科学が急速に発展する時代において、フィランソロピーは「シビックサイエンス(市民科学)」文化の確立に欠かせない役割を果たすようになった。シビックサイエンスとは、科学技術が社会に与える影響について科学者と市民が幅広く対話し、共にその方向性の決定に関わっていくプロセスだ。
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 03 科学技術とインクルージョン』より転載したものです。
エリザベス・グッド・クリストファーソン|ディートラム・A・シャウフェレ|ブルック・スミス
科学は、フィランソロピーの資金援助に支えられながら、世界的なマラリアとの戦いを大きく前進させてきた。世界保健機関(WHO)の推計によると、科学の発展によって2001年以降680万人がマラリアによる死亡を回避した。もし、マラリアの死亡数をゼロにできるとしたら? 2015年には依然として約42万9000人がマラリアで亡くなっており、そのほとんどが子どもである。もし特定の種類の蚊を技術的に絶滅させて、さらに多くの命を救うことができるなら? あるいはその技術が悪の手にわたり、蚊を新たな疾病を媒介する新種の生物兵器に変えられてしまったらどうなるだろう?
将来、臓器移植を待つ必要がなくなるとしたら?アメリカで臓器移植を待つ人の数は、2017年の夏時点で11万6000人を超え、毎日20人が移植を待ちながら亡くなっている。もし、この慢性的に不足している臓器を、ブタの体内で育てることができたら? また、臓器を提供できるレベルまで「ヒト」に近づくよう編集された動物が、一部の倫理学者が指摘しているように脳もヒト化して人間のような意識を持つとしたら? もし、命にかかわる難病のハンチントン病を引き起こす変異遺伝子を持つ人が、その遺伝子を編集して病気を回避できるようになったら? 子どもに引き継ぐ遺伝子を編集し、病気を取り除くことができるようになったら? あるいはそこまで深刻でなくとも、害をもたらしうる特質を取り除いたり、望ましい特質を追加したりすることも可能になったら? たとえば自分や子どもの知性を高められるとしたら? それは許されるべきだろうか。誰がそれを実行するのか? 富裕層だけなのか、一部の国の人々だけなのか? 誰がそれを決めるのか?
CRISPR-Cas9(あるいは単に「CRISPR」)と呼ばれる新しい遺伝子編集テクノロジーの急速な発展に注目してきた人々は、上記すべての可能性が実現に向かっていることを知っている。実現間近なものもあるが、現時点ではまだ夢物語に過ぎないものもある。
非営利の研究コンソーシアム「ターゲット・マラリア(Target Malaria)」は、標的DNAを発見・置換するCRISPRを使って遺伝子を編集し、人間の血を吸わないオスのみを産むハマダラカを誕生させた(マラリアは、ハマダラカのメスによって人に広がる)。この特質は生殖行為を通じて集団全体に広がることになり、この蚊の個体群は最終的に消滅する。2018年初めにはサンディエゴのソーク研究所が、CRISPRを用い、マウスの胚内でラット由来の機能的な膵臓、心臓、眼球を分化させることに成功した。同研究所はさらに、ヒトの臓器の宿主としてちょうどよい大きさであるブタを使い、その胎児のなかにヒトの細胞や組織を作製した。遺伝子を組み替えて知能のような複雑な機能を持つ組織をつくり出す方法はまだわからない。しかしマウスを使った研究では、ハンチントン病の原因となる変異型HTT遺伝子を編集して、この疾患で細胞破壊を引き起こす毒性タンパク質をほぼ除去することに成功している。8月にはオレゴン健康科学大学が、ヒトの胚において、心不全の原因となる遺伝子の編集に成功したことを報告した。
これらは現代科学の輝かしい事例である。CRISPRが示すまったく新しい種類の威力は、それを発明した科学者たちでさえ、原子エネルギーに匹敵すると認めているほどだ。CRISPRは他の強力なテクノロジーと同様、世間から賞賛される目的のためにも、批判される目的のためにも使用される可能性がある。そして、その中間には広いグレーゾーンが存在する。数年前に誕生したばかりのCRISPRは、科学はもちろん倫理、社会、法律の面でも、地図のない未踏の地に人類を踏み込ませた。
遺伝的特徴に基づく差別、優生学、迫害といった出来事は、医学史が抱えてきた問題でもある。ヒトゲノムの編集という新たな技術は、一部の人々にとって、ともすれば意思に反するかたちで自分たちの遺伝子が編集されるかもしれないという脅威を生み出すことにはならないだろうか。ゲノム編集を選択しなかった者に対する差別が強まるだろうか。他にはどのような課題が浮上するのだろう。
CRISPRによって生じる疑問の多くは科学や技術の問題ではなく、科学者が「正しい」答えを持っているわけでもない。CRISPRは新しい科学の一種であり、研究室の中では技術的リスクを管理できるものの、外に出せば倫理的、政治的、社会的な問題を引き起こす。その問題が何かは、具体的な用途に関する検討が始まってようやく明らかになるのだ。ヒトのゲノム編集と同様に、幹細胞研究、合成生物学、ナノテクノロジー、人工知能が提示する課題も「厄介な問題(wicked problems)」1 であり、想定内および想定外のさまざまな影響と、それらの関連性を慎重に考慮することが求められる。医学誌『ランセット』(The Lancet)の編集者が最近提唱したように、科学の可能性とそれに伴う道徳、政治、社会面のトレードオフをめぐる議論において「包括的かつ効果的」に国民に参加してもらいながら、課題への対処法を決定するのが理想である2。
