※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 02 社会を元気にする循環』より転載したものです。
若杉忠弘 Tadahiro Wakasugi
セルフ・コンパッション[新訳版]
クリスティン・ネフ 著 Kristin Neff
石村郁夫|樫村 正美|岸本早苗 監訳
浅田仁子 訳
金剛出版|2021
セルフ・コンパッションとは、本書の著者、クリスティン・ネフによれば「自分にやさしくする力」です。自分へのやさしさというと、甘えや弱さと結びつけて考えてしまいがちですが、セルフ・コンパッションは勇気や強さを引き出す「錬金術」のようなものだとネフは述べています。
本書で紹介されているネフの人生を追っていくと、セルフ・コンパッションの輪郭が見えてきます。ネフ自身が、セルフ・コンパッションによって、人生のどん底から救われている体験をしています。20代で最初の結婚が破綻し、自分を恥じる苦しい日々が続いていました。追い打ちをかけるように、在籍していた博士課程では論文の提出が遅れ、自分はアカデミックの世界でやっていけるのか、卒業したら仕事はあるのかと、不安、恐怖、そして自己嫌悪に陥っていました。自己批判を繰り返していた彼女を救ったのが、藁にもすがる思いで通った仏教の瞑想クラスでした。そこでネフははじめて、他人にやさしくするように、自分にやさしくすることを教わります。ネフは「ほんとうに自分にやさしくしていいのだろうか」と戸惑いつつも、セルフ・コンパッションを実践するうちに、穏やかな気持ちを取り戻していきました。
この感情の転換こそがセルフ・コンパッションの核心です。ネフによれば、自分のつらい気持ちをありのままに受け止めると、心の深いところから自分を思いやる気持ちが湧き上がってくるといいます。そうすると、つらいという感覚に圧倒されるのではなく、そのつらさを包むやさしさとつながりを感じられるようになり、心が落ち着き、苦痛が和らぐのです。
ネガティブな感情から穏やかさを生むのですから、まるで魔法のようです。実際、ネフはこの変化を次のように表現しています。
かつて、錬金術師は賢者の石を使って鉛を金に変えようとしたが、私たちはその錬金術師のようにセルフ・コンパッションを使って苦しみを喜びに変えることができる。
私たちが慣れ親しんでいる考え方はこういうものです。何かいいことがあると、ポジティブな気持ちになる。たとえば、褒められたり、ゴールを達成したり、パートナーとの関係がうまくいったりすると嬉しい。しかし、セルフ・コンパッションは、つらい気持ちの中からポジティブな気持ちをじわりと引き出す新しい方法を提示してくれるのです。
本書の特徴は、こうしたセルフ・コンパッションの効用が著者の体験談だけではなく、科学的なエビデンスによって裏付けされていることです。たとえばセルフ・コンパッションを実践している人は、不安、抑うつ、自己批判などネガティブな感情のレベルが低く、また、人生の満足度、楽観性、自信、他人への思いやりなどポジティブな感情のレベルが高いことが実証研究によってわかっています。
セルフ・コンパッションに関しては以下のような疑問もよく聞かれます。「自分にやさしくすることで、自分のウェルビーイングは高まるかもしれないが、自分に甘えてしまい、成長できないのではないか。むしろ、自分を厳しく批判するからこそ、成長できるはずだ」。本書に紹介されている実証研究によると、この問いに対する答えはノーです。セルフ・コンパッションを実践している人は、むしろ自分の欠点を認め、改善する意欲が高い。また、セルフ・コンパッションを実践することで仕事の質が落ちるということもないそうです。逆に、自己批判をすることで、自信が低下するリスクが指摘されています。自信をなくしてしまうと、自己成長する意欲も結果的にそがれてしまうのです。
ネフは、こうしたセルフ・コンパッションに関する科学的な研究の火付け役です。博士課程を修了してから、まだ誰も手をつけていなかったセルフ・コンパッションの研究を先駆的に切り開き、その普及に心血を注ぎました。最初にセルフ・コンパッションの論文を出したのは2003年のことです。それから20年ほど経ったいま、多くの研究者がこの分野の研究に加わり、急速にセルフ・コンパッションの研究論文が増えています。さらにネフは、研究の成果を踏まえて、セルフ・コンパッションを高める8週間のプログラムも開発しました。本書でも、そのプログラムで使われているエクササイズが章末に収録されています。
セルフ・コンパッションは、もともと仏教の教えでしたが、科学的な裏付けを得て、仏教の枠を超えて、医療従事者をはじめ、世界中で多くの人の助けになっています。
私は、はじめてこの本を手にしたとき、ネフの語るストーリーと科学的な証拠にひきこまれ、読みながら背筋が伸びたのを思い出します。「私自身が必要としていることだ」と思ったのです。仕事で燃え尽きそうになったとき、セルフ・コンパッションを取り入れることで、自分に必要な休息をとることができるようになりました。そうすると、「自分に何をさせることが、自分へのやさしさなのか」と自問する余裕が出てきました。ふつふつと湧き起こってきた気持ちが、「組織におけるセルフ・コンパッションを研究し、広める」でした。「セルフ・コンパッションは、社会が求めていることだ」と気づいたのです。
そのような導きがあり、いま大学院の博士課程に在籍して組織におけるセルフ・コンパッションを研究しています。セルフ・コンパッションは、私の中から新しい一歩を踏み出す強さを引き出してくれました。
本書で紹介されている考え方は、自己を犠牲にすることなく、燃え尽きることなく、社会に貢献していく道標になると思います。