韓国で無条件の所得保障が支持を得た理由と、現時点でアジア最大のUBI実験から引き出せる教訓を明らかにする。
リ・ファン Fan Li
筆者は最近、日本の大学生グループが企画した、「大好きなことを仕事にする」というテーマのディスカッションに参加した。学生たちは、尊敬していた先輩たちが卒業後に「社畜」と化してしまうと訴えた。社畜とは、私生活を犠牲にして会社に尽くす社員を揶揄する言葉である。
私は、成功した大人としてのゲストスピーカーからのメッセージが、励ましというよりも傲慢と捉えられて、ただでさえ悲観的になっている学生らをさらに落ち込ませるのではないかと心配した。しかし、ある学生の次のような言葉にはっとさせられた。「スキルのいらない反復的な仕事は間もなく人工知能(AI)に取って代わられるでしょう。誰もが本当に好きなことをやれて、ある程度の所得保障としてユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)のような社会政策に頼れる未来を夢見ています」。
これは単なる夢物語かもしれないが、AIとそれによって実現するテクノロジー、たとえば自動運転車、自動翻訳ツール、ロボットウェイターなどが急速に進化して、近い将来に多くの仕事が取って代わられることは間違いない。実際、マッキンゼー・グローバル・インスティテュートのある研究では、現在の世界の労働者の最大30%が、2030年までに知的エージェントやロボットに取って代わられると結論づけている(1)。従業員のスキルの再教育やその他の雇用イニシアチブが、多少はこの展開を食い止めるかもしれないが、それでも仕事がなくなった人は、いったいどうやって生きていけばよいのか。
最近注目の集まっている解決策1つはユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)、すなわち、すべての個人に無条件に定期支給される貨幣所得である。UBIが従来の福祉政策と大きく異なる点は、無条件で、受給審査なしであるということに加えて、
- 定期的に支払われる
- モノではなくお金で支払われる
- 世帯やユニットではなく個人に支払われる、
- 特定のグループではなく全人口を対象とする
という4つの条件を満たす点でわる。UBIは近年、世界的に注目されており、多くの国が実験に着手してきた。韓国ではこの考え方が特に支持されており、京畿道(キョンギド)で最近行われた実験――現時点でアジア最大の試み――では、より健全でしなやかな社会づくりに貢献できる可能性が示されている。
韓国でUBIが支持を得た理由
韓国でUBIが支持されているのは、ラボ2050の創設者であるイ・ウォンジェの功績によるところが大きい。ラボ2050はソウルを拠点とするシンクタンクで、ビッグデータとAIの時代に合わせた新たな社会契約を設計、提案することを目指している。1970年代初めに生まれたジャーナリストで経済学者のイ・ウォンジェは、韓国で社会的イノベーションを推進し、大規模なイノベーションを達成する上で福祉・経済政策が果たす役割の重要性を伝えることに特に力を注いできた。
彼は2020年2月、世界銀行出身のチョ・ジョンフンとともに新政党「時代転換」を立ち上げた。自力で国会に議席を獲得できる可能性が低いことを理解していた彼らは、与党・共に民主党の選挙協力に加わった。これにより、彼らがUBIなど革新的なイニシアチブを提唱する基盤ができた。この選挙協力には、若い女性を代表する新政党「基本所得党」も加わっている。同党の2万人の党員のうち85%が40歳未満で、その多くが失職中であり、フルタイムまたはパートタイムの職を探している。
新型コロナウイルス感染症が流行する中、チョ・ジョンフンはインターネットとソーシャルメディアのみを活用した選挙活動を繰り広げ、2020年に国会の議席を勝ち取った。基本所得党からは31歳のヨン・ヘインも当選した。筆者が立ち上げたオンラインの研究グループ、東アジアソーシャルイノベーションスタディ・グループの3月の会合で、ウォンジェはこれを「大勝利」だとし、「なぜならこの選挙協力は、デジタルトランスフォーメーション、UBI、社会イノベーションの3点を支持しているからです」と述べた。2021年時点で、与党・共に民主党と野党・国民の力はいずれもUBI政策を支持しており、2022年の大統領選挙で論点の1つになる見通しだ。
しかし、この成功には首をひねらざるを得ない。韓国は、自助努力で生計を立てなければならないと説く儒教の影響を強く受けた東アジアの国である。国民は伝統的に、他人の努力に頼ることは恥だと考えてきた。「働かざる者食うべからず」という労働観からの反対もある。ではなぜ、「無条件の所得保障」という考え方が支持されたのだろうか。
そのかなりの部分を説明するのが、近年の韓国社会の深刻な貧富格差と社会階級の固定化である。アカデミー賞を受賞した映画『パラサイト 半地下の家族』は、この現象を描いた作品だ。暗くじめじめした半地下に住み、資格や学歴を詐称することでしか運命を切り開く希望を見いだせない家族の物語である。
