コレクティブ・インパクトの新潮流と社会実装
Vol.04
MOOCsやAI教師など新しい技術が広がり、誰にでも平等な教育機会が実現するという期待が高まっているが、いまだ本質的な教育改革に至っていない。テクノロジーの導入だけではなぜ不十分なのか?また、「教師」は本当に不要になるのだろうか?※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 01 ソーシャルイノベーションの始め方』より転載したものです。フラワー・ダービー Flower Darby「FAILURE TO DISRUPT : Why Technology Alone Can't Transform Education」ジャスティン・ライヒ Justin ReichHarvard University Press|2020最もアナログ思考の教師でさえテクノロジーを使うことが求められる新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延下において、教育に変革をもたらすテクノロジーの可能性についての本を書くというのはいささか奇妙であると、ジャスティン・ライヒは承知している。ライヒは著書『ディスラプションの失敗―なぜテクノロジーだけでは教育を変革できないのか』(FAILURE TO DISRUPT: Why Technology A lone Can’t Transform Education)のプロローグでこう述べている。「最高の未来とは、社会における公教育システムの重要性を認識し、そこに適切な資金や支援や敬意を集められる未来である。そして学習テクノロジーとは、それを使いこなす教育者のコミュニティがあって初めてその威力を発揮することができるものだ」。この著者の洞察は、どれほど革新的なテクノロジーであっても、それだけでは世界を変えることはできないという本書の主張を端的に言い表している。世の潮流に逆らうようなタイミングで出版された本書において、マサチューセッツ工科大学(MIT)の比較メディア研究の教授であるライヒは、大規模学習向けの教育テクノロジーが、その推進者たちの大げさな主張に見合うほどのものではないと論じている。MOOCs(ムークス。世界中の大学の公開オンライン授業を受けられる大規模プラットフォーム)や適応型学習システム(学習者一人ひとりに最適化された学習教材)のようなイノベーションが教育改革や学力格差の解消につながるというのは、裏付けのない予測にすぎない。それよりも必要とされているのは、教育がより公平なものになるよう、慎重に注意を払いながらゆっくりと着実に変革を進めていくことであると、著者は述べている。教育システムは、保守的であるからこそシステムレベルの変化が必要だと著者は説く。1 人の教師が教室いっぱいの生徒を教えるという教育の基本的なかたちは、何世紀も変わっていない。自分が教わったように人に教えているだけなのである。つまり、MOOCsや適応型学習システムといった大規模学習テクノロジーも、教育を根本から変えたわけではないというのが著者の見解だ。教育はテクノロジーに追いついていない。むしろ、革新的だったはずの新しい技術は、どこまでも伝統的な教育システムに取り入れられようとする過程で、これまでの教育方法や学習方法をデジタルに置き換えただけのものとなってしまった。たとえば、かつてMOOCsは、教育の機会を世界中の誰にでも低コストで提供できるとしてもてはやされた。しかし実際は「主に専門性の高い修士課程や社会人教育プログラムといった、既存のインフラを補完するものとなっている」。オンライン学習アプリのQuizletも同様の例として挙げられている。Quizletは人気もあって効率的ではあるが、単語帳を使った昔ながらの学習方法をデジタル化しただけであり、教育に変革をもたらすものではないと著者は断言している。ライヒは、少数の教育者でも多くの学生に学習機会を提供できる大規模学習テクノロジーやオンライン学習環境について、教師主導型、アルゴリズム主導型、ピア・ラーニング型という3 つの既存カテゴリに分類し、それらを 2 つの代表的な教育哲学と結び付けて説明している。ひとつは教授主義的アプローチで、生徒は空っぽの入れ物でそこに教師が知識や情報を注ぎこむという考え方だ。もうひとつは構成主義的アプローチで、学生が自ら試行錯誤しながら学ぶ環境をつくることで、学生の興味や好奇心を引き出すことを目指している。
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