私たちが多くの科学分野で未知の領域に踏み込んでいるという事実は、新たな知識やテクノロジーの発展をどう捉えて、どのように方向づけていくかについて社会全体で問い直すまたとない機会を与えられているということでもある。フィランソロピーは、このような機会に必要な対話を促進するうえで、重要な役割を担っている。
科学者と市民間の対話を求める声の高まり
科学の領域では以前から、新しく出現したテクノロジーとその影響について一般の人々にも働きかけて広く議論すべきだと考える人たちがいた。マンハッタン計画に携わった後、「自らの仕事がもたらす結果に無関心ではいられなくなった」科学者らが発刊した『原子力科学者会報』の1948年の記事で、J・ロバート・オッペンハイマーは、科学者と一般市民間で対話を深めるように呼びかけた。「原爆の父」と呼ばれる彼は、ますます多くの物理学者が自分の研究の影響について意識するようになったとし、それは「今世紀、科学の応用がどれだけ人々の幸せを左右するかが痛ましいかたちで示され、伝統的な楽観主義や、進歩への信頼といったルネッサンス後の欧米文化を代表する価値観へ疑問が投げかけられた」3 結果だとした。
アメリカ科学振興協会(AAAS)の名誉CEOを務めるアラン·レシュナーは、21世紀初めに、新しいテクノロジーのリスクと便益に関する「双方向の誠実な対話」を求めた。彼は、科学者が「一般の人々の視点や懸念を完全に共有することはできないにせよ、尊重する必要があり、それに応えられるようなパートナーシップを築く必要がある」4 と書いた。
ところが科学者の世界では、科学者が一般市民と関わることを推奨するどころか、押しとどめるのが一般的だ。科学者のキャリアを導く合言葉は「出版するか、さもなければ消えるか」である。科学者は、助成金申請書の作成、研究、出版、指導に集中しなければならない。たとえ科学者が市民との対話に参加することを望んでも、多くの大学はそれを奨励しておらず、科学について円滑なコミュニケーションがとれる専門家が適切な支援を得ていないことが多い。
しかし、CRISPRの登場など最近起こった出来事によって、この文化が変わろうとしている。カリフォルニア大学バークレー校の生物学者で、CRISPRの先駆者の1人であるジェニファー・ダウドナも、「[CRISPRのような]テクノロジーはどのように使うことができるのか、そしてどのように使うべきなのか」5について、社会科学者、宗教団体、規制当局、政治家、一般市民の間でより広く社会的対話を行うことを呼びかけている。最近の調査データからは、多くの市民がこうした呼びかけに賛同していることがわかっている。CRISPRについてどのような見解を持っているかにかかわらず、人々はその技術をめぐる議論への参加を望んでいる。各人のCRISPRに対する見方は、宗教的背景、この技術がもたらすリスクと便益に対する理解、CRISPRで治癒するかもしれない病気に自分や家族が罹患しているかなどによって異なってくる6。
一般市民も科学者も、CRISPRやその他の新しいテクノロジーに対する議論の準備ができているように見える。インクルーシブで生産的な討論が早急に必要だが、政治的状況を考えると今は理想なタイミングとはいえない。いま、歴史的にも最悪なレベルの政治離れが起きている。これはいわゆる「社会資本」の減少が背景にあり、社会や政治への市民参加を促すようなコミュニティ団体や機関もますます減っている7。最近では有権者の分極化や、オンライン化が進むメディアの変質およびバイアスによって社会的緊張がさらに高まっている8。
ニュースのパーソナライゼーションが進むなか、私たちはどのような情報を得るかを徹底的に選り好みできるようになった。社会科学者は以前から、人はもともと持っている信念に合致する情報を消費する傾向があるということを指摘していた9。グーグルニュース、フリップボード、フィードリーなどの情報収集サイトによって、今や特定の情報源、トピック、見解のニュースを永久にブロックすることが可能だ。今日ではアメリカ人10人のうち7人近くが、情報の少なくとも一部をソーシャルメディアから取得すると答えており、この問題はますます深刻化している10。
従来の学問領域を横断するような複雑で新しい科学のトピックを扱う場合には、さらに深刻さが増す。科学的な情報や分析を多くの人々に信頼できるかたちで届けられなくなったため、個人はますます自分の信念に合致しない情報を遮断しやすくなった。たとえば、それほど激しい論争にならないナノテクノロジーなどのトピックでも、人はその見出しや内容にかかわらず、自身の思想に合う情報源から発信された科学ニュースに引き寄せられる傾向があることがわかっている11。
新しい科学領域に社会が建設的に対応する方法を見出すためには、こうした分断のサイクルを脱する必要があり、そのためには科学的な情報だけではない何かが必要だ。市民による対話と合意形成という厄介で複雑なプロセスに私たち自身が関わり、それを支えることが求められている。
フィランソロピーがシビックサイエンスを促進する5つの道