韓国で2015年から流行している「スプーン階級論」にも格差が反映されている。この理論では、20~39歳の若者を資産と所得に基づいて6つのグループに分類する。「金のスプーン」階級は20億ウォン(約176万ドル)以上の世帯資産を持つ裕福な家庭の子供世代であり、これに該当するのは韓国の人口のわずか1%だ。最下層が「泥のスプーン」階級で、世帯年収が2000万ウォン(約1万7600ドル)未満である。2019年の調査では、75%を超える回答者が、子供の成功には親のコネクションや財力が不可欠だと答えた。
イ・ウォンジェは、同国の不平等が深刻化の悪循環に陥っていることを警告してきた。彼は前述の研究グループの会合で次のように述べた。「韓国では利益を上げている企業が新規雇用を生み出さず、一方で不採算の企業が職を提供しています。過去30年間(中略)韓国の製造業は成長を続け、大企業の富は何倍にもなりました。しかし全体的な雇用はほとんど増加しておらず、増加分の大半は不安定な低賃金の仕事です。これが今の韓国の現実です」
韓国の労働者のうち自営業者は25.1%を占め、その中の多くは、プラットフォーム経済で生み出された不安定な仕事――フードデリバリーやプログラミングなど――に従事している。こうした労働者には従来のような雇用関係がなく、主に制度的な問題のために社会保障が受けられない。たとえば、失業保険給付金は雇用されていた人が失業した場合にしか支給されないので、大学卒業後に仕事を見つけられない若者は受給資格がないことになる。一方で、韓国の30歳未満の若者の10人に1人は仕事がないという現実がある。
ウォンジェとラボ2050の仲間はUBIがこの問題の解決に役立つと確信している。
アジア最大の実験
韓国において、若者たちが参加する新たなUBIの実験が始まった。
首都ソウルを囲む位置にある京畿道は人口1200万人で、韓国で最も人口の多い行政区である。京畿道知事のイ・ジェミョンは2018年、道内のすべての24歳の若者が社会貢献の方法を見いだせるように支援するという目標を掲げて、若者対象のベーシック・インカム・プログラムを開始した。韓国では若者の多くが24歳で大学を卒業し、仕事探しを開始する。しかしスキル開発や求職資格の獲得のために、学業を続けたりインターンシップに参加したりする者も多い。
京畿道の24歳の人口は17万5000人。彼らを対象に3カ月ごとに1人当たり220ドル相当の地域通貨をカードへの入金等のかたちで支給する。金額こそ少ないものの、このプログラムは若者や現地の企業に支持されている。若者のなかには、この金のおかげでアルバイトをやめ、自己改善に専念する時間を増やすことができたと語る者もいた。一方、地域通貨は道内のみ有効で、国際的なチェーン店(マクドナルドなど)は対象から除外されているため、地域の中小企業では売り上げの急増が見られている。さらに京畿研究院(GRI)は一部で不安視されたUBI受益者の勤労意欲の低下は見られず、受給者らの幸福度が上がったと結論づけた。
イ・ウォンジェによると、ソウル在住の若者も1回限りの就職活動助成金として2500ドル相当を受け取ることができる。また、新型コロナウイルス感染症の流行下で、政府から全世帯に1回限り800ドル相当の支援金が支給された。これらの施策は厳密にはUBIとは見なされないが、無条件の所得保障を後押しするモメンタムが存在する。昨年の世論調査によると、UBIは韓国の半数近くの国民から支持を得ている。
2022年の大統領選挙の有力候補の1人と目されているイ・ジェミョンは、すべての国民が毎年50万ウォン(約430ドル)相当の基本所得を得られるようにしたいと述べている。土地、化石燃料の燃焼による二酸化炭素の排出、デジタルサービスに対する課税の強化を財源として、まずは少額から始めて段階的に増額し、最終的に50万ウォンという数字を達成したい考えだ。
賛成派、反対派、それぞれの主張
2008年の金融危機の後、つまり韓国の実験が始まるずっと前から、欧州や北米、アフリカ、アジアのいくつかの国で、より小規模で期間を限定した実験が始まっていた。2019年には、米国大統領選挙の民主党予備選挙に出馬したアンドリュー・ヤンが、米国の全成人にUBIを提供する計画を掲げた。福祉プログラムの統合や大企業に対する付加価値税の導入によって財源を確保し、政府が1人当たり月1000ドルを支給するという内容だ。ヤンは敗れたが、UBIに関する幅広い議論につながったことは確かである。
UBIの支持者によれば、UBIには少なくとも3つの大きな利点がある。
- 一部の人々を生きるためだけに働く状況から解放し、勉強したり、潜在能力を発揮できるビジネスを起業したりすることを可能にする。基本所得党の党首で33歳のシン・ジヘは、ペンパイ・メディア(澎湃新聞)のインタビュー(シャオユ、2021年)で、「好きではない仕事を無理やりするのではなく、自分がもっと価値を感じられる何かをするべきです。それほど労働力が必要とされない時代には、どうすればより多くの人々に人生の価値を見いだすチャンスを与えられるかということに、誰かが取り組む必要があります」と説明した。テクノロジー企業の創業者であるマーク・ザッカーバーグやイーロン・マスクなど、他のリーダーたちもUBIの可能性を指摘してきた(2)。
- 適切に設計されたUBIは、現行の社会保障制度につきまとう、いわゆる「福祉の罠」を回避することができる。現在の福祉システムは条件付きのものが多い。たとえば、所得がある一定水準を下回ることが給付金の受給条件であれば、受益者はずっと低所得の状態を維持しなければならない。社会給付金と、働いて得られる金が金額的にそれほど違わない場合、受益者はメリットとデメリットを天秤にかけて、しばしば働かないことを選ぶ。その点、UBIは無条件の現金給付であり、その他の所得に干渉しないため、受益者はUBIの恩恵を受けつつ働くことができる。
- 既存の社会保障システムや承認システムは管理コストが高く、効率の悪い役所仕事や汚職の温床になることがある。UBIは全人口を対象とする(多種多様な個人的事情を考慮しない)ため、管理手続き、ひいては政府支出の大幅な削減が可能である。
一方、UBIに反対、あるいは懐疑的な意見は次の3点に注目する傾向がある。
- 人々の勤労意欲を失わせ、経済崩壊を引き起こすという懸念
- 妥当な所得金額を定義することの難しさ
- UBIを導入しても既存福祉システムの縮小につながらず、両方に金がかかって公共支出が膨らむ可能性である。
より大きな幸福につながる道なのか
UBIに関する疑問が、人々の勤労意欲を損なわないかという点に集中したため、実験でもその点が重視されてきた。特に有名な実験の1つが、フィンランド政府が2017年1月に開始した2年間のプログラムである。
フィンランドは高税率・高福祉の社会である。しかし世界幸福度インデックス (Global Happiness Index)で何度もトップに立っているにも関わらず、同国の失業率は高い。2017年の失業率は8.6%で、新規雇用者の平均年収は9920ユーロ(約1万1210ドル)である。一方、失業給付は年間平均7268ユーロ(約8216ドル)で、他の社会給付金を加えると、働いて得られる収入を上回る場合がある。フィンランド政府は失業率の改善を狙いとして、全国から25~58歳の失業者を無作為に2000人抽出してUBIの受益者とし、他の17万人の失業者を比較のための対照群とした。2年の実験期間中、実験群の人々には、雇用状況に影響しないUBIとして1人当たり毎月560ユーロ(約633ドル)が支給された。
その結果は複雑なものだった。UBI受益者の1年目の就業率は18%で、対照群とほぼ同じだった。2年目の就業率は27%だったが、依然として対照群との差は無視できる程度だった。一方で、受益者の雇用状況に大きな改善はなかったものの、意識調査の結果、彼らの主観的なウェルビーイングは大きく改善し、自らに対する自信が深まっていた。
一部のUBI研究者は、この実験で決定的な結果が出なかったのは、予算が乏しく、政治的圧力を受けて実施を急いだためだと指摘し、実験の設計面を批判してきた。しかし、この結果に対するイ・ウォンジェの見方は違う。彼は研究グループの会合で「このフィンランドの実験の目的が、雇用者数が増えたかどうかではなく、人々が幸福になったかどうかを検証することだとしたら、成功だと言えるでしょう」と説明した。そして実際に、韓国におけるUBIの実験も同じ結論にたどり着いた。
社会を回復させるツールとしてのUBI
2020年、突然のパンデミックが世界を席巻した。経済危機と制御不能の失業率の増加に直面し、多くの国が全国民に1回限りの支援金を支給した。人々はそれを様々な用途に使用した。筆者が暮らす日本では、政府が10万円(約1000ドル)を、年齢、国籍、収入状況に関わらず全住民に給付した。報道機関の調査によると、この金は多くの個人や家庭の困窮を和らげることに役立った。一部の裕福な家庭では、給付を受ける機会を自主的に放棄する例もあった。給付を受けて、それから生活困窮家庭や慈善事業に寄付する者もいた。
イ・ウォンジェは研究グループの会合で、発言の締めくくりに「目下、韓国は重大な危機に直面しています。いまこそ、それを好転させられるときです」と訴えた。ラボ2050はUBIを柱とする新たな社会保障モデルを提唱してきた。フリーキュリティ(フリーダム+セキュリティ)と呼ばれるこのモデルは、フルタイム労働を前提条件としない生活を保証する。「自由と安定はどちらか一方だけでは実現できません。政府が直接個人に経済的保障を与え、それが安心感をもたらすような未来を想像してみましょう。韓国の人々は、もはや家族を養うためにフルタイムの仕事をする必要はありません。その代わりに、幸せな気持ちで自分の事業を立ち上げたり、社会に対する責任感を持ってイノベーションを実現したりすることができます。私は、ユニバーサル・ベーシック・インカムは単なる分配制度ではなく、社会の人々が皆で検討するべき、理想の未来のビジョンだと確信しています」
1)https://www.mckinsey.com/featured-insights/future-of-work/jobs-lost-jobs-gained-what-the-future-of-work-will-mean-for-jobs-skills-and-wages
2)https://www.cnbc.com/2017/12/27/what-billionaires-say-about-universal-basic-income-in-2017.html
【原題】Is Universal Basic Income the Key to Happiness in Asia?(Stanford Social Innovation Review, July 12, 2021 Aug. 15)
【写真】Pickawood on Unsplash