ジョン・リストの新著『そのビジネス、経済学でスケールできます。』は規模の拡大を目指す企業へのアドバイスを紹介している。しかし、果てしないスケールの追求は、益よりも害をもたらさないだろうか。
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 04 コレクティブ・インパクトの新潮流と社会実装』より転載したものです。
ジェフ・スプロス
『そのビジネス、経済学でスケールできます。』
ジョン・A・リスト John A. List
訳:高遠裕子| 東洋経済新報社(2023)
ジョン・リストは、新著『そのビジネス、経済学でスケールできます。』(The Voltage Effect:How to Make Good Ideas Great and Great Ideas Scale)で、アメリカの資本主義の根底に関わる問いを提起するつもりなどなかっただろう。シカゴ大学の経済学者であるリストは、ジョージ・W・ブッシュ元米国大統領の経済諮問委員会のメンバーや、ライドシェア大手のウーバー・テクノロジーズ(Uber)とリフト(Lyft)のチーフエコノミストを務めるなど、行動経済学の分野で素晴らしいキャリアを積んできた。本書はこれらの経験をもとに書かれた、小さなアイデアを大きくスケールアップするために必要な力、「ボルテージ」をどうしたら生み出せるのかについてのマニュアルだ。
「当初掲げた目標から広範な影響を及ぼすまでに至るには必要なことが1つある。『スケーラビリティ』、つまり、力強く持続可能な形で成長させ、拡大する能力だ」とリストは述べている。スケールがあって初めて世界を変えることができるのだ。
とはいえ本書も、企業の規模の拡大をめぐる近年の政治的な議論から逃れることはできない。「ビッグテック」と総称される大手テック企業群が規制を逃れ、市場であまりに強い支配力を持つことに、与野党の議員たちはますます苛立ちを募らせている。しかしながら、リストは、テック・ビリオネアたちを褒めそやそうというわけではない。彼は本書の随所で、企業はイーロン・マスクやジェフ・ベゾスのような特異な創業者の才能によって成功するという「偉人理論」に反論している。
そうではなく、規模の拡大の成功は、組織をどのように設計するか、いかにして多数の従業員を効果的に連携させることができるかなど、その集合的な社会活動の成果であると主張している。
本書の前半は、規模を拡大する際に陥りがちな落とし穴とその回避方法に割かれている。たとえば、「偽陽性に注意する」「初期の顧客とスケールアップ後の顧客を混同しない」「成功の鍵が『食材』にあるのか『シェフ』にあるのかを知る」「スピルオーバー(波及効果)に気をつける」「スケールアップに伴って平均費用が増加するかしないかを見極め、スケールアップすればするほどコストが拡大してしまう『規模の不経済』を回避する」などだ。さらに、本書の後半では、スケールアップすればするほどボルテージが高まる状態である「ハイボルテージ」を実現するための、4つの方法が紹介されている。
その4つとは、「行動経済学のインセンティブを活用して結果を最大化する。限界的に見落とされている機会を活用する。長い目で見て勝利するために、引き際を見極める。持続可能な勝つ文化をつくる」である。
本書は、「限界効用」や「限界利益逓減」といった経済学の概念を学びたい一般読者向けの入門書としては役に立つ。しかし、その親しみやすい書きぶりゆえに、各章があまりにもあっさりしすぎている。
経済学の概念を歴史や自身の経験を交えて巧みに説明してはいるものの、そのアドバイスをどのように実行に移せばよいのかという具体的な提案はほぼ見当たらない。皮肉なことに、ハウツー本としてはハウの内容が薄く、ボルテージという概念も、本書をまとめるための中途半端なマーケティング上のフレームワークにすぎないように思えてしまう。
