DEI・人権

人に見せたくないものを覗き見られない権利をいかにして守るか

政府や企業はどのような方法でネット上で私たちのプライバシーを脅かし、利益を得ているのか。

※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 04 コレクティブ・インパクトの新潮流と社会実装』より転載したものです。

ナヴニート・アラン

『The Fight for PrivacyーProtecting Dignity, Identity, and Love in the Digital Age』
ダニエレ・キーツ・シトロン Danielle Keats Citron
W. W. Norton & Company|2022

今年に入って、ワシントンポストのコラムニスト、ジェフリー・ファウラーは普段使っているスマートフォンアプリのプライバシーポリシーを読もうと試みた。

しかし、法律用語が果てしなく連なるプライバシーポリシーを読むのは実質的には不可能だった。カーネギーメロン大学の研究者によると、平均的なインターネットユーザーが1年間に訪れるウェブサイトすべてのプライバシーポリシーを読むとしたら244時間かかるという。そのような状況において、アメリカ人の60パーセント近くがオンライン上のプライバシー権についてよくわからないと感じている(ピュー・リサーチ・センターの2019年のレポート結果)のも、しごく当然である。

企業など第三者がどのようなデジタルアクティビティを記録したり利用したりしているのか、一般の人はよく理解していないのである。

ソーシャルメディア上で「いいね」を押したり、つながったり、フォローしたり、テキストや動画を投稿したりといったあらゆるアクティビティが、ネットの検索履歴同様、デジタル記録を絶え間なく増やし続けている。そして、この現在進行形の物語は、私たちが「何者であるか」にとどまらず、「何者であると信じているか」ということも、他者に伝えている。つまり、デジタル記録とは、他者によって綴られる自叙伝のようなものなのだ。

自己とプライバシーとの関係を生き生きと描きだしたのが、ダニエレ・キーツ・シトロンの新著『プライバシーをめぐる戦い―デジタル時代における尊厳、アイデンティティ、愛の保護』(The Fight for Privacy: Protecting Dignity, Identity, and Love in the Digital Age)である。バージニア大学ロースクールのジェファーソン奨学生財団シェンク・ディスティングイッシュト・プロフェッサーであるシトロンは、アメリカでは個人情報が消費者保護法の対象外であるため、企業や第三者が合法的に個人情報にアクセスしてそれを売ることができてしまうこと、そしてそれによって、バスルームやベッドルームでの行為などを含む秘匿すべき領域(インティメイトプライバシー)がいかに侵害されているかということを、本書で探っている。

シトロンは、インティメイトプライバシーは第二の自分ともいえる「デジタルセルフ」を構成するものだからこそ、人権として保護されるべきだと主張している。そしてプライバシーは、経済面のみならず、個人の私的領域の安全―― 健康上の症状についての検索内容や出会い系アプリで共有する画像といった、医療や性など、私たちの身体に関するプライベートなメールや検索内容等を含む―― にも関わるものであると述べている。

シトロンの主張によれば、インティメイトプライバシーとは自己表現と自己発見のために不可欠なものである。そして、シトロンのプライバシーの概念には、秘匿性と身体的自律性という二通りの意味が含まれている。また、インティメイトプライバシーは、私たちが他者と親密な関係を築くことを可能にするものでもある。「親密な人間関係は人類繁栄の核となるものであり、そのためにはインティメイトプライバシーの保護が必要だ」と彼女は述べている。

インティメイトプライバシーが憲法で守られていないために、私たちのプライバシーがいかに侵害され、それによって私たちがどのような害を被っているのか、シトロンは例を挙げて説明する。たとえば、かつて親密な仲にあった元パートナーが、ヌード画像を脅迫や復讐に利用するかもしれない。覗き魔が、盗撮したプライベートな画像を無断で拡散し、企業がそれらを営利目的で利用する可能性もある。政府がプライベートなデータを収集して市民を犯罪者に仕立て上げることも可能で、これは新たな現実となってきている。2022年6月、アメリカの連邦最高裁判所が、女性の人工妊娠中絶権は合憲だとしてきた1973年の「ロー対ウェイド」判決を覆して以来、各州が生殖医療や中絶医療に関する情報をオンラインで検索する人々を追跡し特定する法律を制定できるようになった。