科学の進歩と民主的な意思決定の両方を受け入れる社会では、たとえば疾病の予防や治療といった重要な選択肢と、規制、道徳、社会面の課題とを照らし合わせて優先順位を判断することになるだろう。その結果、良識を優先して選択肢を手放すこともあるかもしれない。画期的な科学技術が登場したときに、より責任あるかたちで実装していくためには、その技術によって何が可能になるのか、どんな複雑性が生じるのかについて、社会全体で議論できることが前提条件である。
これから先、シビックサイエンスの文化を発展させることが重要だと筆者らは考えている。ここでいうシビックサイエンスとは、科学と社会のさまざまな接点で生じる課題に対し、広く一般の人が関わることを意味する。シビックサイエンスを受け入れる社会では、科学者が市民としての役割を積極的に果たし、多種多様な人々が意思決定プロセスの一部として科学を利用する。そして人々が科学について対話をする環境がインクルーシブな場となり、社会の問題解決や新たな知恵の発見を促すだろう12。
シビックサイエンスの基盤づくりに関する有益なモデルや有望な事例もあるが、今後取り組むべきことはいくつもある。初期のきわめて重要なステップの1つが、フィランソロピー組織による触媒的投資(catalytic investments)だろう。これによって新たなシビックサイエンスの動きを生み出し、既存の取り組みの規模を拡大し、他の組織も巻き込んでいくことができる。フィランソロピストがこうした投資を計画する際、大まかに5つのアプローチを幅広く採用することによって、コミュニケーション研究や先行事例から得られた知見を役立てることができる。
❶効果的な科学コミュニケーションと対話への参加を支援する
科学に関するコミュニケーションを行う場合、よくあるのが、ファクトを丁寧に説明するというアプローチだ。科学者もこの方法をよく使う。しかしこのやり方は効果がないことがわかっている。「知識欠如モデル」と呼ばれるこのコミュニケーションは、次のような具合に進む。「この科学は複雑で新しいものです。手間暇をかけて丁寧に説明し、ファクトを理解してもらえるまで、たとえ話も混ぜながら何度でも伝えますね」。このモデルが前提にするのは、ファクトさえ理解すれば、人も社会も科学的に正しい⸺子どもへのワクチン接種や再生可能エネルギーへの投資など⸺判断をするということである。このアプローチは社会科学の数十年にわたる研究でほとんど支持されていないにもかかわらず、多くの科学者がいまだに使っている13。相手の長年の信念を科学的エビデンスで変えようとすることは、たとえ相手が科学者であっても困難だということがわかる。
科学的事実への理解を深めることは、状況によっては根拠のない不安の軽減に役立つが、科学が既存の信念とぶつかったり、科学の発展が正解のない問題をもたらしたりする場合にはまったく効果がないこともある。たとえばコンピュータサイエンティストは、ソーシャルメディアの言語を学習し、それに参加できる人工知能を開発した。しかし、マイクロソフトのプログラマーが開発したツイッターチャットボット「Tay(テイ)」が、人間のユーザーの偏狭な意見を学習して暴走し、1日も経たずに停止に追い込まれた事例でわかったように、コンピュータが敬意ある建設的な対話法を学ぶためには、文化や価値観に関するまた別の種類の知識が求められるのだ。
単に科学的事実を伝えることだけを重視すると、効果がないどころか逆効果になることもある。最近の研究によれば、子どものワクチン接種に反対する親たちのなかには、ワクチン接種について幅広く情報を得たことで、逆にワクチン接種の推奨スケジュールに従う気が失せたという人もいた14。
知識欠如モデルのような、一見理にかなっているようで効果のないアプローチを変えるための科学コミュニケーション学習プログラムは数多く存在する。たとえば生態学者のジェーン・ルブチェンコが創設したCOMPASS、アラン・アルダ科学コミュニケーションセンター(Alan Alda Center for Communicating Science)、米国科学振興協会の「科学と市民の関わり方のリーダーシップ研究所(Leshner Leadership Institute for Public Engagement with Science)」などである。科学者は、アクティブリスニングのスキルや人々の関心事項について学ぶことによって、「双方向的」コミュニケーターとしての力をつけることができる。大学や慈善団体のなかには、科学者へのコミュニケーションや市民エンゲージメントに関するトレーニングを支援し、科学者と一般市民とのつながりを促進する広報室を創設するところが増えている。
こうした分野へのさらなる投資は、科学の「厄介な問題」に取り組む領域では特に、豊かな土壌を育む可能性が高い。最近の調査によれば、疫学、幹細胞研究15、ナノテクノロジー16 領域の一流科学者たちが一般市民との交流に関心を持ち、積極的に受け入れる傾向にある。これは、社会に対して情報発信を抑制してきた伝統的な学術文化の全面的な転換といえるだろう。
2016年の大統領選挙キャンペーン以降、科学コミュニケーションのトレーニング機関や学術機関の需要は急増している。ジョンズ・ホプキンス大学の研究担当副学長であるデニス・ワーツは2017年7月に、「科学者には、『そんなことは信じない』と言われたときに、やる気を出すのではなく、呆れて諦めてしまう傾向があったように思います。しかしいまでは教員たちが私のオフィスや政府担当渉外室にやってきて、『議会とどうコミュニケーションを取ればよいか、人々とどうコミュニケーションを取ればよいか』と聞いてくるのです。ものすごい変化が起きています」と述べた17。
