災害・環境・エネルギー

超現実的なゼロカーボンへのガイドブック

2050年までに脱炭素社会を実現するにはイノベーションによるディスラプションと抜本的な産業の再構築が必要だ。

※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 02 社会を元気にする循環』より転載したものです。

オーデン・シェンドラー Auden Schendler

「The Decarbonization Imperative:Transforming the Global Economy by 2050」
マイケル・レノックス Michael Lenox
レベッカ・ダフ Rebecca Duff
Stanford University Press|2021

セメント工場の見学ほど、内なる子供心を呼び覚まし、地球温暖化のことを理解するのに適したものはない。ドバイの超高層ビルから中国の吊り橋まで、現代文明のあらゆる巨大建築物を可能にしたセメント工場は、超巨大で、うだるように暑く、ドクター・スースの絵本のように複雑怪奇、まさに工業化時代の象徴的存在である。

セメント工業は気候変動の主要因の1つで、世界の二酸化炭素排出量の7%を占める。セメント産業を1つの国だとすると、それ以上に二酸化炭素を排出しているのは中国とアメリカだけである。そして、この問題を解決するには、環境にやさしい「グリーン・セメント」を開発しなければならないというのが、バージニア大学ダーデン・ビジネススクールのマイケル・レノックス教授とレベッカ・ダフ教授の主張だ。彼らは、新著『脱炭素化社会の実現――2050年までに世界経済を変える』(The Decarbonization Imperative: Transforming the Global Economy by 2050)で数十の技術的課題を取り上げている。グリーン・セメントも、それらの課題に対する解決案の1つだ。

本書は「2050年までに世界経済の脱炭素化を実現するために必要な(中略)技術的ディスラプションについて、幅広い見解を提供する」ことを目的としており、セクターごとにアプローチが紹介されている。2050年というのは、大惨事を回避するために、社会がゼロエミッションを達成していなければならない期限とされている年だ。

セメント工業が排出する二酸化炭素の大部分は、製造に必要な大量の加熱ではなく、製造過程の化学反応で発生する。これは、読者が本書で知ることになる意外な事実の 1つである。このセメント工業の問題点については聞いたことがあった。州委員会の一員として二酸化炭素排出削減に取り組んだ際に、コロラド州プエブロ郊外のセメント工場を訪問したからだ。製造工程の複雑さをすべて理解して、より良い政策につなげたいと考えていた私は、担当者の説明を受けた後、「つまり、石灰石と粘土と土をバケツで混ぜて、それに熱を加えるとセメントができるということですか」とたずねた。その答えは「イエス」だった。

私が見学した工場は、石灰岩採石場に隣接してつくられた、巨大なオーブンだった。これ以上にアナログなものがあるだろうか。これが気候変動の原因なのだ。私たちの社会はいまだに、伐採したり掘り起こしたりしたものを、燃やしたり混ぜ合わせたりすることで成り立っている。

人類が 200年ものあいだ依存してきたカーボン・エコノミーからどうすれば速やかに脱却できるのか。レノックスとダフは、その動きを加速させようと、徹底的にあらゆることを調べ上げた。本書は実質的な技術マニュアルといえる。著者らは、エネルギー、輸送、工業(航空宇宙、防衛、エンジニアリングなどの資本財)、建築、農業という脱炭素化が求められる主要5セクターについて評価を行うとともに、産業ごとに複数のソリューションを提案している。

たとえば、酪農畜産業がもたらす最も難しい気候変動の問題に牛のゲップがある。本書では、最新の生産技術を活用した独創的な解決策を提案している。「2009年に家畜の牛のゲノムが解読され、科学者や生産者は、生産性の高い肉牛や乳牛を特定できるようになり、望ましい形質を持つ牛の交配ができるようになった」「メタンを発生しにくいというのも形質の 1つである」と説明している。酪農や肉牛の生産を行う畜産業にとって、遺伝子組み換え技術で低メタン牛を生産するというのも、期待できる解決策の1つなのだ。