シトロンは、自己とは生身の身体と情報としての身体とが合わさったものであると捉えているが、これは古くからある概念で、特にテクノロジーと関連が深い。最も基礎的なレベルでいえば、言葉の誕生である。言葉によって、まず皮や紙の上に、やがてはスクリーン上に、自己が外在化されるようになっていった。さらに私たちは、言葉だけでなく、データセットとして、自分自身に関するさまざまな情報のデータを生み出すようになった。

しかもその自分の情報を、他の誰かが(他の権力構造が)勝手に解釈したり利用したりすることもできるのである。だから、自己が権力争いの場となってしまっているのだ。

本書は、身体であれ発言やデータであれ、自己というものについて、私たちがどう捉えているのか、そして、権力構造がその自己にどう対応し保護すればいいのかを、問い直そうとするものである。データとしての自己という考え方は、そもそも緊張をはらんでいる。なぜならそれは、私たちが何者であるかを集合的に示すものであると同時に、私たちに関する大量のデータでもあり、たとえば比較的無害な広告の配信をはじめ、トラッキングやプライバシーの侵害、有害サイトへの誘導といったはるかに悪質なことまで、あらゆることに利用されてしまう可能性があるからだ。個人がデータポイントの集合体で、それぞれのデータポイントがさまざまな金銭的価値を持つとするなら、自己の商品化は必至である。

シトロンは、インティメイトプライバシーの侵害について、民間企業による侵害と対人関係における侵害という2つの観点から考察している。この2つは別物でありながら、重なり合うものでもある。なぜなら、企業は、ネット上で同意なしに共有されたプライベートな情報を利用して利益を得ることができるからだ。

「スパイ株式会社」とは、シトロンが、ソーシャルメディアを含む民間企業に対してつけたニックネームである。彼らは、不注意から、もしくは法的抜け穴を利用して故意に個人情報を収集し、そうしたデータを広告主に転売するデータ・ブローカーに売ることによって、私たちのインティメイトプライバシーを侵害している。しかし皮肉なことに、この「スパイ株式会社」の事業そのものが、そもそもインティメイトプライバシーという概念が生まれた大きな理由であると、シトロンは指摘する。

たとえば、出会い系アプリの「Grindr」は、ユーザーの身体的特徴やHIV感染の有無、性別や性的指向についてのデータを収集するばかりか、これらデータを第三者のデータブローカーに販売、さらにはこの第三者がより高値でデータを買い取るブローカーに転売している。この手のプライバシー侵害の影響には恐ろしいものがある。ひとたび情報が売られてしまうと、想定外の悪影響を及ぼす可能性があるのだ。シトロンはこう書いている。「ある男性は、『Grindr』のプロフィールからHIV感染の有無を削除したとニュースサイト『Vox』に語っている。なぜなら、『悪意のある人』に知られてしまうと、自分の生活やキャリアや家族関係が危険に晒されてしまうからである」。このようなプライバシー侵害の影響は、単に不測の事態を招くということにとどまらない。同じくらい重要なのは、オンラインにアクセスするたびにプライバシーを侵害される可能性があるという知識が、私たちを不安と恐怖に陥れていることである。

フェイスブック、アマゾン、グーグルといった「スパイ株式会社」を構成する大企業は、ソーシャルメディアを無料で提供し続けるためにビジネス上必要なものだとして、個人情報の商品化を正当化している。

「現在、多くの企業がサービスに対して料金を請求していない(請求する必要がない)のは、インティメイトデータへのアクセスを第三者に販売することで収益を得ているからだ」とシトロンは解説する。自由主義的でシリコンバレー的な考え方、つまり「情報は無料でなければならない」という倫理観をデータに適用したことが、「人々の私生活を監視する条件を整えた」と彼女は述べている。