科学をよりよく伝えるための新たな取り組みを率いる人々の多くが、効果的なアプローチを探るうえで、実証的な社会科学の知見を取り入れたいと考えている。高まる需要に応えるには、科学コミュニケーションに対するフィランソロピー投資を増強する必要があるだろう。フィランソロピーが特に幅広く影響力を発揮しやすい領域として、有益でアクセスしやすい社会科学研究の推進や、資金提供やイベント、情報発信を通じて科学者や大学による社会的参加を奨励するということが挙げられる。カブリ、ムーア、パッカード、リタ・アレンの各財団は、科学者のコミュニケーションや社会参加を効果的に支援するための新たな取り組みを始めている。そこでは、科学者やシステム設計者のほかにコミュニケーションの専門家を招集して知見を共有し、協働を進めている(本稿著者の1人はリタ・アレン財団のプレジデント兼CEOである。もう1人はCOMPASS のエグゼクティブ・ディレクターを務めた後カブリ財団に参加した)。
❷多様な連携の強みを利用する
科学界だけでは、科学者の社会参加を劇的に高めることはできない。科学者と市民との対話の内容は、ある一分野、たとえばゲノム編集の研究者が喫緊の課題だと考えるトピックだけに限定するわけにはいかないからだ。新たに生じた課題や機会を見極め、有意義な社会的対話を実現するためには、社会科学と自然科学の研究者だけでなく、地域コミュニティ、政治家、メディア、産業界、ジャーナリスト、そして広く一般の人々の参加が必要だ。フィランソロピーは、これらすべてのグループの連携を強化し、人種、階級、文化、地理、思想の違いを超えた結びつきを促進できる。
こうした結びつきは、研究機関の内部でもつくることができる。たとえばアメリカ国立科学財団は2006年、2つのナノテクノロジー社会研究センターに、新領域の倫理、法律、経済、政治面の影響を研究するための資金を提供した。アリゾナ州立大学とカリフォルニア大学サンタバーバラ校を拠点とする両センターは、社会科学、自然科学、エンジニアリング科学にまたがる分野横断的な組織である。両センターは科学者と市民とを結びつけることを目指し、たとえば特定の都市環境におけるナノテクノロジー利用についての対話を活性化するために専門家と一般市民向けのツアーを企画するなど、クリエイティブなアプローチを展開した。
より柔軟で非公式なかたちでシビックサイエンスの実現を目指す組織や取り組みもある。ブルックリンにあるジェンスペース(Genspace)は、科学ファン、高校の生徒と教師、専門の科学者、アーティスト、デザイナー、各種非営利団体を結びつけているコミュニティラボだ。正式な科学教育を受けていない人々が専門家である科学者と協力して、たとえば、ブルックリンのゴワナス運河の汚染状況のデータをリアルタイムで提供するバイオセンサーの開発に携わるといったことを可能にしている。ジェンスペースは、リチャード・ラウンズベリー財団の支援を得て、ゲノム研究をめぐる現在の課題についてのコミュニティ講座や対話の場を開催するほか、誰もが実験器具を使用して身近な素材のDNAを調査できる機会を提供しており、人々は、市場で買った魚や裏庭の雑草の種類を特定することもできる。
フィランソロピストは、連携を支援するだけでなく、まったく異なる多様な集団を集めたり、新たなコラボレーションの立ち上げ資金を提供したりすることによって、有望なつながりの形成を促進できる。たとえばリタ・アレン財団とその他のパートナーは、全米科学・技術・医学アカデミー(National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine)で行われる学際的、分野横断的なカンファレンスの開催をサポートしており、科学コミュニケーションをテーマにした最近のサックラー会議もその1つである。人工知能やヒトゲノム編集など論争の的になる新しいトピックに注目するこれらのイベントから、社会科学者と、政府機関や科学機関の科学コミュニケーター間の新たなパートナーシップが生まれてきている。さらに、フィランソロピスト自身にも積極的な参加を働きかけて、どんなニーズがあるかの情報を提供し、アイデアを出すことを促している。
❸「動く目標」に対処する能力を構築する
2015年のジカウイルス感染症の大流行といった予期せぬ危機はもちろんだが、新しい科学技術が急速に出現していることを踏まえて、シビックサイエンスは新たな課題や状況に速やかに順応できる資質を備えなければならない。
たとえばCRISPRが飛躍的に進歩し世界中の研究者がヒトでの初期試験を開始しているにもかかわらず、科学者や政策立案者は、新たな規制の枠組みについてほとんど議論できていない。CRISPRの生物学者であるダウドナは、2017年夏にカリフォルニア大学バークレー校で行われた会合で、「これほどのペースで科学が進展するのは見たことがありません。つまり私たちはこのような議論を先送りにすることができなくなっているということです」と述べた18。
行動を求めるダウドナの呼びかけは、その10年以上前にサウスカロライナ大学の倫理学者ジョージ・クシュフが抱いた懸念と同じものである。
