地域・都市問題

地域創生に「昔のような活気を取り戻す」以外の出口はあるか

「関わりしろ」をデザインする理由

※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 05 コミュニティの声を聞く。』のシリーズ「コミュニティの創造と再生をめぐる『問い』」より転載したものです。

齊藤智彦 西塔大海

なぜ「日本一」という看板をあえて外したのか

資源リサイクル率日本一の町をご存じだろうか。鹿児島県大隅半島東部にある人口約1万3000人の大崎町である。

1998年、大崎町は、あと数年で埋立処分場が満杯になるという事態に直面したことから、ごみ分別とリサイクルを徹底するようになった。その結果、現在ではリサイクル率約83%を達成している。本稿著者の1人である齊藤智彦が大崎町と初めて出合ったのは2018年。「このリサイクルの取り組みを盛り上げていきたい」という地域の人たちの思いに魅力を感じて、2019年から3年間、政策補佐監という立場で事業を手伝い、2020年には西塔大海(本稿のもう1人の著者)とともに合作(がっさく)株式会社を設立。西塔は、東日本大震災後、被災地でのまちづくりを経て、福岡県の山間地に家族で移住し、さまざまな自治体の地域おこし協力隊の制度設計も手掛けている。

現在合作は、循環型社会形成のための実務を担う事業体「一般社団法人大崎町SDGs推進協議会」の事務局業務を引き受けている。その役割は、個人、団体、企業、他自治体などさまざまな組織が交わる場や取り組みをデザインして、地域のコラボレーションやイノベーションを後押しすることだ。私たちはこれを「関わりしろ」をつくる仕事と称している。

大崎町に限らず、地域コミュニティの持続可能性を考えるうえで鍵となるのが、この「関わりしろ」だ。私たちがまず取り組んだのは町の自己紹介のフレーズを見直すことだった。それまでは「資源リサイクル率日本一の町」だったものを、「リサイクルの町から世界の未来をつくる町へ」という言葉に変えたのだ。「資源リサイクル率日本一」というフレーズは強力で、その言葉に引き寄せられて実際に多くの人や組織が町を訪れた。しかし、「日本一」というのはいまの状態を表すものに過ぎず、それに惹かれて来る人たちは「日本一」という状況を見て帰るだけだった。

「リサイクルの町から世界の未来をつくる町へ」という言葉を掲げることで地域の人たちが「自分たちが続けてきた活動が、世界につながっていく」という意識を持つようになった。それと呼応するように、一緒に世界で循環型社会の実現を目指そうという人や組織が集まってくるようになり、何十社という企業とのコラボレーションも生まれている。これが関わりしろをつくるということの一例である。外から協力者や情報が入ってきやすくなるような地域側のマインドセットと受け入れ態勢といってもいい。人口減に直面しているコミュニティの多くは関わりしろを持つ余裕がなくなっており、望まない孤立への道をたどっている。

「すべての地域が活性化して、人口が増えていく」という幻想

私たちは2人とも、大崎町に関わる以前から各地でまちづくりや地域活性化に携わってきた。そのなかで抱くようになった違和感がある。いまの地域コミュニティに関わる取り組みの多くが、「すべての地域が活性化して、人口が増えていくにはどうしたらいいか」という問いの下に動いていることだ。

地方にある地域コミュニティの多くは、人口が急激に減少していく日本において、多くの課題の中をジェットコースターのように加速しながら走っている。「すべての地域が活性化して、人口が増えていく」のは、統計学的に考えてもありえないことだが、国による地方創生の政策そのものが「昔のような地域の活気を取り戻す」という幻想を呼び起こしているように感じる。昔のようには戻らないとはわかっていても、代々その土地に住んできた人たちだけでは別の未来を描くことは難しい。かといって、よそから入ってきた人間が「人口が減って地域がどんどん縮小していく」ことを前提にした話をすると反発を招くだろう。

地方自治体の財政がひっ迫し、救急車もすぐには来られないような過疎地に人が住み続けている状況にあっても、この「建前」はなかなか崩せない。しかし、間違った問いから地域に関われば、いずれ行き詰ってしまうだろう。

私たちは、それとは異なるアプローチを目指して、「人口が減っても幸せに暮らしていくためには、どんな『出口』がありえるのか」という問いを立てて活動してきた。「人口を増やさなくてはいけない」ということばかりを考えると、どうしても苦しくなってしまう。ではどうしたらいいのか、ということを考え続けてたどり着いた1つの「出口」が「関わりしろ」である。地域コミュニティの縮小自体は避けられないことであっても、外との関わりしろを持ちながらソフトランディングしていくのか、あるいは外に開かないまま孤立していくのかによって大きく変わるのではないか⸺それが地域コミュニティを舞台に活動している私たちの仮説である。

関わりしろが少ない地域とは、たとえば内部でルールがガチガチに決められていて外から介入する余地がなかったり、外部の人や組織に接する余裕がなかったりする地域である。その背景には、人口が減るなかで対応すべき課題が増えて、役場の人たちが目の前の対応に追われ、人材や余力がないという切実な状況がある。

しかし、これからどんどん人が減っていけば、課題はもっと増える。だからこそ、早いうちに関わりしろをつくっておくことが大事なのである。外とのつがりが地域にあれば、地域おこし協力隊や大学と連携したインターンシップなど、後からでも地域に応援を呼び込む制度をつくる余地が生まれる。

フラクタル構造と美しい社会のあり方

地域コミュニティが関わりしろを介して、外部の個人や組織とつながった先にはどんな社会がありうるのか。少し抽象的な話になるが、かつて北京にある美術大学で彫刻を学んでいた齊藤は、美しい形を追い求めるなかで「美しい社会のあり方」について考えるようになり、地域政策やまちづくりに関わり始めたというバックグラウンドがある。

齊藤が考える「美しい形」の1つが、植物や地形、人体など自然界にも多く存在するフラクタル構造だ。フラクタル構造では、大きな形の中に相似形の構造が集約されていて、それらが互いに関係性を持って影響を与え合いながら行き来している。

これを地域コミュニティにあてはめて考えてみるならば、小さいコミュニティも大きいコミュニティも構造の根本自体は変わらない。それが縮小していったとしても、閉鎖系になることなく外との接点を持ち続け、互いに影響し合いながら機能し続けることが大事ではないだろうか。

私たちは大崎町で「システム」の話をよくする。そもそも資源循環のプロセスを考えてみても、1 つの地域内で完結できるものではない。地域の人たちが購入する商品は世界中から入ってきていて、大崎町の中でできているのはあくまでスーパーなどで購入したものをきれいに分別して、リサイクル回収に出すところまで。再資源化するには熊本県や福岡県の再生プラントに運ばなくてはいけない。大崎町が構想する「すべてのものが循環する町づくり」を実現するには、大崎町内での循環だけでなく、地域の外とつながりながら、大崎町自体が大きな循環システムに内包されることが必要なのだ。

地域コミュニティの未来をどう描くかについては、いま全国各地でさまざまな試みが行われており、まだ確かな答えはない。私たちの「関わりしろ」を増やすという試みも、まだ仮説の1つである。急激な人口減少がもたらす負の側面も承知しつつ、それを否定ばかりしていても行き詰まるばかりである。縮小していく地域コミュニティにとって本当に必要で普遍的なものは何かということを、いま一度考えてみることから新たな扉が開けるのではないだろうか。

【構成】中村未絵

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