インティメイトプライバシーの保護は国民の権利であるべきだと考えているシトロンは、私たちの最も私的なデータを保護するためには、少なくとも無料で存在すべきではないデジタルサービスも出てくることになると言い切っている。そして、この議論のマイナス面も認めている。「たしかに、こうした第三者への販売を禁止すれば、利用料が課されるようになるかもしれないし、それを払えない人が少なからず出てくるかもしれない」。彼女の代替案とは、ソーシャルセクターと政府がこのギャップを埋めること、つまり、国が補助する交通パスと似たような仕組みである。それによっていまより非民主的なソーシャルメディアが生まれることになるかもしれないが、それでもシトロンのデータ保護優先の姿勢は揺るがない。「たとえそのような代替手段が不可能だとしても、プライバシー保護が最優先事項であることに変わりはない」と彼女は述べている。

「一部の人がサービスを享受できないとしても、すべての人にとってメリットがある」。

シトロンは、インティメイトプライバシーが法的に保護されるようになれば、ビッグテックや国家によるプライバシー侵害だけでなく、対人関係における違法行為に対する防波堤となるだろうと主張する。シトロンは、リベンジポルノの事例も分析している。リベンジポルノとは、交際中にやりとりしたプライベートな画像や露出度の高い画像を悪意のもとに利用し、元パートナーを脅迫したり危害を加えたりするというものだ。男性から女性に対して行われることが圧倒的に多い。リベンジポルノを扱うウェブサイトは、本人の承諾を得ていない画像を流通させることで大きな利益を得ているが、これらのサイトは合衆国憲法修正第1条(信教・言論・出版・集会の自由、請願権を制限する法律を制定してはならない)によって法的に保護されている。

このような画像の流出で影響を受けるのは、加害者ではなく被害者であることが圧倒的に多い。ヌード画像をネットに晒された高校の校長が、学校のイメージに悪影響を及ぼすからというニューヨーク教育省の意見によって解雇された例をシトロンは挙げる。また、元パートナーにヌード画像をネットにアップされてしまった大学院生が研究科長から名前の変更を勧告された例や、元パートナーから虐待を受けていた人が交際時の親密画像を職場や知り合いにばらまくと恐喝された例もある。このようなプライバシーの侵害は、被害者への誹謗中傷や社会的制裁につながる。「(被害者の)自尊心は粉々に打ち砕かれてしまう。被害者は自分の体や心、恋愛関係をコントロールできなくなったように感じ、性的な自律性が失われてしまったと感じるのだ」。

シトロンはさまざまな提言を行っている。たとえばプライバシーを法律でどのように保護すればいいのか。あるいは、合衆国憲法修正第1条と、米国通信品位法230条(デジタルプラットフォームに対して法的・経済的な免責を定めた条項)の矛盾に対処する方法などだ。そして、法律でインティメイトプライバシーを保護するための4つのルールも提案している。第一のルールは、「事業者は、正当な目的以外の用途でインティメイトデータを収集してはならない」というものだ。このルールは、たとえば、ウェブサイトが同意のない画像を掲載することを防ぐのに役立つだろう。第二のルールは、明確かつ意味のある同意を得なければ、非インティメイトデータも収集してはならないというものである。プライバシーポリシーを素早くスクロールしてページの最後にある同意ボタンをクリックするというのは、明確かつ意味のある同意には含まれないと言える。シトロンの第三のルールは、民間企業は差別を禁止し、「個人情報を扱う際には、人々のウェルビーイングを優先する」ことを徹底させる、というものである。そして第四のルールは、個人と企業の間に直接的な関係を確立し、プライバシーに関する合意が破られた場合には、個人が裁判や賠償を求められるような明確な法的枠組みを確立することである。

『プライバシーをめぐる戦い』は、究極的には、活動家や一般市民、とりわけ立法者らに対する、アクションの呼びかけである。その目的において本書はきわめて効果的なものとなっており、また、非常に人間的であることもおそらく同じくらい重要だ。シトロンが本書で目指したのは、法律と政策についての究極の議論をベースにしつつ、プライバシーに関わる会話を、抽象的なデータに関するものとしてではなく、私たち自身の私的な領域に関わるものとして再構築することである。デジタル・セルフは人間の本質に関わるものだからこそ、法律が追いつき保護する時期に来ている、とシトロンは主張しているのだ。

【翻訳】五明志保子
【原題】The Right to Intimate Privacy(Stanford Social Innovation Review Fall 2022)

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