「すでに我々が熟考して適切に対応できるペースを超えて、倫理的課題が次々に生じる段階にさしかかっている。もうその段階に達してしまったかはわからないが、確実に言えることがある。それは、我々が倫理的課題に対処するときに用いていた伝統的な方法が新たな変化のペースに対応しておらず、通用しなくなる事態が目前に迫っているということだ19」
この「動く目標」問題は、急速に発展する科学の新領域のみならず、前述したように情報、メディア、市民環境という領域において、同じような混乱をもたらす変革が同時並行で進んでいることからも発生している。このような変化は、新しい科学をめぐる課題の必然的、偶然的結果について私たちが熟考することを困難にし、別の新たな問題を生む。もしニュースメディアに対する信頼が引き続き低下していくとして、ジャーナリストや科学者以外の誰が公開議論の場で科学的事実についての合意形成の橋渡しとなるのか。やはりプロのジャーナリストがこの役割を果たすべきだと考えた場合、どうすれば質の高いニュース環境を経済的に存続させられるだろうか。実際にある場所に集まって熟議する機会が失われてきているなかで、それを改善するためにオンライン環境をどのように生かすことができるだろうか。
フィランソロピーがシビックサイエンスにおける「動く目標」に対応するためにまずできるのは、資金提供の仕組みに開放性と柔軟性を取り入れることだ。具体的には、次のような取り組みである。プロジェクトが新たな状況や理解に基づいて変化することを前向きに理解し、特定使途に限定しない資金を提供する。さらに、新たなアイデアや組織に資金を提供する道をつくり、好機を逃さぬように必要に応じてレビュープロセスを加速する。
新たな状況に柔軟に対処できる能力を、個人、組織、セクターレベルで確立することも重要だ。柔軟性と順応性のある市民科学システムへの投資には、研究成果発表の助成、中間組織が科学者、ジャーナリスト、政策立案者との関係を築くための支援、一般市民が科学リテラシーを高める生涯学習の機会の提供などが挙げられる。フィランソロピーが学校教育を重視するのは適切だが、市民が科学的テーマに触れるのは、特にヒトゲノム編集やナノテクノロジーといった新しいトピックの場合は主に学校の外である点を理解することが非常に重要である20。
急速な変化や予期せぬ危機は、シビックサイエンスの変革のきっかけにもなりうる。自分でできる環境科学ツールやコミュニティ主導の調査に関するコラボレーションハブの役割を果たしている非営利団体のパブリックラボ(Public Lab)は、2010年、メキシコ湾BP原油流出事故の発生から数日後に発足した。流出規模に関して信頼できる正式な情報が得られない状況で、さまざまな専門知識を持つコミュニティメンバーが、風船や凧に載せたカメラで海岸線の画像を撮影して収集し、自分たちで開発したオープンソースのプラットフォームを使ってそれらを合成した。それ以降、パブリックラボが開発したツールは世界中のコミュニティサイエンスのプロジェクトで利用されている(たとえばマサチューセッツ州のパイオニアバレーでは外来種のヒシを除去するための生育区の特定に、ボストン近郊では湿地帯や住宅地に隣接する開放埋め立て地の監視に、ルイジアナ州ポンチャートレイン湖の周辺では湿地の再生を促す活動に、など)。
❹共通の価値観に注目する
気候変動、GMO(遺伝子組み換え作物)、ワクチンの安全性といった重要課題について意見に相違はありつつも、アメリカ人はおおむね科学や科学者を信頼している。実際にアメリカでは、科学界への信頼度は軍隊に次いで2番目に高く、他のほとんどの機関よりも信頼されている。ある調査ではアメリカの成人10人に8人が、科学は大半の人々の暮らしを便利にしてきたと答えた21。たとえ分極化が進む時代でも、シビックサイエンスは非営利団体やフィランソロピストが複雑な問題の解決策を見出し、発見と進歩という共通の関心に基づいて、地理、思想、人種、文化の壁を超えたつながりを築く機会をもたらす。
しかしこれを成功させるためには、共通の価値観を見出して結びつけることが欠かせない。気候変動は新たな規制や環境保護の必要性という文脈で語られることがあり、これはリベラル派には訴求力があるが、保守派にはそうではないだろう。一方、エネルギーの自給やグローバル市場における競争力に目を向けて、代替エネルギーへの投資価値を中心に気候変動を議論すれば、保守的な層からより同意が得られる可能性がある。保守的なキリスト教徒は人間の活動が地球温暖化を引き起こしていることを信じない傾向があるが、気候科学者で福音主義キリスト教徒のキャサリン・ヘイホーはそうした態度を変えることを目指し、キリスト教徒に向けて気候変動対策で科学や信仰が果たすさまざまな役割について深く話し合う講演会を実施している。ヘイホーは、気候変動はとりわけ貧しい人々に大きな影響を及ぼすため、「キリスト教徒にとって気候変動は、創造物に対して責任を負うこと、キリストが私たちを愛するのと同じように他者を愛すること、貧しく恵まれない人々を思いやることという使命と直接の接点がある」と指摘する。
私たちは、言語学22、社会学23、メディアの効果24、心理学25 に関する数十年来の研究を通して、情報や選択肢の見せ方あるいはフレーミングのしかたによって、受け取り手の解釈が変わることを知っている26。フレーミングは複雑な課題を、過去の経験· 記憶によって構造化された思考パターン(スキーマ)と結びつけ、場合によっては特定の思想や価値観と関連づけることで、理解しやすくさせる効果がある27。これは特に、さまざまな解釈ができる非常に複雑な科学的課題の場合に有効だ。