気候変動問題に取り組む人たちは、事実に基づかない希望的観測に頼って誤った解決策を主張しがちだが、本書の著者はきわめて現実的だ。たとえば、土壌炭素についての項目では、過去10年間に注目された従来のアプローチを網羅しつつ、その多くはいまでは不確かな科学に基づいたものであることが判明しているため「2050年までに農業が脱炭素化するというのはありえない」と、適切に結論づけている。

同様に、電気自動車についてもこう考察している。「持続可能な輸送のディスラプションは喫緊の課題である。しかし、ここで重要なのは、ディスラプションが起こったらどうなるかではなく、ディスラプションが起こるのにどれくらい時間がかかるのかということである。実行にかかる時間が最も重要なのだ。なぜなら、たとえ世界中の新車がすべて電気自動車になったとしても、既存の車がすべて脱炭素車に切り替わるまでには、少なくとも10年程度かかると考えられるからである」。必要とされるアクションの緊急性に対して、変化の実現までに時間がかかるという矛盾については、私も、コロラド州で温暖化対策の立案をしたときに経験済みだ。販売台数のわずか 6%を電気自動車にするという、大改革とは程遠い電気自動車法案を通すために、訴訟、拷問のような公聴会、官僚主義による大幅な遅れを次々と乗り越えなくてはならなかった。

新しい技術によって、二酸化炭素の排出量が減り始めるのは正確にはいつなのか。これは気候変動対策における最も重要な問いの 1つかもしれない。その答えを導き出すのに一役買っているのが、アメリカの非営利団体クライメート・インタラクティブ(Climate Intractive)のような、気候シミュレーションの研究者たちである。彼らのシミュレーションによると、小型モジュール原子炉によって排出量が減り始めるのは、2053年以降だ。ビル・ゲイツが支持し、本書でも有望な技術として簡単に触れられている次世代原子炉だが、現在の化石燃料の燃焼を止める技術に比べればはるかに重要度が低い(そしておそらく関連性も低い)ということが、シミュレーションからわかる。

著者らのアントレプレナーシップやイノベーションに関する知識も、本書での分析に影響を与えている。本書の冒頭では、「クリーンテクノロジーが採用されていかないのは……市場がそのクリーンテクノロジーを、メリットの見込める代替技術として有望視していないからだ」と述べている。この本ではイノベーションが私たちを救うだろうとは遠回しにすら述べていない(ただし彼らは政策的解決策の必要性については明確に述べている)。一方で、カーボン・エコノミーが、石油産業に抱き込まれた政府、科学的検証の曖昧さや時代遅れの補助金によって、何十年にもわたって意図的に構築されたものであるという事実が見過ごされてしまっている。そのような環境下では、良い技術が生まれたとしても実際に採用されるはずがない。フォード・レンジャーの燃費が25年前からほぼ変わっていないのは、より効率的な車が望まれなかったからではない。

気候危機に関する真実。それは私たちが、いくつかの例外を除いて問題の技術的解決策をすでに知っているということである。私たちはまた、そうした技術の実現に必要な一連の政策も概ね理解している。本書はこれらの解決策が見事にまとめられた必読の1 冊だ。最近増えてきた類書では、非営利団体プロジェクト・ドローダウン(Project Drawdown)による出版物や、ビル・ゲイツの『地球の未来のため僕が決断したこと』(ただし、本書でビル・ゲイツは解決策における政治の必要性を完全に見過ごしている)、そしておそらく最も議論の領域や目的が近いソール・グリフィスによる『電動化』(Electrify)なども読んでおきたい。しかし、社会が直面しているのは、どの技術的解決策や政策を実行するかというよりも、それらをどう実現するかという問題である。

レノックスとダフが推奨している有望な戦略も、積極的な気候変動対策を支持する市民運動がもっと盛り上がらない限り実現できないし、されないだろう。実のところ、アメリカ社会のどこを眺めてみても、気候変動の問題は国家の優先課題として注目されていない。国民の考え方に影響を与えるマスコミがいい例である。CNBCは最近、気候変動に商機ありとして、担当デスクを創設したが、エネルギー担当記者デイヴィッド・ロバートが 2021年8月にツイートしたように、「アメリカのメディアが本気で注目しているときは、アフガニスタン報道のようになるはず」である。気候問題に関して、そのように集中的な報道がなされたことはいままで一度もない。

