※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 04―コレクティブ・インパクトの新潮流と社会実装』より転載したものです。
井上英之 Hideyuki Inoue
長年、社会起業やソーシャルイノベーションの世界に関わってきた筆者は、2011年に登場したコレクティブ・インパクトという概念と方法論は、「スケール」と「対話」という2つのソーシャルイノベーションの系譜が合流したものと捉えている1。それがこの10年でエクイティ(社会構造による格差の解消への動き)をより重視するようになるまでの背景を、簡単に展望してみたい。
戦争や災害、格差や貧困の問題は人類の歴史を通じて存在してきたが、グローバル化やテクノロジーの進化に伴い、これらの問題の規模や複雑性は急速に増している。そんななか、従来のやり方では期待通りの結果が出せず、私たちは新しい「社会の変え方」をつくり出す必要に迫られている。それがソーシャルイノベーションである2。
欧米を中心に1990年代後半から、日本では2000年代に入った頃からソーシャルイノベーションが注目されるようになったが、もともとソーシャルイノベーションには2つの異なる系譜があった。1つ目がビジネスの手法を活用することで社会課題を解決しようとする流れだ。このなかで多くの社会起業家(ソーシャルアントレプレナー)が生まれ、彼らの立ち上げた事業は「ソーシャルベンチャー」とも呼ばれた。2003年にスタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー(SSIR)がスタンフォード大学のビジネススクール内で創刊されたのもこの流れと無縁ではない。この系譜において常に大きなテーマとなっていたのが「スケール」の問題だった。どうしたら局地的な個別の課題解決で終わらせず、より広範囲でインパクトを生み出していけるのか。スケールについてはSSIRでも創刊以来、数々の論文や議論が発表されてきた。
ソーシャル分野においてスケールする目的は、社会問題の解決につながる社会の変化を生み出すことであり、自社の事業拡大ではない。あまりにも社会は大きいため、単独で事業をスケールアップしても成果(インパクト)を出すことができない、という背景もある。そこで成功した方法を他地域でも展開するかたちでのスケールアウトが模索された3。そのなかで重視されたのが「セオリー・オブ・チェンジ(変化を生み出すパターンを言語化・可視化した変化の方法論)」である4。
これと並行して、他団体との協働や連携を促進するような外部環境(エコシステム)を意図してデザインしていくことも提案され始めていた5。なぜなら、ティーチ・フォー・アメリカ(Teach for America)のようなこの時期に急成長した著名なNPOですら、アメリカ国内で支援を必要としている貧困層の子どもたちの数に対して十分に対応できるだけの規模には遠く及んでいなかったからだ。第一の系譜においてはNPOも企業を模範とした、しっかりした「経営管理(マネジメント)」をすればスケールできるという考え方が支配的だったが、組織としての経営能力よりむしろ、外部で影響力のあるプレーヤーとの連携がインパクトの鍵を握ることも明らかになってきていた6。
ソーシャルイノベーションの2つ目の系譜は、個別の社会課題の背後にある社会システムにまで踏み込まなければ、根本的な解決には至らないとする考え方に根差すものだ。 個人、組織、社会はつながっており、個人の価値観やマインドセットが変容していくことがシステム変化に欠かせないとするこの系譜においては、対話や観察、体感的なワークを通じて、自らを含めた社会のダイナミズムに気づき、新たな関係性と選択肢を出現させていくアプローチが一般的である。
この分野のすそ野は広く、紛争解決、途上国におけるコミュニティ開発、行政への住民参画、企業の組織開発といったさまざまなシーンで実践と研究が積み重ねられてきた。たとえば「U理論」を開発・実践するオットー・シャーマーによる、分断をつなぐワークや、「学習する組織」や「システム思考」で知られる、ピーター・センゲらによる、企業や政府、NGOをまたぐさまざまな試みがある7。また、アパルトヘイト後の南アフリカで平和構築プロセスに関わってきたアダム・カヘンなどの専門家たちは、異なる価値観や立場を持つ人たちがどうやったら対立を超えて新しい未来を創っていけるかという対話や協働の方法を実践している。
こうした活動の結果としてもたらされた人や組織・地域の変容に対しても、ソーシャルイノベーションという言葉が使われてきた。
2つの流れが出合う
スケールを追う1つ目の系譜、システム変化を視野にいれた2つ目の系譜のいずれにおいても乗り越えなくてはならない課題があった。スケールを追うビジネス寄りのソーシャルイノベーションの取り組みにおいては、即効性を求めるあまり根本的な解決を先送りにしがちだった。求める変化を生み出すためには、モノやサービスを届けるだけでなく、関わる人たちの背景やマインドセットやあり方(being)も視野に入れていく必要があることが明らかになってきた。その一方で、第二の系譜においては、深いシステム変化を探究して対話や内省を重視するあまり、時間がかかって具体的な行動に至らないこともあった。
それぞれの反省から、異なる立場のプレーヤー同士の相互理解を進めながら、個別の取り組みを越えた具体的で目に見える前進につなげるための新たなアプローチが必要なのは明らかだった。そこに登場したのがジョン・カニア、マーク・クラマーが2011年にSSIRに発表した論文、「コレクティブ・インパクト」だった8。
この頃から、ソーシャルイノベーションの2つの流れが合流していった。複雑になった社会の課題に対して期待する成果を出せなくなった中央や権威からのトップダウンのアプローチに代わる、分散的かつ自律的なアプローチは、時代の要請でもあった。
個々の組織や団体がそれぞれの力を発揮しつつ協働するための枠組みと方法論を示した「コレクティブ・インパクト」への反響はすさまじく、世界中であらためて、新たにこれを意図した動きとそこからの学びを共有する動きが始まった。一方で、批判や意見も寄せられた。よく知られるのが、カナダのタマラック・インスティテュート(Tamarack Institute)によるものだ9。
これは当初の論文から始まる動きが計画性や方法論にこだわる傾向(第一の系譜に見られたもの)を指摘し、そうした管理志向から、関わる人たちの声や背景に学ぶプロセスを大切にするムーブメントに軸足を移すべきだと主張した。