単純に「ファクトにこだわる」だけでシビックサイエンスを実現することはできないし、特定の人々を疎外する可能性のあるフレームにこだわることはより不適切である。私たちは、人が何かを判断する際に、エビデンスだけでなく各自の価値観も中心的な役割を果たすことを理解する必要がある。たとえば信仰心の篤い人であれば、信仰をヒトゲノム編集に関する判断の材料にするだろう。ハンチントン病の遺伝子キャリアである親は、将来の子どもの健康を第一に考えて発言するかもしれない。こうした課題に対して1つの正解があるわけではない。個人間そして社会による討論を継続することが、皆が合意できる価値観を見出すことに役立ち、広く一般市民の支持を得られるような規制や倫理的な選択を可能にするだろう。
フィランソロピストは、科学と市民生活、それらの交わりにおいて、自らの支援の原動力となる中核的価値観を伝えることで、このような対話に貢献できる。また科学や価値観に関する対話を、対面で、メディアで、そしてデジタル空間で活性化することもできるはずだ。
その一例が、科学、テクノロジー、経済に対する一般市民の理解を促進するアルフレッド・P・スローン財団のプログラムだ。これは、科学関連のメディア、劇場、映画、そして最近ではバーチャルリアリティで共通の価値観に訴える多面的な取り組みである。このプログラムで支援してきた一般向けのノンフィクション作品の1つにマーゴット・リー・シェタリーが著し、映画版も広く絶賛された『ドリーム⸺NASAを支えた名もなき計算手たち』(山下めぐみ訳、ハーバーコリンズ・ジャパン)がある。スローン財団でこのプログラムを指揮したドロン・ウェーバーは、『ドリーム』は科学者の人物像に対する有害なステレオタイプに疑問を投げかけ、政治的立場を越えて受け入れられることに成功したと指摘した。彼は「芸術作品は人々を1つにすることができます。それが実現すると、映画館から出るときに他者への理解が深まっているかもしれません」と述べた28。
価値観の共有を促す手段として見ると、科学関連の視覚メディアの伸びしろは大きい。最近のピュー研究所の調査では、アメリカ人の45%がドキュメンタリーなどの映像媒体から科学のニュースを得ており、一般報道機関に次いで普及した情報源であることが明らかになった。また、映像は科学博物館に次いで信頼度の高い情報源でもあるという。
❺ 応用研究とフィードバックループを通して信頼関係を構築する
科学技術の発展により影響を受ける可能性のある人々が、そうした課題に関する生産的な対話に確実に参加できるようにするためには、科学者と一般市民との間に信頼と親密さの土台を築かなければならない。フィランソロピーは、社会のニーズに応える新しい科学研究への道を拓く支援をすることで、このプロセスを後押しできる。
社会科学は一連の流れのなかで独自の役割を担っており、科学と社会のステークホルダーとのつながりを構築する方法を検証して改善したり、その効果を最大化したいフィランソロピストに重要な知見を提供したりすることができる。マイクロソフトの基礎研究機関、マイクロソフトリサーチの社会学者であるダンカン・ワッツは研究成果をより容易に現実の問題に応用できるよう意図的に設計された研究分野を「解決志向の社会科学」という言葉で表現した。こうした研究領域は拡大してきている。大学の制度が解決志向の社会科学研究を奨励することはまれである。そうした状況の下で、フィランソロピストは、さまざまな科学分野とそれが影響を及ぼすコミュニティとの間に、より強力な正のフィードバックループをつくり出す取り組みの支援などを通じ、社会科学における解決志向の推進に貢献できる。
シビックサイエンスの正のフィードバックループが確立されれば、科学者と一般の人々が、科学の発見や実践、社会と文化の力学、そこに科学の発見や実践がどう影響するかについて共に探索、共有、対応し、知識を向上させていくだろう。それがどのように行われるかは、そこに参加する科学者や市民によってさまざまであり、パブリックコメントのような公式のものもあれば、コミュニティグループが主催する対話のような非公式なものもある。重要なのは、お互いの利益と学びに基づいてフィードバックループを回し続けることだ。
理想的な状況下でも、このようなサイクルにすべての科学者や市民を参加させることはできないが、科学界や一般社会に情報を行きわたらせるという点では欠かせないものだろう。科学哲学者は少なくともフランシス・ベーコンの時代から、こうしたやりとりの重要性を強調してきた。哲学者のクワメ・アンソニー・アッピアはこの考え方を、「学習の進歩とは、コミュニティ、つまりコミュニケーションをし合う人々によってもたらされる成果である」と簡潔に表現した29。
このようなフィードバックループを発展させると、特定の人々が特定の課題に対して抱く不信感の問題に絞った取り組みが可能になる。科学者は全般的には信頼度が高いが、歴史的あるいは同時代の経験が要因となって一部のコミュニティにおける特定の課題では信頼度が低くなる。たとえば、農村部のアフリカ系アメリカ人の梅毒患者に対し、研究者らが本人の同意を得ずに1932年から1972年にかけて治療を行わなかったという悪名高い「タスキギー研究」は、いまでも科学や医療システムに対するアフリカ系アメリカ人の不信感を煽り続けている30。科学機関に対する信頼度が比較的低いコミュニティにこそ、フィランソロピーによるシビックサイエンスの支援にニーズがある。タイムリーに対話の土台を築き、さらなる権利の剥奪を防ぎ、最終的に信頼を得るために決定的に重要なステップは、科学者がそうしたコミュニティの人々のニーズや経験に耳を傾けることである。
