新興国では、「ペーサー」と呼ばれる起業支援組織が起業家に長期にわたってさまざまなサービスを提供することにより、目標達成を後押ししている。そうしたペーサーモデルの基本的な仕組みから起業家が事業を成長させる過程をどのように支援すればいいのかが見えてくる。
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 05 コミュニティの声を聞く。』より転載したものです。
ソナリ・V・ラモハン|ダリウス・ティーター|
ティム・ワイス|イェスパー・B・ソーレンセン
新興国では、中小企業が多くの雇用を創新出・維持し、イノベーションに寄与し、社会に影響を与えている。そうした中小企業に対する支援では、インキュベーター、アクセラレーター、フェローシッププログラムなどの起業支援組織が果たしている役割が大きい。これらの組織は、起業家に欠けている知識や資本、人的ネットワークを提供したり、目標達成のための道筋を示したり、起業を支えるビジネスのエコシステム(生態系)を育むのを助けたりしている。このような起業支援プログラムが企業の収益増加、人材の獲得、資金調達に好ましい影響を及ぼしていることは、研究によっても明らかだ。しかし、プログラムが修了したあと、起業家は他の支援プログラムに参加しない限り、たいていすべて自力でやっていかなくてはならなくなる。
その点、先進国の起業家には、業界団体、起業家同士の交流団体、コンサルタントなど、長期的な成長に役立つさまざまな専門サービスへのアクセスがある。
一方で新興国の起業家にはこうしたサービスへのアクセスが限られており、そこに格差が生まれている。
著者たちはアフリカとインドで起業支援組織について調べ、特に大きな存在感を示す 90以上のインキュベーター、アクセラレーター、フェローシッププログラムを洗い出した。この種の組織は一般的に、一定の期間にわたり、体系的な学習の機会、起業家同士の交流の場、メンタリング、投資家ネットワークへのアクセスを提供する。著者たちが調べたうちの 60の組織は、プログラムの詳細をオンラインで公開していた。それによると、46の組織は短期で単発のサービスを提供しており、その期間は短ければ数日、長くても半年程度だった。その期間が終了したあとは、緩やかな卒業生ネットワークを通じたつながりに移行するケースもある(下図「起業支援組織の概要」を参照)。新興国の起業家に対する継続的な支援が不足しているという著者たちの発見は、アスペン新興国起業家ネットワーク(Aspen Network of Development Entrepreneurs, ANDE)と米エモリー大学の共同研究プロジェクト「グローバル・アクセラレーター・ラーニング・イニシアチブ(Global Accelerator Learning Initiative, GALI)」の最新データによっても裏付けられている。そのデータによれば、新興国では起業家を長期にわたって支援するサービスが存在しない場合が多いが、その種のサービスは切実に必要とされている。
しかし、著者たちの研究により、まったく新しいタイプの起業支援組織の存在が浮き彫りになってきた。それは、ペースメーカー組織、もしくは「ペーサー(pacer)」とでも呼ぶべきものである。この種の組織が新興国の起業家に提供するサービスは、既存の支援組織とは性格が異なるものだ。ペーサーは、1年以上、場合によっては恒久的に、起業家を支援する。世界トップクラスのマラソン大会で選手が好記録を挙げるのを助けるペースメーカーさながらに、ペーサーは、事業の規模を拡大させるという長丁場の取り組みで起業家の目標達成を支援する。この 20年ほど、一部の起業支援組織は自らのモデルを進化させてペーサーモデルに移行し、新興国における起業支援に欠けていた部分を埋め始めた。起業家が事業の規模を拡大させ、さまざまな危機を乗り越え、新しい領域への進出を目指す過程では、起業家のニーズも変化する。ペーサーは、それに合わせてサービスの内容を修正していく。
ペーサーは、旧来型の起業支援モデルより長期のサービスを通じて、中小企業の社会的・経済的な成長を後押ししている。ペーサーモデルでは通常、既に売上を計上しているスタートアップ企業と創業者を対象に、人的ネットワーク、継続的学習の機会、メンタリング、信頼関係に支えられた起業家同士の長期的なつながり、起業家やCEOのニーズに応じたプログラム(資金調達の準備、新しい業績管理システムの導入、キャッシュフローの危機管理など)を提供している。また、参加者と卒業生の間に明確な線を引くのではなく、起業家たちを「メンバー」としてプログラムに取り込み、無期限でサービスを提供していることもペーサーの特徴だ。ペーサーのなかには、対象企業に出資はしないまでも長期にわたって協働しているケースもあれば、少額の出資を行ってリスクを負うことで、会社との関わりを強化し、その会社の成長に長期的な利害関係を持つようにしているケースもある。
起業支援組織は、新興国で事業を成長させることに伴う試練と機会を理解しているが、起業家たちは、どのようなときに試練と機会が到来し、それにどのように対処するのが最善なのかを知っているとは限らない。ケニアでマカダミアナッツとカシューナッツの加工と輸出を行うテン・センシズ社のフランク・オモンディ CEOは2017年、スタンフォード新興国イノベーション研究所(Stanford Institute for Innovation in Developing Economies)[通称スタンフォード・シード(Stanford Seed)]による 1年間の研修プログラムに参加した。しかし、プログラムが修了してすぐに、事業を成長させるうえでの試練にぶつかった。そこで、スタンフォード・シードのメンター・ネットワークの力を借りようと考え、見つけたのが、スタンフォード大学ビジネススクールの卒業生であるナンシー・グレイザーだった。
グレイザーが数カ月間ボランティアでコーチ役を引き受け、テン・センシズがキャッシュフローの問題に対処し、投資家を見つけるのを助けてくれることになった。この 2年後、オモンディは、事業をさらに成長させるための資本を確保することができた。そこで、自社の扱うナッツがフェアトレード産品で、有機栽培のものであることを証明するために、ブロックチェーン技術を使ったソフトウェアを開発したいと考えて、再びスタンフォード・シードのサービスを利用することにした。今回はインターンシップ・プログラムによりスタンフォード大学の学部生を 1人迎えて、一緒に新しいシステムをつくったのだ。
