コレクティブ・インパクトの試練と深化
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 04 コレクティブ・インパクトの新潮流と社会実装』より転載したものです。
中嶋愛 Ai Nakajima
2023年、Stanford Social Innovation Review(SSIR)は創刊20周年を迎えます。その20年の歴史のなかで、最も読まれた論文が、ジョン・カニアとマーク・クラマーが2011年に発表した「コレクティブ・インパクト」*です。その後10年間で100万回以上ダウンロードされ、学術誌にも2400回以上引用されました。社会課題の解決のために、異なるセクターから集まったプレーヤーが効果的かつ長期的に連携するための条件とプロセスについて書かれたこの論文は、世界中のソーシャルイノベーターたちの指針となり、インスピレーションとなってきました。
異なるセクターが協力しなければ社会に変化は起こせないというのはあたりまえのことのように思えます。しかし、その「あたりまえ」を実行に落とし込めないために、社会問題に取り組む多くの組織が、局所的か短期的な成果しか出せてきませんでした。そこに新たな協働の思想と技法をもたらしたのが「コレクティブ・インパクト」だったのです。現場のニーズに応えるため、2012年にはコレクティブ・インパクトの成功要因を新たにまとめた「コレクティブ・インパクトの実装に向けて」が発表されました。
ソーシャルイノベーションの世界に大きな影響を与えた「コレクティブ・インパクト」の論文ですが、その内容は2022年に大きく改訂されました。それが、今号の冒頭の論文「コレクティブ・インパクトの北極星はエクイティの実現である」です。「エクイティ(equity)」は日本語で「公正」と訳されることが多い言葉ですが、この論文内では主として「構造的差別の解消」という言葉を当てました。この「エクイティ」が本文中に56回出てきます。2011年に発表された論文には一度も出てきません。カニアとクラマーら6人の著者はこう述べています。「エクイティの問題を置き去りにしてきたことが、コレクティブ・インパクトの取り組みがうまくいかない最大の原因になっていると気づいた」。
アメリカで構造的差別といえば、ほとんどの場合は人種差別のことを指します。人種差別のような歴史的・構造的な経緯のある社会問題を解決しようとしているにもかかわらず、その解決方法において問題の歴史的・構造的な経緯が考慮されていなかった。その反省に基づいてコレクティブ・インパクトを「エクイティ」を中心に置いて定義し直したことが今回の改訂の意義です。
この巻頭論文と併せて読んでいただきたいのが、井上英之による「ソーシャルイノベーションの2つの系譜とコレクティブ・インパクト」です。なぜ「コレクティブ・インパクト」という考え方が出てきたのか、どのように実践されてきたのか、そしてこれまでにどのような批判や議論があったのかを俯瞰し、重要な関連論文を紹介しています。
コレクティブ・インパクトの新しい定義には、「エクイティ」の他にもう1つ新たに加わったキーワードがあります。それが「コミュニティ」です。ここでいう「コミュニティ」は構造的差別によって周縁化された地域とその住民のことを指します。
そのコミュニティをパートナーとして内部化しなければ、どんな取り組みも表面的な成果しか生まないということを指摘しているのが「なぜ『地域の声を聞く』だけではインパクトが生まれないのか」です。共著者のバイロン・P・ホワイトとジェニファー・ブラッツは、都市部の子どもたちの「ゆりかごから就業まで」の教育支援を掲げるストライブ・パートナーシップの中心的人物です。ストライブはコレクティブ・インパクトの成功事例として、これまでSSIRに少なくとも38回取り上げられてきました。しかしその裏で組織を主体とするコラボレーションの限界にも直面していました。その大きな原因の1つは、コミュニティの問題点にばかり目が行き、コミュニティ内に既に存在する人材や知恵を完全に見落としてきたことでした。こうした実践者の経験や気づきが、新しいコレクティブ・インパクトの定義に反映されているのです。
特集のテーマと関連して、今号ではさまざまな「コラボレーション」の問題を取り上げました。「横断型コラボレーションを襲う5つの岐路とその乗り越え方」では、資金不足やリーダーの交替などを機に訪れるネットワークの存亡の岐路に備えて日頃から何をしておけばよいのかを事例とともに論じています。「『不安の解消』がコラボレーションを加速する」は、複雑な社会課題の解決のために異なるセクターの人たちをつなげるための場をつくっても、自然発生的な交流は生まれにくいという問題を取り上げています。研究者、実践者、政策立案者の交流のためのプラットフォームを運営するアダム・セス・レビンは、新しい関係構築への最初の一歩を後押しするのは「関係性への信頼(リレーショナリティ)」であることを突き止めました。
日本ではまだ「コレクティブ・インパクト」という言葉が定着しているとはいえませんが、災害復興の分野においては行政、非営利団体、企業などが連携して大きな成果を上げている事例もあります。
「『やっかいな問題』の解き方としてのネットワーク」では、菅野拓による東日本大震災の復興現場のネットワーク分析から、災害復興がうまくいく自治体とそうでない自治体の違いは、「ハブ」的な人材を活用できるかにかかっていることが明らかになりました。「ハブ」には情報や信用が集中し、緊急時のリソース配分の司令塔として機能します。悩ましいのは、この「ハブ」は有事にのみ可視化されるキーパーソンという側面が強く、計画的に育成しにくいということです。
その問題の1つの答えを提供しているのが「30人から始めるスローイノベーション」です。共著者の野村恭彦は、東日本大震災の被災地で見た行政・企業・NPOによるセクターの壁を越えた連携を「災害のない状態」でも再現できないか、という問題意識から新しい共創の技法「つなげる30人」を開発しました。「社会を変えるコラボレーションをめぐる『問い』」では、日本の著者9人が、横断的コラボレーションの課題について語っています。「わかりあえなさ」とどう向き合うか。「パワーの差」をいかに解消するか。セクターを越えて社会を変えていけるのはどんな人か。日本ではなぜ企業とNPO・NGOの連携が進まないのか。こうした「問い」に向き合った先に、さらに深化したコレクティブ・インパクトのかたちが見えてくるでしょう。
今号にはまた、音楽業界における搾取的慣行の問題(「エシカル・テクノロジーで音楽業界の常識を変える」)や、日本企業の人権意識(「世界の人権意識の高まりとビジネス上の人権リスク」)についての記事も収録されています。2年目のSSIR 日本版は、「コレクティブ・インパクト」のようなキーコンセプトへの理解を深めると同時に、ソーシャルイノベーションに対する関心の間口を広げていけるようなメディアを目指します。
*邦訳は『これからの「社会の変え方」を、探しにいこう。』(SSIR Japan, 2021年)に収録