コミュニティの声を聞く。
Vol.05
非営利団体は、評価の分かれる相手からの寄付を受け取るか拒否するかを、どう判断するべきだろうか。まずは見返りとして相手に与えるものは何かを考えよう。※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 02 社会を元気にする循環』より転載したものです。ローレン・A・テイラー Lauren A. Taylor1978 年、メトロポリタン美術館は、サックラー家への多大なる感謝とともにサックラー・ウィングを開館した。同家による数百万ドルの寄付のおかげで、この増築が実現したのである。サックラー家はパーデュー・ファーマという非上場製薬会社のビジネスで財を成し、当時すでに、名の知れた芸術界のパトロンだった。サックラー・ウィングの開館を祝して、駐エジプト米国大使がエジプトのツタンカーメン王の墓から出土した新たな収蔵品を披露し、マーサ・グラハム・ダンスカンパニーがパフォーマンスを上演した。サックラー家の寄付を皮切りに、同美術館は数十年にわたって多くの寄付を集め、一般向けサービスを拡充してきた。それから40年後の2018年、そのサックラー・ウィングに抗議する人々が集結し、「サックラー家よ、恥を知れ」と書かれた黒い横断幕を掲げた。パーデュー・ファーマがアメリカのオピオイド中毒問題の拡大に加担し、毎年数万人もの過剰摂取による死者を出し続けていることに抗議して、彼らは何百本もの空の薬瓶をフロアにばらまいた。また、メトロポリタン美術館にサックラー家からの寄付の受け取りをやめることを要求し、美術館のフロアでダイ・イン(死者のように横たわり抗議する示威活動)を実行した。法廷では連邦司法省といくつかの州の検事総長が、パーデュー・ファーマが自社の薬品「オキシコンチン」の中毒性に関する情報を意図的に公開しなかったと申し立てた。2019年になると抗議運動の影響が出始めた。メトロポリタン美術館は、今後サックラー家からの寄付を受け付けないと発表したのだ。同美術館館長のダニエル・H・ワイスは、同美術館は政治機関ではなく、寄付者を評価するための厳密な基準はないと市民に説明しつつも、「公共の利益、あるいは当施設の利益にならない贈与からは距離を置く必要があると感じている」と述べて、この判断を正当化した。ニューヨーク・タイムズは、フィランソロピー(慈善事業)評論家のアナンド・ギリダラダスによる同美術館の判断を称える論説を掲載した。その副題には「非営利団体は金持ちに利用されて良心を削り取られるべきではない」とある。これに続いてロンドンのテートをはじめとする他の美術館も、サックラー家からの寄付を受け付けないとする公式声明を発表した。さらに最近になって、メトロポリタン美術館はサックラー家の資金援助で建てられたウィングから同家の名を外すことを決めた。数十億ドルもの資産を持つサックラー家だが、各美術館は、同家からの寄付はその価値を上回るトラブルを招くと判断したのである。寄付者<ドナー>との金銭関係を見直す近年の動きは美術館以外にも広がっている。2018 年には20以上の保健医療系学部の学部長が、たばこ大手のフィリップ・モリスが支援する財団からの資金提供を辞退する公開書簡を共同で執筆した。同じ年、移民家族を支援するテキサス州のある非営利団体は、顧客関係管理ソリューション大手のセールスフォースからの25万ドルの寄付を辞退した。同社のクライアントの中に米国税関・国境警備局が含まれたからである。2019年にはマサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボに市民の厳しい目が向けられ、性犯罪で有罪判決を受けたジェフリー・エプスタインが同校に寄付していたことが発覚して、何人かの教職員が辞職した。こうした耳目を集める事例は、非営利団体の経営者らが直面する、より大きな課題を浮き彫りにする。非営利団体のほとんどは、寄付金に支えられて社会的価値を生み出しており、非営利団体の経営者は、多くの制約があるなかで、誰の寄付を受けるかを判断しなければならない。