本稿では、いくつかの組織の経験を基に、ペーサーモデルの基本的な仕組みを示したい。我々は、エンデバー(Endeavor)、アンリーズナブル・グループ(Unreasonable Group)、アフリカ・マネジメント研究所(African Management Institute, AMI)、ハランベ起業家連合(Harambe Entrepreneur Alliance)、起業家機構(Entrepreneurs’ Organization,EO)、 Yコンビネーター(Y Combinator, YC)、スタンフォード・シードなどのペーサー組織の人々に話を聞いた。以下では、ペーサーが起業家に提供できる長期的な(ときには恒久的な)価値、ペーサーの組織構造、他の種類の起業支援組織がペーサーモデルへ移行する場合の道筋の選択肢、現状でペーサーが直面している諸課題について論じる。
私たちがこのテーマに強い熱意をいだいている理由の一端は、スタンフォード・シードのリーダーとして、あるいはアカデミックな研究者としての関心にある。
ペーサーモデルは、まだ明確なかたちで定義されているわけではなく、これまでおおむね自主的に、自然なかたちで進化してきた。しかし、徐々にこのモデルを明確に定義し、業界全体で対話を始めるための情報が蓄積されてきている。こうした情報を通じて、ペーサー同士の連携強化が促され、さらには、他の起業支援組織がペーサー的な手法を導入して、新興国における起業支援サービスの不足解消への道が開けるだろう。
起業家にとっての恩恵
ペーサーは、他の起業支援組織と同様、最初に短期集中型のプログラムを提供することが多い。そのあと、その卒業生たちをプログラム修了後の長期的な支援インフラに組み込む。起業家がペーサーと協働することで得られる主な恩恵は、以下の4つだ。それは、継続的学習の機会、広範な人的ネットワーク、起業家同士の充実したつながり、そしてニーズに基づくサポートである。
❶継続的学習の機会
ペーサーは、起業家たちに長期にわたり学習の機会を提供する。その学習を通じて、起業家が試練を予期し、それに対処するのを助ける。注意したいのは、起業家が支援プログラムを終えても、学習の必要性はなくならないということだ。
たとえば、起業家機構(EO)は、年間収益 100万ドル超の企業を経営する起業家たちと協働し、60カ国にある211の支部を通じて地域レベルと世界レベルで幹部教育のイベントを開催している。その一環として、ペンシルベニア大学ウォートン・スクール、ハーバード・ビジネススクール、ロンドン・ビジネススクールとのパートナーシップにより、意欲あるメンバー向けの3年間の継続学習プログラムである「EO起業家マスタープログラム」を提供している。
EOがプログラムづくりで特に重んじている中核的要素(コアバリュー)は、「学習への渇望感」だ。そのような渇望感があればこそ、起業家たちは長期にわたり職業的・人間的成長を目指せるのだ。一方、戦略から財務まで、さまざまなテーマに関する短期のコースも、いつでも受講できるようになっている。EOのグローバル組織の理事会メンバーで次期会長のマルク・ストックリーによれば、EOのプログラムは、目の前のビジネス上の問題に対処することだけを目的にしているのではない。「ビジネスのライフサイクル全体、さらには(起業家の)人生全体に関わるもの」であると彼は言う。
アフリカ・マネジメント研究所(AMI)は、ケニアのナイロビに拠点を置き、アフリカの小規模企業や零細企業のリーダー向けに、実践的なハイブリッド型学習(教室での学習とオンライン学習を併用した学習形態)を提供する一方で、アフリカの大企業のミドルマネジャー向けの研修も実施している。高度なデジタル学習プラットフォームを活用して、オンラインコースとビジネスツールを提供していることが特徴だ。
2020年までは、プログラム修了後の参加者が使える体系化された仕組みは存在しなかった。しかし、レベッカ・ハリソン共同創設者兼 CEOが率いるチームは、プログラム修了後も同様の取り組みが重要な意味を持つことに気づいた。その認識の下、新しい試験的なプロジェクトでは、プログラム修了後の起業家もデジタルプラットフォームにアクセスできるようにし、時間の経過とともに生じる新しいニーズに応じて学習を継続できるようにしてある。
それに加えて、メンバーは、2カ月に1回、さまざまな学習上のテーマを軸に設計されるイベントにも参加できる。AMIのインパクトは実行に移してこそ生まれると、ハリソンは考えている。そこで、プログラム修了後のサービスは、リーダーが次第に新しい習慣を身につけられるように設計されている。 AMIのチームによれば、インキュベーターやアクセラレーターのプログラムでは、一定期間にわたり集中的に学習に専念する場合が多いが、AMIではプログラム修了後のメンバーが起業のプロセスで随時、コンテンツにアクセスする傾向があるという。
スタンフォード・シードは、アフリカと南アジアの 29カ国で活動を行っており、2013年のプログラム開始以降、研修に参加した起業家やマネジャーは 4000人を超す。プログラムの参加者は、1年間集中的にパートタイムのマネジメント研修を受けて、自社の状況を評価・分析し、長期の成長プランを立てる。
そのプランでは、マネジャーや従業員が変化を受け入れながら足並みをそろえて行動することを目指す。「成長戦略を実行することは、1回の行動だけで完結するものではありません。方向を定めて、パフォーマンスを測定し、それを繰り返すプロセスのことなのです」と、カリキュラム設計を担うカレン・ビシェヴィチは言う。
「当然の流れとして、成長を実現するために必要な次のステップは、リーダーが戦略を実行に移すためのリソースを提供することです」。起業家たちは自らの成長プランに基づいて、どの研修に参加し、どのコンテンツにアクセスするかを決めればいい。主要プログラムを修了して何年経っても、ウェブセミナーやイベントに参加したり、リーダーシップやビジネスなどに関するビデオライブラリーにアクセスしたりできるようになっている。
❷広範な人的ネットワーク
