経済学者は負の外部性の問題の解決に熱心に取り組んできたが市場の取り決めによって正の外部性を促すことも可能である。私たちはこうした正の外部性をいかに活用すれば公益につながるかを考えていくべきだ。※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 02 社会を元気にする循環』より転載したものです。フランク・ネイグル Frank Nagle経済学では、ある経済主体の行為が、許可や同意を得ることなく、他の経済主体に及ぼす影響を「外部性」と呼んでいる。外部性は、相手にとってコストとなるのか、あるいは便益をもたらすのかによって、負にも正にもなりうる。たとえば、他人の水源を許可なく汚染した場合、相手は負の外部性を被る。一方で、大規模な植樹によって周辺の大気環境が改善された場合、その恩恵を受けた相手は正の外部性を享受する。経済学者は、外部性を生み出した経済主体に、発生したコストや便益を「内部化」させることで、外部性に対処する方法を数多く理論化してきた。具体的には、税金、規制、関係当事者間の直接交渉などである。たとえば、政府は汚染税や規制を課すことで、負の影響の代償を水源の汚染者に支払わせることができる(汚染者は負の外部性を内部化する)。あるいは、植樹のケースでは、植樹者へ直接報酬を支払うことで、さらなる植樹をサポートすることができる(植樹者は正の外部性を内部化する)。政策立案者はこれまで、負の外部性を減らすことには熱心に取り組んできたが、正の外部性を促すことにはほとんど注目してこなかった。こうしたギャップにはおそらくいくつかの理由があるが、特に次の2 つが大きい。第一に、人は同程度の利益を得ることよりも損失を回避することを好む。これは、行動経済学者のエイモス・トヴェルスキーとダニエル・カーネマンが「損失回避」と呼ぶもので、たとえば10ドルを失うかもしれないという不安が、10ドルを獲得することによって得られるであろう幸福感を上回る。同様に、自分の水源が汚染される損失は、同程度に水質が向上する利益を上回ると感じる。こうした事情から、負の外部性の低減は正の外部性の促進よりも注目される傾向にある。第二に、これは第一の理由とも関連するが、一般的に、利益よりも損失の方が金銭的価値に換算しやすい。水源の汚染によって飲用に適さない水質となった場合、その損失は、水をきれいにするコスト、あるいは他の水源を探すコストである。しかし、水質がいままでよりもさらにきれいになった場合(なおかつ、最初から飲用に適していた場合)、どのように金銭的価値を算出すべきかは判断が難しい。理由が何であれ、経済学者、政府、そして個人は、正の外部性の促進をなおざりにして、負の外部性の低減に重点的に取り組んできた。実際、ロナルド・コースは主に負の外部性に関する研究の功績が認められ、1991 年にノーベル経済学賞を受賞した。コースは1960 年に発表した代表的な論文「社会的費用の問題」(The Problem of Social Cost)において、市場の非効率性により、負の外部性(たとえば、自然資源の過剰消費や、大気汚染や騒音などの公害)が過剰供給になる点を指摘し、さまざまな文脈に応じて(政府の介入ではなく)市場をベースとした解決策を取るべきだと主張した。一方で、正の外部性が持つ可能性については、コースも深く追究することはなく、経済学ではあまり扱われてこなかった。しかし正の外部性においても、コースが1960 年に提起した負の外部性の過剰供給と似た問題が存在する。社会的便益の過少供給だ。市場の非効率性により、公益に関わる領域において正の外部性の供給が阻害されてしまうのだ。本稿では、コースの議論では見過ごされてしまった「正の外部性の促進」に焦点を当て、その意義を検討する。また、その取り組みが、世界規模の課題に取り組むさまざまなソーシャルイノベーションにおける、集合的なアクションや支援を後押しすることを明らかにする。