こうした数多くの実践や議論を超えて、最初の論文からほぼ10年経った2022年にカニア、クラマーらが発表したのが今号冒頭の「コレクティブ・インパクトの北極星はエクイティの実現である」だ。ここで、彼らは、コレクティブ・インパクトに関する重要な定義の変更を行った。文面に「エクイティ」という言葉を明確に入れたのである。
”集団やシステムレベルの変化を達成するために、ともに学び、連携して行動することによってエクイティ(構造的な格差の解消)の向上を目指す、コミュニティの人々とさまざまな組織によるネットワークである。”
なぜこのような再定義が必要だったのか。アメリカ社会はこの10年、政治的、経済的、社会的分断の深刻化を経験してきた。その姿は世界の縮図でもある。それぞれの分断には複雑な歴史的、構造的要因が背景にある。エクイティは「公正さ」や「公平性」などとも訳されるが、その本質は、表面的な対策にとどまらない、社会的な構造が生み出した格差の解消を目指すことだ。
社会には本来多様な人たちがいる。人種、性別、生まれ住む地域、民族、家族構成などの属性が、どのように私たちの差別や格差と結びついてきたのか。そこに向き合わないかぎり、どんなやり方も限定的な成果しかもたらさないという手痛い学びと、さらなる人類への希望から、このエクイティを中心に据えた新しいコレクティブ・インパクトの方向性が示されたのである。エクイティをめぐる社会の問題は、いよいよ人類の課題として、世界の多くの人たちの意識にのぼり始めている。ビジネスも、他のセクターでも、この社会状況を無視して活動はできない。異なる立場を越えて、コレクティブ(集合的)な変化を意図して生み出すことが必要になる。
ここで改めて強調しておきたいのが、「集合的」と「集団的」の違いだ。コレクティブな取り組みとは、個を排して、集団のために一枚岩になることではない。集合的アプローチは、個人が多様な自分自身を理解することを通じて、異なる他者の背景の理解を進めるところから始まる。そこから、多様な社会のあり方に届くような協働が可能となるのだ10。
【画像】OC Gonzalez on Unsplash
注:
1. ソーシャルイノベーションの2つの系譜に関しては、「コレクティブ・インパクト実践論」(井上英之、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』 2019年2月号、ダイヤモンド社)を参照。
2. SSIRでは、ソーシャルイノベーションを以下のように定義している。「社会課題に対するまったく新しい解決策で、既存の解決策よりも、高い効果を生む・効率がよい・持続可能である・公正である、のいずれかを実現し、個人よりはむしろ社会全体の価値の創出を目指すもの」。「ソーシャルイノベーションの再発見」(ジェームズ・A・フィルズ・ジュニア他、『これからの「社会の変え方」を、探しにいこう。』2021年、SSIR Japan)。
3. Gregory Dees, Beth Battle Anderson & Jane Wei-Skillern,”Scaling Social Impact: Strategies for spreading social innovations,” Stanford Social Innovation Review, Spring 2004.
4. Jeffrey L. Bradach, “Going to Scale,” Stanford Social Innovation Review, Spring 2003.
邦訳:「規模の拡大を目指して」(ジェフリー・L・ブラダック、『これからの「社会の変え方」を、探しにいこう。』 2021年、SSIR Japan)。
5. Paul N. Bloom & J. Gregory Dees, “Cultivate Your Ecosystem,” Stanford Social Innovation Review, Winter 2008.
6. Heather McLeod Grant & Leslie R. Crutchfield, “Creating High-Impact Nonprofits,” Stanford Social Innovation Review, Fall 2007.
邦訳:「大きなインパクトの生み出し方」(ヘザー・マクラウド・グラント他、『これからの「社会の変え方」を、探しにいこう。』 2021年、SSIR Japan)。
7. Peter Senge, Hal Hamilton, & John Kania, “The Dawn of System Leadership,” Stanford Social Innovation Review, Winter 2015.
邦訳:「システムリーダーシップの夜明け」(ピーター・センゲ他、『これからの「社会の変え方」を、探しにいこう。』 2021年、SSIR Japan)。
8. John Kania & Mark Kramer, “Collective Impact,” Stanford Social Innovation Review, Winter 2011.
邦訳:「コレクティブ・インパクト」(ジョン・カニア、マーク・クラマー、『これからの「社会の変え方」を、探しにいこう。』 2021年、SSIR Japan)。
9. Mark Cabaj, Liz Weaver, “Collective Impact 3.0: An Evolving Framework for Community Change,” Community Change Series 2016, Tamarack Institute.
10. Linda Bell Grdina, Nora Johnson & Aaron Pereia, “Connecting Individual and Societal Change,” Stanford Social Innovation Review, Mar. 11, 2020. https://ssir.org/articles/entry/connecting_individual_and_societal_change
邦訳:「『わたし』を犠牲にせず社会を変えよう」(リンダ・ベル・グルジナ他、『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー日本版01』 2022年、SSIR Japan)。