ペーサーは、起業家や投資家、大学の研究者、政府機関の代表者などのステークホルダーによって構成される大規模な人的ネットワークに継続的にアクセスする機会をメンバーに提供する。そのようなネットワークは、起業家にとって事業を成長させる土台でもあり、精神的な支えでもある。アンリーズナブル・グループは、48カ国で300人近い起業家たちと彼らに出資している投資家たちと協働し、世界規模のネットワークを築いてきた。グローバル・ポートフォリオ担当のシニアディレクターを務めるウィル・バトラー率いるチームは、たびたび起業家と投資家を引き合わせている。それに加えて、地域ごとのリレーションシップ・マネジャーが、起業家たちと幹部向けコーチ、デザイン専門家、その他のサービスとの橋渡しもしている。スタンフォード・シードでは、検索可能な名簿データを用意して投資家とのつながりを築くことに加えて、メンバーの資金調達の選択肢を増やすために金融機関とのパートナーシップを強化している。
ペーサーが地理的に広いエリアでサービスを展開していることも、メンバーにとって重要な財産になる。 EOでは、人と人のつながり、とりわけ地域や経験や視点の異なる人同士のつながりが飛躍的な成長の原動力になると考えている。そこで、地域レベルや世界レベルで、起業家同士が経験を語り合う小規模なグループをつくり、起業家たちが同じ地域内で、さらには地域を越えてつながることを助けている。また、メンバーが業界ごとに、あるいは関心領域ごとにグループをつくれるようにもしている(たとえば、葉巻愛好家のグループまで存在する)。
ペーサーのビジネスネットワークは、拡大し続けている。それを後押ししているのがメンバーとの長期的な関係だ。たとえば EOのメンバーは、まずメンタリングを受ける側として出発し、やがてメンタリングを行う側に移行する。こうして、メンターの層が継続的に厚くなっていくのだ。メンバーは、リーダーの役割を担うこと、そして支部内外でリーダーの役割を果たすための研修を受けることを奨励される。
世界で 40カ国以上の新興国および起業家支援サービスが不十分な国で活動しているエンデバーは、資本の確保、市場へのアクセス、同様の試練に直面したイノベーターたちとつながる機会の提供において、集中的に支援を実施している。エンデバーのメンバーは、会費を支払ったり、株式を譲渡したりする代わりに、次世代の、大きな影響力を持つ起業家たち(と、エンデバーでは呼んでいる)にメンタリングを行い、投資を約束する。「大きな影響力を持つ起業家とは、大志を抱き、事業の規模を拡大させることを目指して、自分が受けた親切に応えるために他の人たちに親切に振る舞おうとする人たちのことです」と、エンデバーの南アフリカ部門でマネージングディレクターを務めるアリソン・コリアーは述べている。
コリアーによれば、エンデバーではメンバーの 100%が他のメンバーや新進の起業家を支援するというかたちで、恩返しをしているという。
❸起業家同士の充実したつながり
起業は、ときとして孤独な仕事だ。そのため多くのペーサーが起業家を支援するコミュニティを築こうとしている。アージディウス財団(Argidius Foundation)がピア同士のネットワークであるエナブリス・セネガル(Enablis Senegal)およびシード・モルドバ部門(CEED Moldova)について調べた研究によると、このようなネットワークは、一人ひとりの起業家と企業のニーズが変わり続けるなかで、そうしたニーズとリソースのマッチングを行うために有効だという。
アンリーズナブル・グループのシニアディレクターであるバトラーによると、アンリーズナブル・グループは、入念に設計されたワークショップや活動を通じて信頼を築くことにより、メンバーが深いつながりを得られるようにしている。10~12日間の期間中、参加者はアンリーズナブル・グループの投資家コミュニティのメンバーと夕食をともにし、会話する。コミュニティのメンバーのなかには、メンター的な人物や他の起業家たちも含まれる。数日も経つと、次第に「参加者の鎧が剥がれ落ちはじめます」と、バトラーは言う。日々の業務を離れて、まとまった時間を取り、他の起業家たちと実のある会話をする経験は、強力な絆を育むうえで非常に有効だとバトラーは考えている。「市場環境は変化するものです。そのなかで、自分がどれくらい大きな不安を感じているかを理解してくれて、日々の課題を乗り切るのを助けてくれる人たちの支援ネットワークがあると思えることには、とても大きな意味があります。起業家同士の支援コミュニティを持っていることは、真の競争優位性をもたらす場合があるのです」。
2008年にサザン・ニューハンプシャー大学の学生クラブとして発足したハランベ起業家連合も、ペーサーとして成功を収めている組織だ。「ハランベアン」と呼ばれるメンバーは327人を数え、さらに増え続けている。活動の核となるのは、古株のメンバーと新しいメンバーの間に深いつながりを生み出す取り組みだ。その目的を果たすために、会合を開いて、新しいメンバーがハランベ流の人脈づくりの方法に馴染み、他のメンバーとの関係を大切にする精神を学べるようにしている。「私たちは、メンバーが信頼関係を築き、学び合い、支援し合うのを助けています」と、創設者のオケンド・ルイス=ゲイルは述べている。
EOも新しいメンバーを迎え入れる際に、価値観を伝えることを重んじたセッションを行い、メンバーが充実した人間関係を築く機会をつくっている。「価値観に関する研修が始まって 3 時間くらいすると、参加者は胸襟を開いて話しはじめます。これは、ビデオ会議システムを使ったセッションでも見られる現象です」と、次期会長のストックリーは言う。EOのメンバーは、WhatsAppやWeChatなど、さまざまなプラットフォームを用いてグローバルなネットワークにアクセスし、他のメンバーと連絡を取れるようになっている。このようにメンバー同士がつながっていくと、ストックリーの言葉を借りれば「信頼の拡大」が実現する。深く、実があり、信頼で結ばれた人間関係を築くことが可能になるのだ。そのような人間関係を強化するために、EOはすべてのメンバーを8人程度のグループに参加させている。メンバー同士が月に1回集まって3~4時間、事前に用意されたテーマに沿って経験を語り合う。起業家たちはこの会合で、未解決のビジネス上の課題を他のメンバーの前で説明する。これは、自分で設定した目標の達成に向けて責任感を持つための試みの一環だ。また、こうした会合では、自己の成長、ビジネス、家族などに関わる感情的なことも話し合われる。ストックリーによれば、率直に話し、自分の弱さをさらけ出すことにより、敬意と信頼で結ばれた人間関係を深めることができるという。
