭けてみたい」。そう思い、こゆ財団の生産支援事業の中核として、生産から販売までのすべてを、森さんとともに取り組んだ。毎日のように飛び込み営業も続けた。
やがて、糖度15度以上、1粒が50グラム以上という規格を満たした「新富ライチ」は、1粒1000円という値段にもかかわらず、ふるさと納税でも大人気の商品となった。
しかし、ここに辿り着くまでには、「そんなものが売れるわけがない」と地域の内からも外からも批判され続けた。
そんなこと、できるわけがない。
町が稼ぐなんてありえない。
私はこれまでの経験から、こうした思い込みこそ、別のセクターへと越境し、共創していく際に大きな障壁となると感じている。あのシャッター通り商店街も、2017年から続けている毎月第3日曜の朝市によって、人通りが復活している。
2015年に年間2000万円だった新富町のふるさと納税は、特産品の企画開発や販路開拓を進めた結果、翌年の2016年には年間4億円、2017年には年間9億円へと伸び、現在では累計70億円近くまで増えた。こゆ財団は、新富町のふるさと納税寄付額の8%を委託料として受け取り、事業の運転資金や新商品の開発、起業支援、人財育成などに再投資している。「地域団体が稼ぐことは困難」という思い込みを打ち壊し、稼げる地域商社として評価されるようになったのだ。
複雑性も含んだ「地域らしさ」に向き合い、問い続ける
地域には、たくさんの壁がある。セクター間の関係性も複雑で、解きほぐす糸口を見つけることも簡単ではない。
だが、そんな複雑性があるからこそ、そこにある壁を壊すことによって動くエネルギーがあると私は考えている。そしてイノベーションとは、そうしたセクター間の壁を壊すことにほかならない。
しかし、そのためには、みんなが「違う」と言ったことをやらなければならない。チャンスは、そこにしかないからだ。多くの人が「売れるわけがない」と批判的であったにもかかわらず、国産ライチに賭けた私のように。
このときに障壁となってしまうのが、チャレンジする起業家を支えるセーフティネットがないことだ。起業家は、成果が出るまで批判にさらされ続ける。それでも、1人で乗り越え、やり抜かねばならない。やり抜く姿を見せることさえできれば、その姿が共感を呼び、さまざまな領域から賛同者が現れ、変化はうねりとなっていく。だが、チャレンジの総量が少ない地域では、最初の芽が出るまでプレーヤーを支える基盤が脆弱となりがちだ。
だからこそ、立ち上げ当初から、こゆ財団では「世界一チャレンジしやすい町をつくる」ということをビジョンに掲げている。資金が少ない創業時から人材育成に投資した甲斐あって移住者は増加し、チャレンジのしやすさに惹かれてやってきた地域おこし協力隊は40人に上る。その顔ぶれも多彩で、再生医療の研究者から転身したパパイヤ農家や、移住して「新富芸術祭」の立ち上げに参画した人など、セクターも地域の壁も越えて挑戦する人はどんどん増えている。
こうしたことを述べると、私たちが、地域でチャレンジを促していくための「答え」を持ち合わせていると思う人も多いだろう。実際、「どうしたらこゆ財団のように地域でチャレンジを生み出せるんですか?」と、視察に来て質問する人も多い。
私の答えはシンプルだ。それは「こゆ財団と同じようなことをしないこと」。なぜならば、私たちが7 年前に取り組んだことを、別の地域でいま再現しようとしてもうまくいくわけがないからだ。
地域らしさは、その土地によってまったく違う。地域が抱える課題の背景には、時代性や地域性、人と人との関係性の違いもある。重要なのは、そうした複雑性も含んだ「地域らしさ」に向き合い、まちづくりに関わる一人ひとりが「どうすればチャレンジを増やせるだろうか」と問い続けることではないだろうか。
【構成】SSIR-J