全国的な知名度のない小規模な非営利団体が寄付を依頼できる相手は限られる。非営利団体が巨額の寄付を集めたい場合、寄付者の候補はさらに限定されるだろう。寄付者は一般的に裕福な個人や企業だが、それらの評判は一様に良好なわけではなく、事業慣行、租税回避行為などを根拠としたさまざまな評価が入り交じっている。最近では相続による富裕層への風当たりも強くなってきている。かつては明らかに法を犯している寄付者だけを避ければ十分だと思われたかもしれないが、昨今は非営利団体が自らのミッションや価値観と合致しない活動を行っている寄付者から金を受け取ることに対する世間の目も厳しくなってきている。道徳的にまったくやましいことのない生き方が仮にあったとして、それを実践している人など誰もいないことを考えると、この厳しい条件をクリアする寄付者は存在しないように思われる。非営利団体が、いわゆる「ダーティー・マネー(汚れた金)」を回避することについて、世の中の意見は割れている。政治理論学者マイケル・ウォルツァーは、道徳的な理由で非道徳的な行為に手を染めることを「ダーティー・ハンド(汚れた手)」と呼んだ。ダーティー・マネーを受け取ることの是非にかかわらず、ダーティー・ハンドを避けることが非営利団体にとってきわめて重要だと考える人もいる。一方で、お金自体に色がついているわけではなく、出資者に関係なくすべての寄付には正当性があると考える人もいる。後者の見方をすれば、道徳的な問題は存在しない。では、ダーティー・マネーの問題の本質とは何だろうか。本稿で提起するのは、ダーティー・マネーと呼ばれる道徳的問題が、正確には金銭の問題ではなく、非営利団体と寄付者の間の交換条件の問題だという議論である。非営利団体が、寄付の返礼として寄付者に影響力や評価を与えようとする場合、そのような取引は実害をもたらしうる。大規模な非営利団体が関われば、その害はとりわけ大きく、際立つだろう。しかし、非営利団体の規模を問わずこの問題は存在する。本稿の結びで、道徳的問題をはらむ寄付を非営利団体が審査する方法を解説する。そのフレームワークは、スタンフォード大学の政治学者ロブ・リーシュによる非営利団体への寄付の反民主主義的効果の研究を補足するかたちで、非営利団体経営者のこの問題に対する理解を深めることを目的としている。私は数年間の調査と執筆活動を通して、非営利団体に対する寄付の問題に取り組んできた1。その過程で、非営利団体の経営者を集めて2度のオンライン実験を実施し、2件の架空の寄付のオファーについて一連の選択をしてもらった。1度目の実験では、被験者が非営利診療所の経営者だという想定で、砂糖入り飲料メーカーからの寄付を、2度目の実験では、暴力犯罪で起訴、告訴、または有罪判決を受けた経歴のある人物からの寄付を取り上げた。どちらの実験でも、非営利団体の経営者には、寄付金額が多いか少ないか、寄付を匿名にするか公開するか、使途の制約があるかどうかといった点について、選択肢を与えた。それに加えて定性的調査として非営利団体の経営者44人にインタビューを行い、さまざまな形態の寄付について受け入れの意向を聞いた(私が気に入っている質問の1つは「寄付者を決して外部に漏らさないという合意があった場合、アメリカ・ナチ党からの寄付を受け入れますか」である。イエスと答えた人もいれば、ノーと答えた人もいた)。ダーティー・マネーに関する問いは、非営利団体だけでなく、初期段階の社会的企業や、ベンチャーキャピタルからの資金調達を検討している営利企業にもジレンマをもたらす。たとえば、2018年にサウジアラビアの反体制派ジャーナリストのジャマル・カショギが殺害された事件をきっかけに、シリコンバレーではスタートアップはサウジアラビア政府系ファンドの投資を受け入れるべきか否かという議論が巻き起こった。本稿での議論は資金面の制約や活動の社会性から、金銭取引の倫理がとりわけ大きな意味を持つ非営利セクターに関するものだが、金銭取引の倫理の見直しが行われている他の状況やセクターにも有効である。
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