2020年、スタンフォード・シードのメンバーの39%が、同団体のネットワークを活用して他のメンバーとビジネスを行い、46%が他のメンバーによる指導やメンタリングの恩恵を受けたと述べている。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックのなかで、スタンフォード・シードは業界ごとのグループをつくり、たとえば旅行業界の起業家たちが国境を越えてオンラインで集まり、営業停止中の売上減少にどのように対処すべきかを話し合えるようにした。
❹ニーズに基づくサポート
起業家は、事業を成長させる過程で経験する浮き沈みを、すべて前もって予測することはできない。ましてや、グローバル経済の先行きを予測することは不可能だ。そのためペーサーは、新しいサービスに対する需要が生まれるのに応じて、コンテンツのポートフォリオを増やしていく。
世界で3000を超す企業の立ち上げを支援してきた Yコンビネーター(YC)は、テクノロジー分野のスタートアップ企業を対象とするアクセラレーターだ。シード段階のスタートアップ企業への出資で知られてきたが、次第にサービスの対象を拡大し、シリーズA、ポスト・シリーズA、さらにはそれ以降の段階のスタートアップ企業も出資の対象にするようになった。また、YCは、メンバーが自社の状況や不安材料について個別にアドバイスを受けることができる「オフィス・アワー」と呼ばれるサービスも提供している。EOは、売上高100万ドル未満のアーリーステージのスタートアップ企業向けに、正会員よりも安い料金で参加できるプログラムを発足させた。
スタンフォード・シードは、メインの研修プログラムを開発したあと、その研修を終えた起業家のために、コーチングや、スタンフォード大学の学生インターンの派遣、プロボノによるコンサルティングなど、いくつかの支援を用意した。クレジットレジストリー・ナイジェリア(CreditRegistry Nigeria)の CEOであるジャミーラ・シャリーフ゠アエドゥンは、最初の「シード・トランスフォーメーション・プログラム」を修了して3年後、人材管理のための戦略的人事システムを構築するために、スタンフォード・シードのコンサルタント、クラウディア・サルヴィスチアニの力を借りた。この追加の支援のおかげで、「人材採用、パフォーマンスのマネジメント、人材育成において明らかな進歩が見られました」と、シャリーフ=アエドゥンは述べている。
アンリーズナブル・グループは、より多くの方法で資金調達したいと望むメンバーのニーズに応えるために、「アンリーズナブル・コレクティブ」という新しいグループを発足させた。これは、世界の投資家が参加する招待制のクラブで、このグループに資本をプールして共同で投資する。投資の対象は、インパクト重視で活動しているネットワーク内の企業から厳選する。
スタンフォード・シードは、COVID-19のパンデミックが始まると、スタンフォード大学の教員によるオンラインセミナーを新しく用意し、複雑で特殊な状況にメンバーが先手を打って対処するための支援を開始した。オンラインセミナーで取り上げたテーマは、「不確実な時代におけるキャッシュフロー・マネジメント」や「危機における人的資源マネジメント」などである。 2020年夏の時点で、メンバーの 83%が少なくとも 1回はなんらかの COVID-19関連のプログラムに参加したと述べている。スタンフォード大学の教員によるウェブセミナーや、地域ごとの卒業生イベントに参加したり、スタンフォード・シードのソーシャルネットワーキング・プラットフォームを通じて、新しいリソースに直接アクセスしたりしていたのだ。
ペーサーが生み出す効果
ペーサーは、無期限で支援を提供することを役割としている。そうすることにより、スタートアップ企業が危機を乗り切り、事業の拡大に成功する確率を高められると考えているのだ。たしかに、企業のライフサイクル全体を通してサービスを提供することで、継続性が確保されて、その会社の成功可能性が高まると期待できる。
ペーサーのサービスが生み出す直接的な効果は、プログラムを経験したメンバーの知識の増加や行動の変化、そして実のあるネットワークの拡大に表れている。また、長期間継続して支援することにより、組織の変容を促し、成長を後押しできる可能性もある。加えて、さらなる研究が必要ではあるものの、ペーサーは、雇用創出、収益拡大、資本獲得、製品やサービスの供給を通じた人々の生活改善といった、長期的効果も生むと言えそうだ。たとえば、ハランベ起業家連合のメンバーがこれまでに生み出した雇用は 3000以上。調達した資本は 10億ドルを超す。スタンフォード・シードのメンバーも、2万1000超の雇用を生み出し、収益を1億8300万ドル増やし、4億2100万ドルの資金を調達してきた。スタンフォード・シードのメンバーによる雇用と収益増加のペース、そして資金調達のペースは、平均して見ると、それぞれの地域のベンチマークを上回っている。エンデバーが運営する投資ファンド「カタリスト(Catalyst)」は、米国および中国以外で 10億ドルを突破したスタートアップ企業へのアーリーステージの出資者として、世界で指折りの存在だ。アンリーズナブル・グループのメンバーも、これまでに 70億ドルを超す資金調達に成功している。
一方、ペーサーは、メンバーと起業のエコシステム全体に、意図しない影響をもたらす場合もある。ペーサーがメンバーを選考する際は、既に成功を収めている起業家を優先させ、社会的に不利な立場にあったり、苦戦していたりする起業家をないがしろにするリスクがある。そうした判断は、ときに暗黙のバイアスの影響によりくだされる。たとえば、スタンフォード・シードは、スタートアップの段階を既に過ぎた企業向けに交流プログラムを運営しているが、地域によっては、参加資格を満たせる規模まで事業を拡大させている女性起業家が見つかりにくいケースもある。その結果、女性起業家がプログラムの恩恵を受けられない状況が生まれてしまう。女性起業家は一般に、厳しい社会的制約やその他のジェンダー・バイアスなど、成長を妨げる障壁にぶつかっている場合がある。ところが、メンバーを選考するペーサーのチームがこの点を十分理解しているとは限らない。
長期的な価値を生み出す
私たちがペーサーについて研究し、関係者に話を聞くうちに、ペーサーがメンバーに長期的な価値をもたらすうえで重要な 4つの基本要素が見えてきた。それは、強力なボランティアネットワーク、デジタルプラットフォーム、ハイブリッド型の独特な資金調達方法、そして集合体としての意識づけである。
❶ボランティアネットワーク
ペーサーの組織構造では、高度なスキルを持った献身的なボランティアが重要な役割を担っている。ボランティアたちは、費用対効果の高いプログラムを運営し、プログラムの規模を拡大させるために尽力し、さまざまな立場でメンバーと関わっている。
一般的に、ボランティアには、メンバーと非メンバーの両方が含まれる。メンバーは、団体との絆があるために、団体のミッションを支援したいという強い決意を抱く。一方、非メンバーのボランティアは、経験豊富な起業家や企業幹部など、外部の専門家の場合が多く、自分のスキルを生かして社会に貢献したいと考えて参加する。
多くの場合は、メンバーがメンターやコーチや教師として活動する。YCでは、プログラムを修了したメンバーが講演を行う。起業家は、自分と同じ経験をした他の起業家に強く共感するものだからだ。
メンバーはボランティアとして、団体のリーダー役を務めることも多い。EOの土台となっているのは、全員ボランティアから成る包括的なリーダー体制だ。そのようなリーダーたち向けに、プロのスタッフによるサポート、さまざまな研修、リーダーを集めた会合などの支援が提供されている。
ハランベ起業家連合のルイス=ゲイルによれば、ハランベアンたちは、ハランベが成長を遂げるうえで欠くことのできない役割を果たしてきた。「ハランベアンは、メンバー候補の推薦に関わり、候補者を面接し、投票を行います」と、ルイス=ゲイルは説明する。2021年には 3500人の候補者のなかから30人の新しいメンバーを選抜した。
スタンフォード・シードの支部はボランティアだけで構成されていて、選挙で選ばれたリーダーによって運営されており、メンバー同士の交流促進、地域内や地域を越えたネットワークづくりの機会のキュレーション、学習イベントの企画などで大きな役割を果たしている。スタンフォード・シードのグローバル・パートナーシップ担当ディレクター、デーヴィス・アルボームによれば、「支部に参加しているメンバーは、スタンフォード・シードに強い愛着を持っていて、しっかり組織の一員として行動し、人望もあります」とのことだ。このようなアプローチを実践することにより、スタッフが戦略とオペレーションを導く一方で、メンバー主導で地域の実情に応じたプログラムをつくることが可能になっている。
ペーサーでは、メンバー以外もボランティアとして大きな役割を担う。エンデバーでは、起業家や投資家、業界の専門家など、世界で5000人以上の外部メンターたちがアドバイザーとして活動している。彼らは、メンバーである起業家たちが会社を育てる過程で、戦略と実行に関してオンデマンドで一対一のメンタリングを行っている。メンバーは 5.10年あまりメンタリングを受けると、そのあとは次世代のメンバーに相談に乗るメンターとして登録する場合が多い。南アフリカ部門マネージングディレクターのコリアーによれば、投資家ではなく、ボランティアのメンターから助言を受けることの利点は、利益相反の問題を回避できること、そして、メンターたちのグローバルなネットワークのなかに広く深い専門知識が蓄積されていくことだという。
❷デジタルプラットフォーム
ペーサーは、オンラインで検索可能な会員名簿、ソーシャルメディア・プラットフォーム、オンラインのライブラリーなど、デジタルテクノロジーを用いて、メンバーに事業の成長に関わるコンテンツを提供したり、投資家とのつながりをつくるのを助けたり、起業家同士の支援体制を築いたりしている。たとえば、AMIは、プログラム修了後のサービスの一環として、オンライン学習とネットワーキングのためのプラットフォームを活用し、体系的なハイブリッド型学習のプログラムを運営している。また、アンリーズナブル・グループは、メンバーやメンターや投資家やパートナーを結びつけるために、「アンリーズナブル・アプリ」という独自のプラットフォームを開発した。このプラットフォームは、研修の手引きと実践の知見を提供し、コミュニティ全体で真のつながりを生み出すことを目的にしている。
YCは、メンバーのアドバイザー探しを支援するために、「ブックフェイス」という独自のオンライン版の卒業生名簿を開発した。このプラットフォームにより、 7000人のデータベースのなかから特定のメンバーを選んで、連絡を取れるようになっている。この卒業生名簿は、起業家たちの収益と投資を増加させるうえで効果的だという。スタンフォード・シードは、複数のプラットフォームを通じてメンバーを投資家や他のメンバーと結びつけることにより、効率的なプログラムを実施することができ、また、プログラム修了後のサービスにもつながった。COVID-19のパンデミックに伴ってバーチャルプログラムへ移行したことにより、他にも思いがけない恩恵が生まれた。スタンフォード・シードのソーシャルネットワーキング・プラットフォームを介して、メンバー間のつながりを強化できたのだ。
私たちの調査によると、ペーサーは、良質なサービスを維持しながらデジタルプラットフォームを活用してモデルを強化するという課題に直面している。そこで、オンライン上の名簿など、シンプルなウェブベースのソリューションを選択する場合もある。重要なのは、ペーサーがデジタルプラットフォームを、メンバーが受け取る恩恵や支援を拡大させるためだけのソリューションとは位置づけていないことだ。オペレーションを担うスタッフがメンバーの体験をキュレーションし、交流を促進しているのである。
アンリーズナブル・グループでは、起業家の80%が少なくとも年 1回はリレーションシップ・マネジャーに連絡を取り、投資家やメンター、その他のリソースにアクセスしようとしている。資金調達を目指している起業家は、週 1回のペースでリレーションシップ・マネジャーと会うこともあるかもしれない。スタンフォード・シードでは、アフリカと南アジアに 3人のネットワーク・マネジャーを置き、メンバーの個人レベルの人間関係の維持をサポートしている。
❸ハイブリッド型の資金調達