政策立案者、国民、メディアともに気候変動の問題への関心が欠如しているからこそ、レノックスやダフが書いたような技術マニュアルにおいても、その技術的解決策や政策がどのように政治的な支持を得て実現するのかという問題を掘り下げていく必要がある。このような考え方を土台とした活動を行っている非営利団体もある。たとえば、生物の絶滅を食い止める活動を行うイギリスのエクスティンクション・レベリオン(Extinction Rebellion)、気候危機に取り組む国際環境NGOスリー・フィフティー・ドット・オルグ(350.org)、スノースポーツのフィールドを守る活動をするプロテクト・アワ・ウィンターズ(Protect Our Winters)、 気候変動に関する政治的行動を提唱するサンライズ・ムーブメント(Sunrise Movement)などである。また、このような考え方は、気候変動に関連する書籍の次なるテーマにもなりそうだ。たとえば、ポール・ホーケンの『リジェネレーション〈再生〉――気候危機を今の世代で終わらせる』では、正義、気候、生物多様性、人間の尊厳を組み合わせ、2030 年までに排出量をほぼ 50%削減する計画を提案している。

どうすれば脱炭素化を進められるのか。本書で提案しているアイデアには、気候変動に関する国際的な合意を改善することも含まれている。なぜなら、1992年のリオデジャネイロでの国連環境開発会議(地球サミット)以降、世界的な気候変動に関する合意は、「各国の排出量目標に主に焦点が当てられてきたが、ほとんどの国が達成できなかった」からである。「技術革新という観点からみれば、別のアプローチがある。排出量目標ではなく、技術のシフトに注目するのである」。さまざまなアプローチが提案されているが、なかでも面白いのが、脱炭素化に焦点を当て、国と航空機メーカーを提携させるというアイデアだ。ボーイングとエアバスの 2社独占で新型機の91%が生産されていることを考えれば、このアイデアは新鮮で現実味がある。世界的な気候変動サミットのたびに、拘束力のない達成不可能な目標がぎっしり書き込まれる一方では、うんざりするばかりではないか。

脱炭素化の活動を広める方法は他にもある。脱炭素化をテーマにした本を、次々にページをめくりたくなるようなものにすることである。『脱炭素化社会の実現』は素晴らしい教材であり、私のようなマニアにとっては、非常に魅力的な内容だ。しかし、気候問題にあまり詳しくない読者はそれほど興味をそそられないかもしれない。学術文献だからといって真面目一辺倒である必要はない。生き生きとした文章は、読者を奮い立たせ、インスピレーションを与える。気候変動の問題解決に取り組む人々は、打ちのめされ、疲弊し、憂鬱になりがちなので、できる限り前向きな本が必要だ。

本書も学術的な体裁にこだわっていて、それが文体だけでなく、読み物としての面白さにも影響を与えているように感じる。たとえば、エネルギーの章で、レノックスとダフは「浮体式洋上風力発電」について少しだけ触れているのだが、まるで不仲の両親のようにすぐに別の論点に移ってしまう。浮体式洋上風力発電とは何か。これこそ、悲観的な気候変動との闘いのなかに喜びをもたらし、多くの気候変動対策のコアとなる、素晴らしいクリエイティビティと高度な技術を説明するチャンスではないか。

しかし、これらの批判はすべて屁理屈にすぎない。『脱炭素化社会の実現』は、人類史上最も重要な転換に不可欠なガイドである。本書は、学者、政策立案者、そして市民が、より環境にやさしい地球を想い描いて実現していくための資料として、すべての人の手元に置かれるべき本である。

【翻訳】五明志保子
【原題】Getting to Zero(Stanford Social Innovation Review, Winter 2022)

Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA