
環境正義を実現するコミュニティ主導型科学の可能性
科学者と市民が協働して科学を実践する市民科学において新たに注目されている領域がコミュニティ主導型科学だ。地域社会の問題について住民が科学者に支援を要請することから始まり住民生活の目に見える改善をインパクトとして重視する。
自然災害、公衆衛生、環境汚染などの分野を中心に導入されているそのプロセスを通じてより民主的で公正な科学のあり方が模索されている。
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 03 科学技術とインクルージョン』より転載したものです。
ルイーズ・リーフ
科学のやり方を根本的に変えよう⸺
そんな国際的なムーブメントが動き出している。牽引しているのは数千人の駆け出しの科学者と学生たちだ。運動の目標は「私たちが『科学』とみなすものの境界線を広げ、結果的に科学とその利用方法を根本的に変えることです」。そう話すのはアメリカ地球物理学連合(AGU)のプログラム「スライビング・アース・エクスチェンジ(Thriving Earth Exchange, TEX)」のシニアディレクター、ラジュール・パンジャだ。この運動に関わる科学者たちは、地域社会のリーダーや一般市民と協力し、「コミュニティ主導型科学」を実践するための新しいルールと方法論を確立しようとしている。これは、「市民科学(詳細は後述)」にさらに多くの一般市民を巻き込み、身近な存在にしていくための取り組みの一環である。この動きには、前身となるムーブメントが2つある。いずれもインターネットがもたらす民主化の流れのなかで生じたものだ。
1つは「オープンサイエンス」。科学的な調査研究をより身近なものにして、研究の初期段階から最終段階まで一貫して共有と協働を推進しようという動きである。もう1つは「オープンデータ」で、誰でも好きなように利用、再利用、共有できるデータを支援していこうという動きだ。この2つから自然発生的に生まれてきたのが「コミュニティ科学」である。
オープンサイエンスの推進派に言わせれば、科学のあり方は本来ずっと以前にリセットされてしかるべきだった。科学の分野は何十年もの間、一部の専門家が「科学先導型(サイエンスプッシュ)」と呼ぶやり方がまかり通ってきた。何を研究すべきか、何を問うべきか、どうやって研究をすべきか、そしてどんな成果を評価すべきか、そのすべてをトップダウンで科学者が決め、一般市民が関わるケースがあったとしても、たんに研究対象としてか、科学者が選別・提供した知識の消費者としてでしかなかった。
このような科学のあり方がもたらしたのが、一般市民の科学者への不信感だ。科学者の動機や価値観、ビジネスとの関わりに対する疑念が渦巻いている。科学とは、観察と実験を通じて対象を研究し、仮説を検証するためのより普遍的な根拠を見つけていく過程であり、そこからさまざまな発見がもたらされる。ところが、そうして生まれた発見がどのような影響や結果をもたらすのかは科学の領域外とされてきた。しかしながら、アメリカで大きな社会問題となっているオピオイド過剰摂取被害を見れば、科学に関わる人々の価値観と動機が極めて重要であることは明らかだ。製薬会社が強い中毒性のあるこのドラッグをなりふりかまわず売り込み、リスクを矮小化し、医師に誤情報を流してきた結果、壊滅的被害が広がったのである。
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翻訳者
- 倉田幸信