フィランソロピーは、科学者、科学機関、さまざまなステークホルダーによる新たな関係の構築や、その関係を強化するための知見の蓄積にも貢献できる。資金提供者は、自らの活動のなかでも、より強力なフィードバックループを構築することが可能だ。フィードバック・ラボやファンド・フォー・シェアード・インサイトは比較的新しい団体で、資金提供者がソーシャルセクターの受益者や他のステークホルダーの声をより多く聞き、より適切に対応する方法を探るためのリソースを提供してくれる。私たちは、これと同じようなコラボレーションによって、多様性とレジリエンスのあるシビックサイエンス文化の構築という困難なプロセスに挑戦意欲がある人たちと力を結集したいと切に願っている。
未来はここに
シビックサイエンスは、単に科学者が一般市民との対話に積極的に応じるということではない。また、新しい規制の導入に関してできるだけ多くの一般市民の声を取り入れる仕組みをつくるという話にとどまるものでもない。シビックサイエンスにはその両方が、そしてもっと多くのことが含まれる。学術コミュニティ、科学と社会のより良い対話の実現を目指す組織、患者グループなど、科学の影響を受ける関係者、宗教団体、多様な属性の人々、政治的リーダーたちの貢献が必要である。シビックサイエンスの実践には、倫理的、経済的、社会的なトレードオフに関する難題を幅広く対話することと、科学の可能性に関する集合的な研究が必要だ。こうした取り組みを成功させるには、セクターやコミュニティを横断して取り組みの種をまき、それを存続させるため、フィランソロピーからの投資も必要である。
もちろんそうした議論は困難であり、不完全なものであるだろう。そして科学の進歩は人間の限界を押し広げ、私たちが社会として容認できる、あるいは望ましいことは何かという考え方に疑問を投げかけ続けるだろう。シビックサイエンスを支えるフィランソロピーは、新しいテクノロジーがもたらしうる巨大な便益を踏まえて技術面や社会面のリスクをどうすればうまく管理できるのかという点について、有意義な議論をサポートする役割を担うことができるはずだ。
全米科学・工学・医学アカデミーが2年前に主催したヒトゲノム編集に関するサミットでは、この課題にまつわる倫理面と社会面のジレンマに関する長い議論の後、観客席で聞いていたある女性が最後の質問者に指名された。会場には数百人の倫理学者、科学者、患者支援者、シンクタンクや政府機関の代表者が集まっていた。
サラ・グレイという名のその女性は涙ながらに発言した。「私の子どもは致命的な先天性異常のために亡くなりました。生後6日でした。彼は毎日苦しみ、その表情は『ママ、何が起こっているの』と言っているようでした。毎日発作が起きました。私たちは研究のために彼の遺体を献体しました。皆さんにこのような病気を治すスキルと知識があるのなら、ぜひそれを実行してください」。聴衆からは拍手喝采が起こった。
最高の科学的発見の恩恵を受け、人類に利益をもたらし、私たちの価値や理想を反映している未来。私たち一人ひとりがそんな未来をつくることに関与している。躊躇している余地はほとんどない。未来はここにあるのだ。
【原題】The Civic Science Imperative(Stanford Social Innovation Review, Spring 2018)
【写真】Louis Reed by Unsplash
注
1 Horst W. J. Rittel and Melvin M. Webber, “Dilemmas in a General Theory of Planning,” Policy Sciences, 4,1973, pp.155-169.
2 “Genome Editing: Science, Ethics, and Public Engagement,” editorial, The Lancet , 390(10095), 2017, p. 625.
3 J. Robert Oppenheimer, “Physics in the Contemporary World,” Bulletin of the Atomic Scientists, 4, no. 3, 1948, pp. 65-68.
4 Alan I . Leshner, “Public Engagement with Science,” Science , 299(5609), 2003, p. 977.
5 『クリスパー CRISPR――究極の遺伝子編集技術の発見』ジェニファー・ダウドナ、サミュエル・スターンバーグ著、櫻井祐子訳。文春文庫、2001 年。Jennifer A. Doudna and Samuel H. Sternberg, A Crack in Creation: Gene Editing and the Unthinkable Power to Control Evolution , New York: Houghton Mifflin, 2017.