本書の教えは、起業家だけでなく、一般読者や、筆者のように幅広い政策問題に関心を持つ人も活用できるものだとリストは主張している。そして、「広い意味で」スケールアップについて、「ビジネスの世界と政策の世界と、それらの中間の世界」を取り上げたと述べている。たしかにリストの言うことは正しい。もっとも彼の意図よりもかなり根本的な意味において、ではあるが。
スタートアップ企業が成功するのは、「シェフ」のおかげなのか、それとも「食材」のおかげなのかを議論する章を取り上げてみよう。リストは、貧困地域の生徒が学力差を縮められるように設計されたカリキュラムを例に挙げている。もし、そのカリキュラムが最高の教師(=シェフ)にしか教えられないものであれば、スケールアップは望めない。むしろ、カリキュラム(=食材)は、最高レベルの教師だけでなく、一般的なスキルを持つ教師にも広くアクセス可能なものでなければならない。「使い勝手のいいテクノロジーは広がっていく」というリストの教えは、アメリカの政策立案者が学ぶべき点だ。なぜなら、アメリカの社会福祉は、税額控除のように複雑で対象者を絞ったかたちで提供されることが多く、恩恵を受けるには煩雑で矛盾だらけの役所的な手続きを踏まなければならないからである。
リストは本書全体を通して、ランダム化比較試験やベータテスト、データ収集を繰り返すことの必要性を強調している。そうすることで、起業家は思い込みを避け、顧客を理解し、現在のプロジェクトが失敗した場合に追求すべき「積極的に代替案をつくること」ができるからである。素晴らしいアドバイスではあるものの、それを実行するためには多くの時間とエネルギー、そして何よりも資金が必要となり、重複が多い非効率的なやり方でもある。
そしてこれは、1ドルでも多く儲けようという市場競争のプレッシャーにさらされている民間企業だけの問題ではない。政府の問題でもある。巨額の予算と膨大な赤字、そして、ソリンドラ(アメリカ政府からクリーンエネルギーに関する数億ドルの融資を受けて2011年に倒産した悪名高い太陽光パネルメーカー)のような失敗の反省から、政府による支出は抑制されがちである。しかし、実験の成功に失敗はつきものだ。リストの主張を公共部門が採用するとなると、十分なデータを集め、十分な実験を行って研究を裏付けるためという名目で、膨大で無責任な支出を要求することになる。
リストはより踏み込んだ議論をしていると捉えることもできる。彼は本書で「ロックイン」というビッグテック特有の現象について述べている。これは、あるプラットフォームのユーザーが多ければ多いほど、他のユーザーにとってそのプラットフォームを利用する価値が高まり、他のプラットフォームを利用する価値が低くなるという現象である。リストは、フェイスブックのようなビッグテックのプラットフォームが、インターネットにおける自然独占に相当するものであると示唆している。経済学の教科書にも書かれていることだが、自然独占企業は、政府が所有・運営するか、少なくとも公益事業として厳しく規制されるべきものだ。なぜなら、自然独占企業は通常、企業が顧客にとってベストな価値を提供するための競争に直面しないからである。
規模の拡大を可能にする組織文化について述べた別の章では、企業内のさまざまなチーム間の「協力(cooperation)」と「競争(competition)」を統合させる「コーペティション(coopetition)」について、複数の企業の試みを調査している。「コーペティション」の考え方を経済全体に応用すれば、ある特定の経済活動を行う際に「協力」と「競争」のどちらが最適かを判断することも簡単にできるだろう。
たとえば、Uberのようなピラミッド型組織の企業がドライバー間の価格調整を行うのは合法なのに、ドライバーが組合をつくり自分たち自身で価格調整を行うことが違法なのは、なぜだろうか?
政府が独占禁止法や公正な市場のルールを適切に適用していたならば、Uberが現在の規模に拡大することはなかったはずだ。配車を制御するための質の高いソフトウェア・プラットフォームを構築するのは容易ではないが、そうした技術はUberに限らない。Uberの真のイノベーションとは、P2P(ピアツーピア)のプラットフォームを使用することで、自分たちは厳密にはドライバーの雇用主ではないと主張し、企業が従業員に対して負う法的義務やそれに伴うコストを回避できると気づいたことにある。競合他社と同じルールに従う必要がなければ、大きく「スケールアップ」して成功を収めることができるだろう。Uber のビジネスモデルの実態とは、ある種の規制逃れであり、労働者を切り捨てることによって顧客により良い価値を提供するというものだ。経済が利益をもたらすべきは労働者と顧客の両方であることなど、意にも介していないのである。
もちろん、この例は、本書に対する直接的な批判ではない。結局のところ、リストは本書をビジネスセクターの読者に向けて書いている。政府の役割は、企業や組織が活動する経済全体を形成することだ。リストはそれとは異なる問題に取り組んでいるにすぎない。
アメリカの問題は、このカテゴリの区別をあいまいにするイデオロギーが、潤沢な資金に支えられて深く根付いていることだろう。それによって政策立案者たちが、個々の企業にとって好ましいこと(税も規制も少ないほどいい)は、経済全体にとっても好ましいことだと思い込んでいるふしがあるからだ。彼らは、際限なく拡大し続ける一企業にだけ通用するスケールアップのやり方を、経済全体に適用できるものと勘違いしがちだ。市場競争の本来の目的は、イノベーションを広めることである。ある企業が採用したアイデアを、その企業のすべての競合他社も採用するように促すことで、企業は競争力を維持し、イノベーションのコストを最低限に抑え、消費者に利益をもたらすことができる。スケーラブル(規模の拡大が可能)なアイデアを奨励する経済政策は、企業の規模拡大を奨励する政策とは異なる。しかし、本書を読んで、政府の仕事とは企業の邪魔をしないことだと考える読者がたくさん出てくることは、想像に難くない。
市場は自然発生的に生まれるものではなく、社会がルールや規範を定めることによって成り立つものであり、究極的には政府がつくり出すものである。イノベーション自体は道徳とは無縁のプロセスであり、イノベーションがもたらすブレークスルーは向社会的なものにも反社会的なものにもなりうる(これもUberがいい例だ)。ルールを定めて向社会的なイノベーションを奨励し、反社会的なイノベーションを抑制することは、政府の権利であるばかりでなく義務でもある。ビジネスの目的は商品やサービスをつくり出すことであり、政府の目的は公正かつ機能的な社会をつくり出すことだ。だから、政府の公共部門に「効率」を求めるのは、往々にしてカテゴリ錯誤である。リストも「貨幣価値や従来の尺度を超越」した測れないほど大切なものがあることは認めている。その価値を前にしては経済学者の概念的なフレームワークなど役に立たない。答えるべきは私たち国民が、選挙で選ばれた議員を通じてどのような社会をつくりたいかという基本的な問いであり、そこに、利益や費用便益分析の入り込む余地はない。
だからといって、この本がくだらないとか悪意に満ちているなどと言うつもりはない。むしろ私が言いたいのは、より広範な問題を取り上げた、より全体的な視点で書かれた姉妹編が必要だということである。アイデアの規模拡大と企業の規模拡大をどう区別すべきか。どのような市場ルールがあれば私たちの求めるイノベーションを促進できるのか。できる限り多くの企業に、本書のアドバイスを実践してもらうためには、国による規制と投資の両面において、どのようなアプローチをすればいいだろうか。
正直なところ、私にはその姉妹編がどんなものなのかも、既に書かれているのかどうかもわからない。企業を植物に、政府を庭師にたとえるなら、どうすれば植物を大きく立派に育てられるかというような一般的なアドバイスは既に巷にあふれかえっている。しかし、大企業の経営者はほんの一握りとはいえ、私たちはみな大企業がつくり出す世界に生きている。一方で、大企業のあり方を決める政策立案者を選ぶのも私たちだ。だから、庭師がいつ・どのように・何の目的で剪定をするべきかについて、つまり、政府が指針とすべきフレームワークについて、私たち国民も理解しておくことが非常に重要なのだ。
【翻訳】五明志保子
【原題】When Scaling Goes Wrong(Stanford Social Innovation Review Spring 2022)
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*訳書からの引用部分は高遠裕子訳に準じた。