ペーサーは、サービスを提供するのに必要な資金を確保するために、慈善資金、助成金、株式資本、メンバーの会費などのかたちでお金を集めている。私たちの研究によると、ペーサーの資金調達のあり方は実にさまざまだ。長期間のプログラムの費用がメンバーの会費だけで賄われているケースは少ない。ペーサーのなかには、会費とプログラム参加費が主たる資金源になっている団体もあれば、寄付金により会員の負担を軽減している団体もある。
EOの場合は、費用をすべて会費で賄っている。会費の金額は、プログラムのタイプや入会の経緯などによって変わる。スタンフォード・シードは、費用を分担する方法により、慈善資金でメンバーの会費を補助する仕組みを採用している。エンデバーは明確なルールに基づいて運営される共同投資ファンド「カタリスト」を立ち上げた。このファンドでは、団体の創設者が選ぶ主任投資家によって決定された金額と条件に基づいて、メンバーの事業に投資している。一方、AMIが運営する65あまりのオンライン講座と 2000の実用的なツールは、多国籍企業との協働、寄付、メンバーの会費によって費用を賄っている。ハランベ起業家連合は、プログラム参加費、寄付金、企業と投資家が支払う会費、ハランベアンの設立した企業への投資の収益によって運営資金を得ている。
主に会費で活動資金を調達する場合は、サービスの提供者と利用者の結びつきが深まる。収益とプログラムの運営コストが完全に同期しているため、ペーサーは、提供しているサービスの価値に関してメンバーからただちにフィードバックを受けることができる。アージディウス財団の最近の報告書によると、意欲ある起業家の参加を適度に促すためには、ある程度の利用料を徴収することも有効だ。しかし、利用料だけでなく、慈善家からの資金も獲得することにより、長期の計画を立て、価値の高いプログラムを安定的に運営しやすくなる。
前述したように、大半のペーサーは、ボランティアというかたちで教師やメンターやアドバイザーなど、金銭以外の貢献も受け入れている。この点は、ペーサーモデルの重要な要素と言える。なぜなら、もし有料で同等の質のサービスを受けようと思えば、莫大な料金を支払わなくてはならないからだ。たとえば、スタンフォード・シードは、250人を超すボランティアのコンサルタントを擁していて、そのコンサルタントたちが活発な起業家ネットワークにコーチングを行うことにより、正規の金額とは比較にならないくらいわずかな費用でサービスを提供できている。大規模なネットワークが存在するからこそ、ペーサーは一般的な支援プログラムより充実したサービスを提供できるのだ。
❹集合体としての意識
ペーサーと他の起業支援組織との違いは、メンバーの間に集合体としての意識が確立されていることだ。ペーサーは、さまざまなイベントや日々のやりとり、規範、権威などを通じて、メンバーに共通の価値観を再確認させることにより、集合体としての意識を育む。すると、ペーサーのミッションを軸に、個人レベルにとどまらない集合体としてのアイデンティティの感覚が形づくられて、その結果としてお互いの関係性とつながりが深まる。
ハランベアンたちは、メンバーの行動を通じてアフリカを変えるというミッションの一環として、「サーバントリーダーシップ、慎重な大胆さ、不朽の楽観主義」という共通の価値観を核とする文化を意識的に築いてきた。メンバーが入会に当たって「ハランベアン宣言」に署名することは、メンバーが個人レベルを超えた大きな目標を追求するために結束していることを再確認するための象徴的な儀式と言えるだろう。新たに加わったメンバーは、アメリカ・ニューハンプシャー州のブレトンウッズにあるホテルの「ゴールドルーム」という部屋に集まり、「私たちは、アフリカの人々の潜在能力を開花させ、アフリカ大陸の社会的・政治的・経済的発展を追求し、私たちの世代の夢を実現するために、一丸となって行動することをここに宣言する」という文書に署名する。この部屋は、1944年に世界 44カ国の代表が集まり、金融の発展を推進するために新しい為替相場の仕組みを確立した「ブレトンウッズ協定」に署名した場所だ。
スタンフォード・シードは、「社会によい影響を及ぼす企業をつくる」という価値観を前面に押し出すことにより、集合体としての意識づけを行っている。集合体としての考え方は、この団体が掲げるミッションにも体現されている。「新興国の起業家と一緒に、人々の暮らしを様変わりさせるような活気ある企業をつくる」というのが、スタンフォード・シードのミッションだ。メンバーが経営する企業は、雇用の創出、顧客の生活の改善、その他の社会変革の取り組みを通じて、スタンフォード・シードの究極のビジョンである「世界から貧困をなくす」という目標に貢献している。
ペーサーにおける起業家同士の支え合いの土台を成すのは、相互主義、敬意、弱さ、機密性に重きを置く集合体としての価値観だ。EO、アンリーズナブル・グループ、スタンフォード・シードは、起業家同士の支援システムが花開くための安全な場をつくることに力を注いでいる。たとえば、EOのメンバーは、信頼と尊敬というコアバリューに導かれるかたちで、他の人が話しているときは深く傾聴し、すぐに判断することはせず、求められたときだけフィードバックを行うことを学ぶ。一方、アンリーズナブル・グループとスタンフォード・シードは、メンバーが充実したつながりを確立する助けになるような体験をキュレーションしている。業種ごとのグループで集まり、戦略上・運営上の課題を語り合ったり、起業家同士でリーダーシップ関連の課題を議論し、問題解決に取り組んだりする機会を設けるなどしているのだ。このような活動は、特に初期の段階で行われると、メンバーが長期にわたりペーサーと関わり続ける土台になる。
イノベーションのフロンティア
ペーサーは進化し続けるなかで、イノベーションの新しいフロンティアを探索している。筆者たちの研究によると、ペーサーは次の 5つの領域を積極的に開拓し、プログラムを充実させようとしている。
❶メンバーの積極的な関わりを引き出す
ペーサーが活動を拡大させて、ネットワークの規模が大きくなるに従い、実のある交流を生む個人間のつながりが失われるリスクがある。メンバーがペーサーに加わるかどうかや、プログラム修了後にペーサーとどのように関わるかは基本的にメンバー自身が決めるため、ペーサーモデルはメンバーの積極的な関わりに大きく依存している。スタンフォード・シードによれば、同団体のデジタルプラットフォーム上での交流は、時間が経つにつれて減る傾向があり、ネットワークの規模が拡大すると、有意義な関係性を築くことが難しくなっていく。本部主導のイベントや、地域支部の集会は、こうした課題に対処するうえで役に立つ。スタンフォード・シードは「レシプロシティ・サークル(ReciprocityCircle)」というソーシャルネットワーキング・プラットフォームでそれを実践している。起業家は、そのプラットフォームを通じて支援を求めたり、支援を申し出たりできるようになっている。アンリーズナブル・グループのバトラーはこう述べている。「支援を求めている人たちを取り込むことは難しくありません。けれども、誰もが常に支援を求めているわけではありません。私たちのフェローシップは生涯続くものなので、当然、関わりの度合いは強まったり弱まったりします」。現状のペーサーモデルは、主体的に関わるメンバーに依存している。EOのストックリーの言葉を借りれば、「EOはスパではなくジムに近い存在です。積極的に関わって初めて価値を得ることができるのです」とのことだ。
私たちのインタビュー調査によると、メンバーのなかには積極的な参加を引き出すことが難しい人たちもいて、ネットワークに活気をもたらすためには継続的な努力が必要とされる。この種の団体に加わるメンバーには、大きく分けて 4つのタイプがいるようだ。受動的なメンバー(プログラムが終わると関わらなくなる人たち)、ときおり参加するメンバー(必要に応じてプログラムに参加する人たち)、積極的なメンバー(定期的に団体に関わり、サービスを継続的に活用し、ボランティアとして団体へのお返しもする人たち)、そしてネットワークのリーダーになるメンバー(団体に継続的に関わり、ボランティアとして団体にお返しをし、メンバーに向けたさまざまな取り組みを推進するうえで大きな役割を担う人たち)である。サービスの恩恵を受けられるはずの休眠メンバーの参加を引き出し、メンバー全体のサービス利用を増やすためにどうすればいいかという点は、いまも難しい課題だ。メンバーが増えるとますます難しくなる。そうしたなかで、ペーサーは、メンバーの新しいニーズを絶えず把握するために意識的に努力を払い、サービスの効果を測定・公表し、コミュニティのマネジメントに献身的に取り組むスタッフを雇うことにより、常に革新を図っている。
❷多様性を向上させる
ペーサーは、経歴やアイデンティティ、地域、業種の面で多様な起業家を支援することの重要性を以前より意識するようになっている。スタンフォード・シードは、COVID-19のパンデミック下で、旧来型のプログラムよりも低コストで多くの地域に提供できるオンラインプログラムの開発を推し進めた。そのおかげで、プログラムへの参加者の地理的な多様性が向上した。現在、スタンフォード・シードに新しく加わるメンバーの 32%は、女性がトップの企業から来ている。ただし、女性がオーナーである企業の割合は、地域によって、平均を上回っている場合もあれば、下回っている場合もある。一方、EOは、起業家同士のアドバイザー・グループに占める女性の割合を増やすことを目的に組織変革に乗り出している。すべてのメンバーがサービスにアクセスできるようにするには、メンバーの属性別の割合を見直し、新しいメンバーを迎える過程にバイアスが影響していないかを調べ、もしバイアスがあればそれを是正しなくてはならない。
❸他の機関や団体と協働する
ペーサーのメンバーは世界中に分散しており、会社の成長ステージもまちまちだ。そのような状況の下、間接費を増やすことなく、多様なニーズに応えるためには、創造的な解決策が不可欠だ。特に新興国の起業家が障害を乗り越えて、低コストで適切な資金調達ができるように手助けすることは、いまもペーサーの最大の課題であり続けている。
いくつかのペーサーは、学術機関と提携することにより、コンテンツの提供における協働を実践しようとしてきた。EOが大学と組んで幹部向け教育を提供しているのは、その一例だ。ペーサーのなかには、メンバーのニーズに応えるために、資金提供者と協力して新しい投資の方法を導入しているケースもある。たとえばスタンフォード・シードは、米国の国際開発金融公社と新たに協働し、手頃なローンや助成金を提供している。
ペーサーのメンバー数が増加すればするほど相乗効果を生み出す新しい機会が生まれ、外部の団体から見て提携相手としての魅力も高まる。サービスの質を高めるためには、ペーサーだけでなく、同じ志を持った協力者の存在が欠かせない。
❹インパクトを測定して価値を引き出す
ペーサーは、自らのインパクトを評価し、知見を共有するための新しい方法を模索している。大半のペーサーは、メンバーが設立した企業の全般的なパフォーマンスについてのデータを公表している。しかし、ペーサーが提供する支援は長期的・多面的なものなので、プログラム修了後のさまざまな取り組みが、メンバーの雇用創出、外部資本の調達、収益増加などといったアウトカム(成果)に及ぼすインパクトを評価することは容易でない。しかし、私たちの調査によると、一部のペーサーは、実験的、またそれに準じる方法により、プログラムのインパクトを測定しようとし始めている。
スタンフォード・シードは、この 10年ほど、データ収集のあり方を改善しようと努めてきた。以前から毎年メンバーに任意のアンケートを行っていたが、プログラム修了後のサービス利用を希望する場合はアンケートへの回答を必須条件にした。それによって、2018年には58%だった回答率が、2021年には 80%に上昇した。スタンフォード・シードは、この調査結果を毎年のインパクト報告書で公表している。公開される情報のなかには、起業家向けの詳細なベンチマーク・データも含まれている。このように、メンバーは、プログラム修了後のサービスだけでなく、充実し続けるデータベースから得られるインサイトの恩恵にも浴せるのだ。
スタンフォード・シードと同様に、AMIも、プログラム修了後のサービスを望むメンバーに対して、プログラム修了後 2年間にわたりアンケートへの回答を求めている。ペーサーとそのステークホルダーにとって有益なインパクトデータの収集は、いま活発に新しい方法が模索されているイノベーションのフロンティアだ。また、データ収集の取り組みは、集合体としての意識を養う効果も持つ。
❺ハイブリッド型のプログラムを提供する