6 Dietram A. Scheufele, Michael A. Xenos, Emily L. Howell, Kathleen M. Rose, Dominque Brossard, and Bruce W. Hardy, “U.S. Attitudes on Human Genome Editing,” Science , 357 (6351), 2017, pp. 553-554.
7 『孤独なボウリング――米国コミュニティの崩壊と再生』ロバート・D・パットナム著、柴内康文訳、柏書房、2006年。Robert D. Putnam, Bowling Alone : The Collapse and Revival of American Community, New York:Simon & Schuster, 2000.
8 Pew Research Center, “A Wider Ideological Gap Between More and Less Educated Adults,” Pew Research Center, April 16, 2016.
9 Ziva Kunda, “The Case for Motivated Reasoning,” Psychological Bulletin , 108, no.3, 1990, pp.480-498.
10 Elisa Shearer and Jeffrey Gottfried, “News Use Across Social Media Plat forms 2017,” Pew Research Center, September 7, 2017.
11 Sara K. Yeo, Michael A. Xenos, Dominique Brossard, and Dietram A. Scheufele, “Selecting Our Own Science: How Communication Contexts and Individual Traits Shape Information Seeking,” Annals of the American Academy of Political and Social Science , 658, no.1, 2015, pp.172-191.
12 Jonathan A. Garlick and Peter Levine, “Where Civics Meets Science: Building Science for the Public Good through Civic Science,” OralDiseases , 23, no.6, 2017, pp.692-696.
13 National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine, Communicating Science Effectively : A Research Agenda, Washington, D.C: National Academies Press, 126, 2016.
14 Brendan Nyhan, Jason Reifler, Sean Richey, and Gary L. Freed, “Effective Messages in Vaccine Promotion: A Randomized Trial,”Pediatrics , 133, no.4, 2014, pp.e835-e842.
15 Hans P. Peters, Dominique Brossard, Suzanne de Cheveigné, Sharon Dunwoody, Monika Kallfass, Steve Miller, and Shoji Tsuchida, “Interactions with the Mass Media,” Science Communication, Science ,321 (5886), 2008, pp. 204-205.
16 Elizabeth A. Corley, Youngjae Kim, and Dietram A. Scheufele, “Leading U.S. Nanoscientists” Perceptions About Media Coverage and the Public Communication of Scientific Research Findings,”Journal of Nanoparticle Research , 13, no.12, 2011, pp.7041-7055.
17 Nick Roll, “Science’s Communication Problem,”Inside Higher Education , July 13, 2017.
18 Brad Jones, “CRISPR Co-Discoverer: “I’ve Never Seen Science Move at the Pace It’s Moving Now,”Futurism, 2017.
19 William S. Bainbridge and Mihail C. Roco, eds., Managing Nano-Bio-Info-Cogno Innovations: Converging Technologies in Society , Springer: Dordrecht, the Netherlands, 2006, pp. 255-278.
20 John H. Falk and Lynn D. Dierking, “The 95 Percent Solution: School Is Not Where Most Americans Learn Most of Their Science,” American Scientist , 98, no. 6, 2010, pp. 486–493.
21 Dietram A. Scheufele, “Communicating Science in Social Settings,” Proceedings of the National Academy of Sciences , 110 (Supplement 3), 2013, pp. 14040-14047; and Cary Funk and Brian Kennedy, “Public Confidence in Scientists Has Remained Stable for Decades,” Pew Research Center, 2017. を参照のこと。
22 『レトリックと人生』ジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソン著、渡部昇一、楠瀬淳三、下谷和幸訳、大修館書店、1986年。George Lakoff and Mark Johnson, Metaphors We Live By , Chicago: University of Chicago Press, 1981.
23 Erving Goffman, Frame Analysis : An Essay on the Organization of Experience, New York City: Harper & Row, 1974.
24 Shanto Iyengar, Is Anyone Responsible? How Television Frames Pol itical Issues , Chicago: University of Chicago Press, 1991.
25 Daniel Kahneman and Amos Tversky, “Choices, Values, and Frames,” American Psychologist , 39, no. 4, 1984, pp. 341-350.
26 Dietram A. Scheufele, ”Framing as a Theory of Media Effects,” Journal of Communication, 49, no. 1,1999, pp.103-122.
27 Dietram A. Scheufele and Davide Tewksbury,”Framing, agenda setting, and priming: The evolution of three media effects models,” Journal of Communication , 57, no.1, 2007, pp.9-20.
28 “Doron Weber: The Story of Science,” interview by Alexander Heffner, “The Open Mind,” WNET, May 13, 2017.
29 Kwame Anthony Appiah, Lines of Descent: W.E.B. Du Bois and the Emergence of Identity, Cambridge, MA: Harvard University Press, 2014.
30 Vicki S. Freimuth, Sandra C. Quinn, Stephan B. Thomas, Cole Galen, Eric Zook, and Ted Duncan,”African Americans” Views on Research and the Tuskegee Syphilis Study,”Social Science & Medicine , 52, no.5, 2001, pp.797-808.
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