COVID-19 のパンデミックは、ペーサーによるプログラム提供のあり方に大きな変化をもたらした。対面型のサービスから、デジタルサービスへの移行が進んだのだ。それに伴い、ペーサーのサービスの土台を成すコミュニティの意識とメンバー同士の交流、そして信頼関係が大きく揺らいだ。現段階でパンデミックが完全に終わったわけではないので、パンデミックの期間にコミュニティに加わってオンラインプログラムを経験した人たちが、コミュニティに対して積極的に貢献することになるのか、またそれが続くのかどうかはまだなんとも言えない。
いまペーサーは、自分たちのモデルをハイブリッド型のサービスにどう適応させればいいかを考えている。たとえば、YCは、パンデミックをきっかけに、起業家と投資家にとってリモートワークが生産的だということに気づいて、プログラムの冒頭と最後の活動だけ対面で実施し、それ以外はリモートで行うことを考えた。デジタルテクノロジーを利用したプログラムと対面型のプログラムの適度なバランスを取ることは、ペーサーにとって最重要課題になっている。
ペーサー的な方法論を取り入れる方法
あらゆる起業支援組織は、たとえプログラムが短期間にとどまる場合でも、一部もしくは全部の参加者に対して、ペーサー的な方法論を取り入れることを検討できるはずだ。提供する支援の種類を増やし、支援期間を延ばすことを検討する際は、市場における需要、これまでその団体が生み出してきたインパクト、そしてペーサーモデルを採用することで そのインパクトを拡大できるかといった情報に基づいて判断しなくてはならない。メンバーが将来抱くことになるニーズの多くは、世界規模のパンデミックの下で事業の停止に耐えることなど、一部を除けば、前もって予測することが可能だ。起業支援組織がペーサーモデルに移行するためには、メンバーの生涯における利益を最大化することを目指さなくてはならない。そこで、旧来型の卒業生ネットワークを脱却し、統合された多面的なネットワークに転換する必要がある。
まず、比較的実行しやすく、あまり大掛かりな投資を必要としない方法論をいくつか検討しよう。あらゆる起業支援組織にとって、とりわけ価値ある資源の 1つが卒業生だ。ところが、卒業生たちの知識と知恵は十分に活用されていないケースが多い。手っ取り早く大きな効果を得られる方法の 1つは、際立った成功を収めている卒業生に再び組織に関わってもらい、その力を生かすというものだ。具体的には、メンバーの前で講演してもらえばいいだろう。簡単なアンケート調査でメンバーがどのような知識を欲しているかを明らかにし、どの卒業生を講演に招けばそのニーズを満たせるのかを考えよう。そうした取り組みは非公式なかたちで始めて、次第に公式のものにしていってもいい。また、高い評価を得ている卒業生を戦略関連の話し合いに招いて、団体がどのように卒業生の役に立てるかについて新しいビジョンを描くこともできるだろう。そうした卒業生の力を借りて卒業生ネットワークを育てることもできる。このようなかたちで卒業生の参加を促すことは、ペーサーの中核的価値である集合体としての意識への貢献にもつながる。
次に、組織内でどの点を変更できるか、実験できるかを考える。たとえば、組織文化を見直し、集合体としての共通意識を持たせる取り組みを始めてもいい。組織のミッションや価値観をアップデートし、新しいメンバーを迎え入れる(あるいは再び迎え入れる)際の決まったやり方に修正を加えることも、文化を強化する効果が期待できる。よりよい没入型の体験を設計すれば、メンバーと組織の間に、より長く持続する絆を生み出せるかもしれない。リーダーたちはこのような取り組みを主導し、応援する必要がある。
最後に、より長期の投資を行うことも検討すべきだ。たとえば、メンバーがつながり合い、長期にわたりコンテンツやボランティアやネットワークにアクセスできるようにするためのデジタルプラットフォームを構築することを考えよう。活用できるプラットフォームの選択肢は増えており、しかもコストは下がっている。加えて、卒業生が組織とつながり直し、メンバー同士の有意義なつながりをつくるための定期的なイベントを実施してはどうだろう。ただこうした活動は、短期的には出費を伴う。そのため、包括的な組織変革を行う際は、活動資金を賄うための新しい資金源も見つけなくてはならない。
ペーサーモデルに移行することにはリスクも伴う。起業支援組織がペーサーのいくつかの要素だけをつまみ食いすれば、場合によっては、持続不可能なモデルを採用することになりかねない。たとえば、集合体としての共通意識が十分に育っていないところにデジタルプラットフォームをつくっても、卒業生たちに継続して使ってもらえない可能性がある。なぜならそこには、有意義なつながりが欠けているためだ。長期にわたり起業家を支援するための活気あるインフラへ転換するためには、組織のミッションと能力に沿うかたちで、意識的に努力することを忘れてはならない。
まとめ
いま増加しつつあるペーサーが提供しているような長期の起業支援インフラは、新興国で持続可能な起業のエコシステムを築くうえで不可欠だ。私たちは、ペーサーのようなサービスを普及させることを目指す新旧の取り組みに拍手を送りたい。
ペーサーの数が増えるにつれて、こうしたサービスの理想的な活用法に関して検討すべき問いがいくつか浮かび上がってくる。たとえば、どの程度の支援が過剰な支援となるのか。もはや救済不可能な状態の企業も支援し続けるべきなのか。逆に、成功を収めている企業は、いずれペーサーに頼らず、相場通りの料金を支払ってコンサルティング会社を雇うべきなのか。起業家がいずれプログラム修了後の支援も「卒業」するべきだとして、それはいつなのか。
重要なのは、成功している企業や苦戦している企業のニーズ、それぞれの組織が提供できるサービス、そのようなサービスを提供するのに適した時間軸について検討することだ。適切なサービスを提供できれば、起業家が早い段階で突き放されて、すべて自力で物事に対処せざるをえなくなる事態を回避することができる。それだけでなく、新興国の起業支援組織が、長い目で見てインパクトを最大化させることが可能になるのだ。
【翻訳】池村千秋
【原題】Pacing Entrepreneurs to Success(Stanford Social Innovation Review, Summer 2022)
【イラスト】Illustration by Carolyn Ridsdale
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